第六章 事実と真実の間

まゆ子は小薗さんが運転する車で製鉄所に帰った。製鉄所へ戻ると、高本さんも羽生さんもまだそこにいてまゆ子の帰りを待っていた。

まゆ子が部屋へ入ると、高本さんが梅木さんはどうだったかと聞いたので、まゆ子はとりあえず、ご家族の元へ戻しましたと答えた。

「それでは、お三人さんにちょっとお話があるのですが。」

ジョチさんは三人の女性たちを、応接室へ招き入れて、椅子に座らせた。

「今回のトラブルで、梅木さんが他人に言えないほどの悩みを抱えていることがわかりました。それでは、こちらとしましても、梅木さんのことをある程度知って置かなければなりません。梅木さんについて、あなた方が知っていることを、何でもいいので話してください。」

「はい。梅木さんは、あたしたちに会っているときは、自分の家が茶道の宗家の家で、お金のことは何も心配することはないって、言ってました。お祖父様だって、茶道教授でいつも優しくしてくれるって、梅木さんはそう言ってました。そんな怖い人だって、そんな事、これっぽっちも思いませんでした。」

と、高本さんが言った。

「それにいつも明るくていきいきとしていて、そんな家のことで悩んでいるなんて、全然知りませんでした。あたしたちは、彼女に騙されていたのでしょうか?」

羽生さんも小さな声で言った。

「いえ、騙しているとか、そういう意識はおそらく彼女には無いと思います。それよりも自分を守るためにああして無理やり空想したことを口にすることで、自分は幸せであると、思い込んでいたのでしょう。以前、虐待を受けている子供さんと話をしたことがあるんですが、同じように、空想したことを本当にあったことのように言いふらしていた子がいました。どこにもでかけていないのに、今日海へ連れて行ってもらったと、さぞ、会ったことのように言っていました。」

ジョチさんはよくある事例としてそう話した。

「そうなんですね。それではあたしたち、梅木さんのことを何も助けてあげられなかったのでしょうか。あたしたちは、梅木さんに一生懸命接して来たつもりだったのに。」

まゆ子がそう言うと、

「いえ、まゆ子さん、そのような事を考えてはいけません。梅木さんはやむを得ずそうしなければならなかったという事実を、まず僕達が受け止めなければ。それから梅木さんに対してどうするかを考えていきましょう。決して彼女に悪いやつとか、いけないことをしているとか、そういう事を言ってはいけません。」

ジョチさんは冷静な顔でまゆ子たちに言った。

「とりあえず、まずはじめに梅木さんがどこまでが現実にあってどこまでが彼女の創作なのかを、こちらで把握しておくことが重要です。梅木さんの近所の人たちや、彼女が通っていた病院などに聞いてみるのが良いのかもしれません。刑事みたいな行動ですが、それも仕方ありませんね。とにかく梅木さんのことを、僕達が知っておくことが、今は必要だと思います。」

ジョチさんがリーダーらしくそう言うと、まゆ子も二人の女性たちもハッと気がついてくれたようで、すぐに涙を拭いて、表情を変えた。こういうときに男性のリーダーシップは役に立つものだ。女性のリーダーもいるけれど、決断の速さとかそういう物は、女性にはできないものである。

「わかりました。じゃあ、あたしたちも、梅木さんのためにがんばります。どうか、私達に、梅木さんの調査をやらせてください。」

まゆ子がそう言ったので、ジョチさんは、よろしくおねがいしますといい、三人に梅木さんの調査をお願いした。一方で水穂さんの方は、よほど疲れてしまったらしく、布団に寝たまま咳き込んでいた。

