第九話 敵対者


 妖気が発生した場所は、住宅街の中にある公園だった。小さな公園ではあるが、緑が多く、滑り台やブランコなどの遊具も点在する。


 もう日も暮れて、辺りは夜のとばりが降りている。少しの街頭の明かりが公園を照らしているが、薄暗く周囲は不気味なほど静まりかえっている。


 三人は警戒しながら、公園へと足を踏み入れる。


「妖気はここから移動していませんね」

「そうね。しかも大きな気配は最初だけ。あとは不思議なほどに落ち着いてるわね。異界から妖魔が迷い出てきただけかしら?」

「ですが、感じた気配は上級妖魔のそれでした。ランクが高くなれば高くなるほど、偶然に迷い出る可能性は低くなります。上級ともなれば、偶然ではなく、自らの意思でこの世界にやってきたと考えた方が良いかもしれませんね」


 上級妖魔ともなれば、一流の退魔師でも単独で対処するには危険な相手である。


 しかし真夜は勿論のこと、朱音も渚もそれらと一対一で戦っても勝利できる実力者である。慢心や油断は論外だが、このメンツでは万一も無いはずだ。


「さて。問題はここからだな」

「周囲に結界は展開しています。一般人は近づけませんし、相手も簡単には抜け出せません」


 渚が先に結界を公園全体に展開したようだ。この場にいながら、公園全体を覆い尽くす結界を展開できる彼女の力量は大したものだ。


「小さい公園って言っても、それなりの広さよ。それを一人で結界を張るなんて、あんた霊力は大丈夫なの?」

「問題ありません。私も霊力はそれなりにあります。それに下手に妖魔を逃がさないことと、無関係な人がこの中に入ってしまわないようにする方が先決です」

「……そうね。じゃあ妖魔の相手はあたしがしてあげる。あんたは結界の維持を優先してて」

「いえ、妖魔退治も私が……」

「いいから任せなさい。奢ってもらった分くらいの働きはするわよ。それにここはあたし達が住んでる街よ。そこに現れた妖魔を退治するのは、あたしの仕事よ」


 朱音も借りはさっさと返す主義だ。それに昼間の一件や、真夜とのディナーを邪魔された鬱憤を晴らしたいと思っていたところだ。


「さあ、妖魔はどこかしら?」


 霊器の槍を顕現させ、肩に担ぐと朱音は妖魔の気配を探る。


 シュゥゥゥゥゥゥゥと醜悪な瘴気が周囲に漏れる。何かが近づいてくる。


 それは巨大な蜘蛛のような生き物だった。しかし蜘蛛ではない。顔には鬼のような顔が付いている。


「牛鬼じゃないの! なんでこんな奴がこんなところにいるのよ!?」


 牛鬼。それは強力な妖魔で確かに最低でも上級妖魔に分類される。中には最上級や特級に分類される個体も確認されている。


「昨日は土蜘蛛、昼には鬼、夜は牛鬼か。どうしてこう関連性のある妖魔ばかりと遭遇するんだろうな」

「ほぼ一日でそれらに遭遇する星守君には、その、なんと言えば良いのか……」

「いや、別にいいけどな。京極も嫌な見た目の奴ばかりが相手だな」

「妖魔の大半はそういう見た目ですよ。まあもう慣れましたが」

「そうか。で、朱音。援護はいるか?」

「いらないわよ。そこで見てて」


 ゴオォッ!


