第八話 食事会
火野朱音は、目に見えるほどに不機嫌だった。
その原因はテーブルを挟んで対面に座る少女である。
(何よ、せっかく真夜と二人でお寿司食べに行こうとしてたのに)
京極渚。渚のことは知らなくても、朱音とて京極一族のことは知っている。
六家の中で、最大の派閥を有した歴史ある一族である。優れた術者を多数抱え、退魔師としての知名度や政財界との繋がりも強い名家である。
「悪いな。こんなところを奢ってもらって」
「いえ。貴方には危ないところを助けていただきました。そのお礼ですので、お気になさらないでください」
朱音の隣に座る真夜は渚に礼を述べる。
昨日ぶりの再会を果たした二人だったが、まさかあんな街中で邂逅するなど、お互いに思ってもみなかったので、酷く驚いた。
特に渚などは、昨日のうちに真夜の霊力の跡を辿ったにもかかわらず、追うことができなくて意気消沈していたのに、まさかこんなにあっさりとまた会えるとは思いもしなかった。
(凄い偶然ですね。まさか彼がこんなところにいるなんて。でも隣の方は……)
渚は真夜の隣にいるのが誰であるか気づいていた。どこか仲睦まじいようにも見える姿に、ズキンと微かに渚の胸が痛む気がした。しかしそれらを表面に出すことは決して無かった。
そしてこれから夕食を食べに行くと真夜が言うと、ご馳走させてくださいと渚が誘い、現在、回らない寿司屋にやってきていた。
「こういう所にはよく来るのか?」
「いいえ、私も初めてです。ですが今はネットで調べられますし、学生でもお金さえあれば気軽に入れる所もあるみたいなので。あとは京極の名前でしょうか? あまりこれは使いたくはないのですが、今回は例外ということで」
「セレブになった気分だ」
割と値段の高そうな寿司屋に来るのは、初めての真夜はしみじみと思う。こういう店なら、確実に美味しい寿司を食べられるだろう。
しかしこの場で一人、納得できない者がいる。
(何よ、何よ! あたしがいるのに、そんな女と楽しそうに会話して! 今日はあたしが真夜に奢るつもりだったのに!)
嫉妬心全開で、朱音は真夜の方を若干睨む。
「で、昨日のことっていったい何があったのよ」
熱いお茶を飲みながら、朱音がジト目で説明を要求している。渚は視線で真夜に言っても良いのですかと尋ねている。
「ああ、昨日ちょっとな。詳細は省くが、今日と似たようなことをした。勿論秘密にしてくれと頼んだ」
「今日も、ですか? それはなんというか、そのお疲れ様です」
少しだけ驚きながら、渚は真夜に労いの言葉を述べる。
「あの一件は、言われた通りに処理をさせていただきました。ですが、それはそれです。助けられたことには変わりません。そのお礼はきちんとさせていただきたいと思い、こうして食事の場を設けさせていただきました。もちろん、これだけで終わりにするつもりはありませんので、ご安心ください」
「律儀だな」
「人として当然のことです。それに手柄を譲っていただいていることですし」
「おい。それを言ったら……」
「へえー。京極の人間ともあろう者が、真夜に手柄を譲ってもらったんだ」
真夜の言葉を遮るように、ニヤニヤとどこか嫌みったらしく朱音が渚に対して言う。
「はい。それに関しては事実です。ですが、それはご本人の意向によるもので、報告も彼に関しては、すべて伏せることにしています。それと先ほどの会話から察するに、貴方も彼に助けられたとお見受けしますが」
「……そうよ。ええ、そうですよ。あたしも助けてもらった上に、功績を全部渡されたから、貴方のことをとやかく言えないわね」
少しふて腐れながら、朱音はもう一度お茶を啜る。
「でしたら、私達は同じですね。それでは貴方も、この事は他言無用でお願いいたします、火野朱音さん」
「なに? あたしのこと知ってるの?」
「当然です。六家の方々の顔と名前は一致させています。京極ということで、他家の方々への失礼があってはいけませんので。それに六家の会合などで、何度かお顔を拝見しております。とは言え、私自身、会合などではさほど他家の方々とお話をする機会を取れておりませんので、そちらが私をご存じないのは致し方ありません」
「ほら。これが普通の対応だろ。いや、全員でなくても、せめて同年代の奴くらい覚えとけよ」
「うっ……」
朱音とは違い、渚は会合などに出席する相手の顔と名前をすべて覚えているようだ。