 朱音の全身から紅い霊力が吹き上がる。霊力が光り輝き、周囲をまるで昼間のように明るく照らす。


「上級って言っても、昼間の鬼にも劣るじゃない。この程度の相手なら、あたし一人で十分よ」


 槍を構え、牛鬼へと向かい突進していく。


「グルラァッ!」

「しゃらくさい!」


 突っ込んでくる朱音に対し、牛鬼はその蜘蛛のような四肢を彼女に向けて振り下ろす。朱音はサイドステップを重ね、その攻撃を余裕を持って回避する。


「はぁっ!」


 さらに真紅の槍を横薙ぎに振るうと、そのままその足を切断する。切断された箇所には炎が纏わり付き、その部分から身体を燃やしていく。


「グギィッ!?」

「これもあげるわ!」


 槍の穂先を牛鬼に向けると、先端から真紅の鏃のような炎の塊が飛び出し、相手の身体を抉り、燃やしていく。


「ふん! ノロマね! まあ近づいてきたら、この槍で一突きにしてあげるわ!」


 朱金色の髪を靡かせながら、朱音は槍をくるくると回し、相手を牽制するように見せつける。牛鬼は朱音の槍を警戒してか、行動を起こせないでいた。


「来ないの? じゃあこっちから行くわよ!」


 朱音が再び動いた。正面から牛鬼に向かっていく。牛鬼も人間の小娘に舐められてなるものかと、怒りを露わにしながら、口に妖力を集中する。妖気の塊が口の少し前に収束すると、牛鬼は一気に解き放った。


 妖気の塊が球体状になり、朱音へと襲いかかる。


 しかし朱音は避けるまでもなく、ニヤリと口元を吊り上げどう猛な笑みを浮かべた。


「無駄よ!」


 槍を突き出すと真紅の輝きが増す。炎が穂を纏い、朱音は妖気の塊に向けて穂先を突き立てた。


 ゴォォォッ!


 穂先から炎が妖気に伝わると、霊力で作り上げられた炎は妖気を燃やし尽くしていく。


「!?」

「遅いわよ!」


 妖気を焼き尽くし、そのままの勢いで朱音は槍を牛鬼の顔に突き刺した。


「グギィァァァァァァッ!?」


 断末魔の悲鳴を上げる。耳障りな声が周囲に響き渡るが、朱音はそれを物ともせずに槍をさらに深く突き立てると、炎を槍から噴き出させ、牛鬼の身体を包み込ませる。


 灼熱の炎に包まれながら、牛鬼は見る見る消滅していく。物の数十秒もしないうちに、牛鬼であった存在はこの世から消滅した。


 後には何も残らない。塵も灰も、妖気の痕跡さえも燃やし尽くされた。


「ふふん。どんなものかしら?」


 牛鬼が消滅したのを確認すると、自信たっぷりの笑みを浮かべながら、槍を右肩に乗せて彼女は真夜達の方に近づいていく。


「……流石ですね。正直驚きました。これが火野一族の力ですか」


 渚も感嘆する。攻撃力や破壊力に関しては、火野一族は六家最強との呼び声も高い。その圧倒的な力は妖魔を無慈悲に蹂躙する。


 彼女も牛鬼を相手に後れを取るつもりはないが、こうもあっさりと鮮やかに牛鬼を消滅させられるかと聞かれれば、否としか言えない。


「あーっ、すっきりした。やっぱりイライラした時は暴れるに限るわね」

「お前、それは危ない奴の台詞だぞ」

「いいじゃないの。誰にも迷惑はかけてないんだから。それにせっかくのお寿司を邪魔してくれたのよ。あっさりと消滅させてあげたんだから感謝してほしいわよ」


 と、朱音は寿司が中途半端に終わったのが許せなかったらしい。


「良ければもう一度、ご馳走いたしますが?」

「だってよ。どうするんだ?」

「ちょっと、あたしはそこまで食い意地はってないわよ」


 失礼ねと言う朱音だが、不意に真夜は表情を硬くし、公園の奥の方を睨みつけた。


「真夜?」

「どうかされましたか?」


 朱音も渚も不思議そうな顔をするが、その理由がすぐに理解できた。


「やあ。こんばんは! いい夜だね!」


 金髪の青年が立っていた。軽薄そうな笑みを浮かべながら、真夜達の方へとやってくる。


「誰よ、あんた? こんなところで何してたの?」


 怪訝な顔をする朱音だが、いつでも動けるような体勢を取っている。渚も同様だ。


 なぜならあり得ないからだ。この場には渚が張った結界がある。まだ展開されているこの結界の中へ一般人は入ってこられない。ならば元々この場にいたのかとも思うが、それもおかしい。


 元々この場にいたなら、先ほどの戦闘を見ているはずだ。なのに全く平然とした態度で出てくるなど、それこそ異常である。


「いやー、見せてもらったよ。凄いね! あれって炎の霊術? しかも霊器まで使えるってことは、かなりの退魔師ってことでしょ? いやー、あの牛鬼をあっさり倒すなんて、僕もびっくりだよ」


 金髪の青年――弥勒狂司は三人の方に近づいていく。


 近づいてくるにつれ、彼から放たれる異様な気配に、朱音と渚は知らず冷や汗を流している。


「あれー? どうしたの? 可愛い顔が台無しじゃん。なんでそんなに引き攣った顔してるんの?」


 言われ、二人はハッとする。得体の知れないこの男の気配に呑まれていたのに気がついたからだ。


 そんな二人の前に真夜が移動し、男を牽制する。


「あれれ、男も一緒なんだ。うーん、僕って男に興味は無いんだよね」

「一方的に喋ってるところ悪いが、こっちもいつまでもお前みたいな胡散臭い奴と、話をしている時間もないんだ。だから手短に聞くぞ。お前らは俺達の敵ってことで良いんだな?」

「あれ? お前らって……」

「とぼけんなよ。そっちの方に隠れてる奴がいるだろ? 気づいていないとでも思ってたのか?」


 朱音と渚は真夜が指さした方を驚き見つめる。すると闇の向こうから、一人の少年が姿を現した。


「なんや、俺の気配に気づいとったんか」


 そこには、八城理人が立っていた。


「そんな、気配を感じなかったわよ!?」

「それだけ隠形が上手いってことだろ。まあ最初からいたみたいだけどな」

「へぇ。お前、俺の隠形を見破ってたんか?」

「なんとなく視線を感じてたからな。索敵とかは苦手なんだが、視線には割と敏感なんだよ。牛鬼が倒された時から、気配が強くなったからな。いや、殺気が強くなったか? お前、気配を隠しきれなくなってたぞ。だから気づいたんだけどな。じゃなかったら、確信には至っていなかったと思うぞ」

「ありゃりゃ、それは失敗したかな。あー、僕のミスか~。ごめんごめん、八城ちゃん。失敗しちゃった。てへっ♪」


 舌を出し、お茶目な表情を浮かべるが、八城はその顔に怒りを覚える。自分の名前まで出されたのだ。何を考えているんだと思ってしまう。


「お前! 何考えとんのや!?」

「いやー、これで後戻りできないっていう風にしたんだよ。これで八城ちゃんも本気でこの子達をなんとかしないとダメになったでしょ?」


 真夜はなんとなく、二人の関係が単純な仲間関係ではないと感じた。


(何かでこぼこコンビって感じでもないな。無理やり従わせてる? いや、それも少し違うか)


 苦虫を噛み潰している八城と呼ばれた、自分と変わらない年齢の少年を訝しげに見る。


(まあどんな事情があろうが、敵対するなら容赦なく無力化するだけだ。その後で話を聞けばいいだけだしな)


 敵ならば容赦しない。問答無用で殺すとまでは言わないが、それも状況次第だ。甘いと言われるが、殺してしまえば相手から情報を得ることができないからだ。


 異世界でも殺伐としていたが、それでも勇者の意向で極力殺すことを回避していた。


(とは言え、俺はそこまで甘くはないけどな)


 敵対者には等しく死をとまでは言わないが、殺すことに躊躇をする可愛げはすでに捨てた。勇者や聖女、聖騎士ができなかったことは、他のメンツがこなしてきた。真夜もその一人だ。