朱音も仲の良い相手や、よく話をする相手なら覚えているが、大人から他家の子供すべての顔と名前を完全に一致させることはできていない。だから流樹にもあのような対応だったのだが。
「いや、俺も人のことは言えないか。俺もあんたのことは知らなかったし」
「仕方がありません。私は京極でも少し特殊な立場にいます。京極を名乗ることこそ許されていますが、あまり表に出ていくことはありませんし、会合などでも裏方にいることが多いですから」
だから真夜が自分を知らなくても無理は無いと彼女は言う。
「私としては火野の貴方が、星守とは言え彼と行動を共にしていることに驚きました」
「どういう意味かしら? それって真夜を馬鹿にしているってことかしら?」
「違います。彼を馬鹿になどしていません。私の恩人でもありますから。ですが、客観的に見て、六家の方々の彼への評価は高くありません。それでもなお、火野の宗家の貴方が、彼といるのが不思議だと思っただけのことです」
どこか怒りの籠もった声で、渚が朱音の問いかけに答える。
「ふふん。あたしは真夜が凄く出来る奴だって知ってるだけよ。こう見えて、よく一緒に退魔の仕事もやっているしね」
「ほとんど無理やり連れていかれてるんだけどな」
「真夜! 余計なことは言わないの!」
勝ち誇ったような笑みを浮かべた直後、真夜の一言に思わずツッコミを入れる。
「とにかく、あたしがこいつと一緒にいようが、退魔師として共に活動しようが、貴方に何かを言われる筋合いはないわ」
「それはその通りです。ですので、少なくとも私も貴方に文句を言われる筋合いも無いと思います。感謝と誠意を見せることに関して、受けた恩の大きさから考えても当然のことですから」
何故かバチバチと火花を散らしているように見える二人に、真夜はため息をつく。
「やめろよな、こんなところで」
「……はい、申し訳ありませんでした」
「……悪かったわよ」
真夜に言われ、しぶしぶ二人は謝罪を述べる。
「では今の謝罪も含め、火野さんにもご馳走いたします」
「あたしはいいわよ、別に」
「お前、金ないんだろ。お茶とカッパ巻きだけで済ませるつもりか?」
「す、少しくらいなら食べられるわよ。このお店、それなりにリーズナブルなんでしょ?」
「ですが最低、普通の回転寿司の数倍のお値段は、見ておいていただいた方がよろしいかと」
「全然リーズナブルじゃない!」
涙目である。美味しいお寿司を前に見ているだけというのは辛い。しかもかなりお腹が空いている朱音としては拷問に近いだろう。
「本当に二人ともご相伴に与っていいのか?」
「はい。気兼ねなくご注文ください。こう見えて、私もそれなりに退魔師として稼いでいます。お二人の食事代を出すくらいなら、さほど私の懐は痛みません」
「だってよ、朱音」
「………わかったわ。ご馳走になるわ」
色々と思うところもあったが、朱音もここで突っ張り続けるのは失礼に当たると思い、厚意に甘えることにした。
「でもこんな一方的なのは、あたしとしても受け入れられないわ。今度はこっちが奢らせてもらうから」
「はい。ではその時を楽しみにしています」
一方的な施しは受けない。それが朱音の矜持であった。それを理解しているのか、渚もそれ以上何も言わない。
「それにしても、よくもまあ、あんなところで出会ったもんだな」
「私もそれは同じ思いです。昨日は貴方の連絡先を聞くことを失念しており、どうやって貴方を探そうかと悩んでいたところでした」
「そういやそうだな。まああんまり教える気は無かったんだが」
「……何故ですか?」
「そりゃ、厄介事が起こっても面倒だからな。昨日も言ったが、京極を名乗れる退魔師が、俺みたいな星守の落ちこぼれと連絡を取り合ってるなんてことになれば、そっちの立場も無いだろ?」
「ですが、火野さんとは共に退魔の仕事をされていると」
「あたしの方は別にいいのよ。お父様にも許しは貰ってるから」
「そういや、そう言ってたな。良く許したな、お前の親父さん。俺は親父にまったく言ってないけど」
「まあね。お父様も色々と思うところがあるみたいよ」
と適当に答えつつ、朱音はその時の会話を思い出す。
『星守の次男坊と組むから、今後は護衛や相方はいらぬと?』
『はい。彼は星守の落ちこぼれと言われていますが、サポートに関してならば、及第点です。決して足手まといにはなりません』
『ふむ。しかしお前の負担が大きくなるのではないか?』
『構いません。それも修行の内でしょ、お父様?』