「ちっ! やっぱり来るんやなかった」

「あははは! それはご愁傷様だね♪ じゃあさ、八城ちゃんはあの男を頼むね。僕は女の子の相手がいいから」

「……ええやろ。俺も女を相手にはしたない。けどあんまりなことはするなや」

「善処するよ。じゃあ始めようか!」


 パチンと狂司が指を鳴らすと、周囲に新しい結界が展開された。闇色の結界が辺りを黒く染め上げ、おどろおどろしい気配が広がる。


「私の結界を破壊して、新しい結界を展開したんですか!? でもこの結界は!?」

「そうだよ。どう、僕の結界は? 中々雰囲気が出てるでしょ? ここから君達は逃げられないし、どんどん霊力が消費されるから、早く僕を倒さないと大変なことになるよ?」


 渚があまりの術の展開の速さと禍々しさに戦慄する。


「あんまりあたし達を舐めんじゃないわよ! こんな結界くらい、あたしが突き破ってやるわよ!」

「へぇ。いいね! うん、じゃあそうしてみて! でもね!」


 かさかさかさかさかさ……


 公園のあちこちからそんな音が聞こえてくる。闇の中に爛々と光り輝く赤い目がいくつも点在している。


 目をこらしてみてみれば、それは大小様々な、数多の土蜘蛛だった。


「つ、土蜘蛛!? でも何よ、この数!?」

「あ、あり得ません! こんな数の土蜘蛛なんて!」


 十や二十ではない。下手をすれば百に近い数だ。


「あははは! どうかな! 僕のペット達! 君達のために特別に連れてきたんだよ! 結界を壊してもいいけど、そうすると、この子達も外に出ちゃうけど、それでもいいなら、好きにしてね!」

「あんた!」


 朱音は狂司の言葉に怒りを露わにした。これだけの数の土蜘蛛が一斉に街に放たれれば、どれだけの被害が出るか。


「だからさ、大人しくしてよね? この結界も僕の意思でいつでも解除できるんだよね。この意味がわかるかな?」


 ニヤニヤと笑う狂司に渚も嫌悪感を露わにする。


「あっ、心配しなくても女の子二人は殺したりはしないから! 君達には僕の新しいペットになってもらうね! 前のペットの女の子が壊れちゃってね。可哀想だけど、この子達の餌にしちゃったんだ」

「……お前が喋れば喋るだけ、腹が立ってくる。で、もう言いたいことはそれで終わりか?」


 真夜も怒りがこみ上げてくる。目の前の男は、決して仲良くできない類いの相手であることが理解できる。


「あれあれ? そんなこと言って良いのかな? 状況は君達が圧倒的に不利だよ? 僕がちょっと結界を解いたら、大惨事なんだけど?」

「ならこっちで結界を張れば良いだけの話だろ?」

「あはは! 僕の結界があるのに、それを破壊して上書きするつもり? そんなことできると思っているのかな?」

「ああ、もう準備はできた」


 瞬間、周囲の光景が変化した。闇が支配していた世界が音を立てて崩れ去り、真夜の霊力で結界がこの周囲に展開された。


 四方と頭上に展開した霊符が四角錐のようにこの公園を包み込んだ。


「なっ!?」

「なんやと!?」


 狂司も理人も突然展開された結界に驚きの声を上げる。


「これで簡単に外には出れないな。あとは土蜘蛛を殲滅して、お前らを無力化して終わりだ」

「流石ね! ふふん! これでなんの憂いも無くなったわ! でも霊力の方は大丈夫なの? 昼間にもだいぶ消耗したんじゃ……」

「問題ないぞ。まだまだ余裕があるからな。それよりもそっちはどうだ?」

「あたしもまだ大丈夫よ。まあ少し抑えながら戦う必要はあるけどね」


 朱音は嬉しそうに声を上げながら、自分の状態を正確に伝える。


「そっちはどうだ?」

「えっ、あっ、はい。私の方も大丈夫です。十分戦えます」


 少し呆けていた渚も真夜の言葉に気を引き締める。


「もう、しっかりしなさいよね」

「申し訳ありません。ですが、彼がこれほどの術を使えるとは知らなくて」

「まあね。あたしも昼に初めて知ったところよ」

「貴方も知らなかったのですか?」

「う、五月蠅いわね。あとで問い詰めて、しっかり吐いてもらうつもりだから」

「そうですか……、私も気になります」


 朱音も渚も相手に情報を与えないように。名前を呼ばないようにしているが、二人とも真夜の力に興味津々であった。


「それは後だ。で、そっちはどうするつもりだ? まあ逃がすつもりも無いが」


 真夜は薄く笑みを浮かべながら、狂司や理人の方を見る。


「君、かなりむかつくね。僕の結界を破壊するなんて、忌々しい上に腹が立ってきた。簡単に死ねると思わないことだね」

「三下みたいな台詞だな。ご託は良いから、さっさとかかってこいよ」


 挑発する真夜に狂司は怒りの表情を浮かべた。


「ああ、もう! 腹立つ! いいよ! じゃあ土蜘蛛ちゃん達! そいつを殺せ!」


 かさかさかさと一斉に襲い来る土蜘蛛達。


 真夜はそのまま単身、土蜘蛛達の群れへと突っ込むのだった。



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