『なるほど。確かにいつもお前につける人員は、それなりの手練れだったからな。いいだろう、好きにしてみなさい。しかし報告はしっかりと上げること。そして今まで以上の責任をお前は持たなければならぬが、問題ないな?』
『分かっています』
『ならばいい。守るべき者がいる方が、人は成長する。お前もそういう意味では、良い経験であろう』
できれば真夜に会わせてほしいと言っていたが、下手に会うと火野の宗主や星守、また他の五家にいらぬ勘ぐりや迷惑をかける恐れがあるので、自重してもらった。
(実際、真夜のことは許可してくれたけど、認めてるとかそういう感じじゃなくて、あたしが成長するために利用してるって感じだったかな。あんまり真夜にはいい感情はなさそうだったしね)
退魔師としても父親としても、落ちこぼれとして知られている真夜に色々と思うところがあるのだろう。
しかし今ならば違う評価を得られるだろう。
あの力を目の当たりにすれば、父も火野一族の誰も文句は言えないだろう。自分よりも圧倒的に強い退魔師ならば、確実に認められる。
たとえかつて星守の落ちこぼれと言われていても、星守の秘術が使えなくても、その強さだけで十分だ。
(今の真夜ならお父様も十分認めてくれるわね)
うんうんと満足そうに頷きながら、運ばれてきた寿司を口に運ぶ。やはり旨い。回転寿司とは比べものにならないネタとシャリの質の高さに加えて両者の馴染みっぷりだ。悔しいが美味しい。
「旨いな。うん、旨すぎて涙が出てくる」
真夜も四年ぶりの寿司に感動している。元々回らない寿司などあまり口にする機会もなかったので、この店をご馳走してくれた渚には感謝である。
「喜んでいただけて幸いです。それと先ほどの話ですが、彼女とは連絡先を交換して私としないと言うのは、些か不公平かと。京極の一員としてではなく私個人として、貴方とは友好関係を結びたいと思っています」
「そんなこと言って、結局真夜を利用する気じゃないの?」
脂の乗ったタイを口に運びつつ、朱音が懐疑的な目を向ける。
「……それは貴方も同じではないのですか? いいえ、貴方こそ、彼を利用しているのでは?」
「なんですって?」
その言葉は朱音とて聞き流せないものだった。確かに客観的に見れば、そう見えるかも知れない。それでも、その言葉だけは、黙っていられなかった。
「ふざけんじゃないわよ。あたしにはそんなつもりは一切無いわ」
「では何故彼を利用するようなことをしているのですか? 彼は言いました。ほとんど無理やり連れていかれたと」
「それは……」
「人に言う前にご自分を省みてはどうですか? そう言う貴方こそ、彼の優しさにつけ込んで、利用しているだけではないのですか?」
「言わせておけば!」
朱音の霊力が高まる。怒りのあまり、殺気が漏れ出す。並の術者なら恐怖のあまりその場から逃げ出すほどだろう。しかし渚は一切表情を変えること無く、その殺気を受け流す。
逆に彼女も真顔のまま、朱音に対して殺気を向けようとする。
「いい加減にしろ」
ただ一言、真夜はその場を治めるために、短く言葉を紡ぐ。だが二人にはドンと、頭上から見えない何かに押しつけられたかのような感覚に襲われた。
二人が真夜の方を見れば、据わった目をしている。
「結界は張っておいたが、店と他の客に迷惑だ」
大トロを口に運びながら、真夜はその威圧感を霧散させる。二人は冷や水を被せられたように感じ、先ほどまでの空気を消失させた。
(な、何よそれ。昼間の件である程度は分かっていたけど、威圧感だけでこれなんて……)
(凄まじいですね。でもどうしてこれで、落ちこぼれなどと言われていたのでしょうか。これだけの威圧を放てるのであれば、退魔師全体でも確実に上位クラスの強さでしょうに)
朱音も渚も冷や汗をかく。自分達がしでかしたこととは言え、悪戯を咎められた子供のようである。二人は視線で、これ以上はやめようと訴えた。
(言いたいことはあるけど、これ以上真夜を怒らせるわけにはいかないわ)
(わかりました。こちらもこれ以上、貴方と言い争うことはやめます)
意思疎通ができたのか、お互いに頷き合った。
(やれやれ。何をそんなに張り合っているのやら……。少しはこっちも気楽に寿司を食べさせろよな)
自分が原因で争いになっているのは、会話の流れで理解しているが、どうして二人がここまで自分のことでムキになるのか。
「とにかく俺は別に朱音に利用されているわけじゃない。無理やりって言ったけど、俺も本気で嫌がってるわけじゃない。こいつの持ってくる案件は、それなりにこっちの修行にもなるからな」
これは本音である。異世界に召喚される前の案件は、確実に真夜の経験を積む手助けになっていた。だから愚痴はこぼしつつも、素直に朱音に付き合っていたのだ。
「まあここまで来て、連絡先の交換は無しって言うのは失礼だな。お礼もしてもらってるしな。番号とメッセージアプリの交換はするか」
「……よろしいのですか?」
「ああ、あんたが悪用しないって約束するのなら」
「絶対にそんなことしません。お約束します」
真剣な表情で言う渚に少し苦笑しながら、真夜は交換を行う。朱音は面白くなさそうにその光景を眺めているが。
「ありがとうございます。それではまた後日、ご連絡いたします。改めてお礼に伺いたいので」
「いや、今回のおごりで別にもう構わないぞ?」
「いえ、命を助けていただき、手柄まで譲っていただいているのです。この程度で済ませるわけにはいきません。京極としては無理でも、私個人としてできる限りのことをさせていただくつもりです」
「本当に気にしなくて良いんだがな」
渚の言葉に真夜は律儀だなと今度はタイを頬張りながら、まあ気が済むまでさせるかと考える。
「……あんたってさ、この辺に住んでんの? その制服、ちょっとこの辺りだと見ないんだけど」
「いいえ。本日は所用でこの辺を訪れていました。ちょうど京極の本家の方がこの辺にいらっしゃったので、その方と会うことになっていたのです。それが終わり、駅に向かって歩いていたところ、お二人にお会いしたというわけです」
「へぇ。じゃあ本当に偶々なんだ」
「はい、偶々です。だからこそ凄く驚いたんです」
朱音の質問に、渚は正直に答える。まあ真夜の霊力を追おうとしていて、できなかったことは内緒だ。
「お二人はこの辺りに住んでいるんですか?」
「そうよ。で、真夜はあたしの家のお隣さんってわけ」
どこか勝ち誇ったように言う朱音に、ぴくりと渚の形の良い眉が吊り上がった。
「……そうですか」
「そうよ」
静かに、しかし激しく視線が交差する。それ以上は先ほどのこともあるので、何もしない。
だがこの場での上位者はどちらか、その格付けは彼女達の中で決まった。
「わかりました。では星守君のご自宅に伺う際には、お声をおかけいたします」
「別に必要ないわよ。なんだったら、あたしが対応しといてあげても良いわよ。真夜も忙しいでしょうから」
「それには及びません。きちんとご都合を伺ってからお邪魔いたしますので」
(こいつら、相性悪そうだな)
なんとなく、自分が原因なのは察しているが、真夜はどうやってこの場を治めようかと思案する。
と、その時……。
「!?」
不意にこの近くで大きな妖気が発せられたのを真夜は感じた。少し遅れて渚が、次いで朱音が気づいた。
「これは……」
「妖気ですね。ですが、唐突に上級妖魔クラスの妖気が現れた感じです」
「嘘でしょ。こんな街中に、それもいきなり現れるなんて。それにこの街は霊的にも安定しているから、急に異界から妖魔が現れるなんてこともないはずよ」
突然に出現する妖魔は、異界とこの世界を繋ぐ境界が乱れることで、偶然に迷い出る物である。それ以外にも向こう側やこちらからの干渉で、この世界に出現することはあるが、それらは霊的な歪みがあったり、土地の龍脈が不安定になって起こりうる。
だがこの街は霊的に安定しているし、この辺りには霊的な歪みや龍脈の乱れもないはずだ。
「こうも連続で厄介事が出てくるなんて、本当に運が無いというか、呪われてないか、俺」
もうぼやくしか無い。二十四時間待たずに三度目の妖魔関係の事案だ。真夜でなくとも愚痴の一つも言いたくなる。
「お二人はここで待っていてください。私が対処してきます」
「あんただけに任せておけないわ。ここはあたしが住んでる街よ。そこの妖魔を退治するのはあたしの仕事よ」
「まあ二人が行って、俺だけここにいるのもな。一緒には行かせてもらうか」
真夜は二度あることは三度あるということで、念のために一緒についていくことにした。
「……わかりました。お願いします」
渚もここで揉めているよりは、早く現場に向かい状況を確認し、被害を最小限に抑えることを優先させることにした。
三人は支払いを済ませると、すぐに現場へと向かうのだった。
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