翌日。

まゆ子は、羽生さんと一緒に、梅木さんの隣の家を訪れた。高本さんは連絡係として、製鉄所に残った。

隣の家のインターフォンを押すと、これまた年配のおじいさんが二人の前に現れた。

「あの、すみません。梅木正子さんのことについて、ちょっとお伺いしたいことがありまして。」

まゆ子がそう言うと、

「あんたら、刑事さん?ああでも頭を丸めているから違うか。一体どうしたんです?」

おじいさんは、驚いたような顔であったが、でも梅木正子という名を聞いて、こういうことが起こるだろうなという表情に変わった。

「あの、私達は刑事ではありません、梅木さん、梅木正子さんは大事な友だちなんです。彼女を立ち直らせてやるには、彼女のことについて、しっかり知って置かなければならないのです。梅木さん家族のこと、特に彼女とおじいさんの関係で、気になるところがあれば、教えてくれませんか?」

まゆ子がそう言うと、

「そうか、もうちょっと早く、そういう人たちが来てくれれば正子ちゃんは、もうちょっと楽になれたかもしれないね。ああときすでに遅しとは、そういうことかなあ。」

おじいさんはちょっと涙をこぼしていった。

「遅すぎではありません。あたしたちは今だからこそ彼女のことを知りたいのです。だから教えてくれませんか。正子さんのこと、家族関係、おじいさんとどうして不仲なのか、知っていることを教えて下さい。」

羽生さんがまゆ子に続いていった。

「仕方ないと言えば仕方ないんだけど。」

おじいさんは二人に話し始めた。

「あのうちはねえ、戦争が始まる前はいろんな人から慕われてすごい繁盛していたんだけれど、戦争に負けてから、みんな自分の事で精一杯になったでしょ。だから、誰も義昭ちゃんには、目をかけなくなった。だからあの子は家にあるものを売りさばいたり、質屋をやったりして、一人で行きてきたんだよな。まあ、結婚して子供もできたけど、義昭ちゃんは、そのことが会ったから、優しくなんかできなかったのかな。それで娘さんがお酒に走るようになっちゃって、お孫さんの正子ちゃんは、辛かったと思う。」

「そうですか?」

先に羽生さんが言った。

「でもなぜ、義昭ちゃんと親しみを込めて言うのでしょうか。もし、憎むべき相手でしたら、義昭ちゃんとは言わないですよね?」

羽生さんはいいところに気がついたらしい。

「ああ、義昭ちゃんは大変いい人だったから。」

と、おじいさんは言った。

「大変良い人?どうして家族に対して暴力を振るう人が、大変良い人なんでしょうか?」

羽生さんがそう言うと、

「そうだねえ。今の時代ではそう言うかもしれないけど、少なくとも義昭ちゃんは悪い人じゃなかったよ。」

とおじいさんは言った。

「よくわからないわ。」

まゆ子はそれしか出なかった。

「いえ、まゆ子さん他の人にも聞いてみましょう。」

と羽生さんが言ったため、二人はおじいさんにありがとうございましたと言って、他の家も回ってみることにした。何件か梅木正子の近所の家を回ってみて、話を聞いたのであるが、答えは皆、義昭ちゃんと呼ばれている梅木正子さんの祖父に当たる人物はとても良い人であるということだった。

「本当に周りの人とトラブルはなかったんでしょうか?」

カフェで食事を取りながら、羽生さんはまゆ子に言った。

「ええ。梅木さんの言っていることが本当なら、きっとアチラコチラでトラブルを起こしているはずなんだけど。」

まゆ子はそう答える。

「でもまゆ子さん。近所の人たちは、みんな義昭ちゃんはいい人だって口を揃えて言うし、結構人気があったみたいだし。そんな人が、節電を強要して、贅沢は敵だとかそういう事を押し付けるような態度を取るでしょうか?なんか別人みたいですよ。」

羽生さんがまゆ子に言った。まゆ子も確かにそうかも知れないと思った。でも、杉ちゃんたちに、梅木さんには解離性障害という病気があると言われたことを思い出した。

「確かに、梅木さんの言うことは、もしかしたら、病気が捏造したのかもしれない。心が病むっていうことは、感じたり、認識したりすることを、正常にできなくなることだわ。それができなくなることでもあるから、梅木さんは、正常な判断が下せないということもあるかもしれない。」

「でもねえ、まゆ子さん。私も、精神疾患と言われたときに、担当の医者から言われたんですけどね。」

と、羽生さんはまゆ子さんに言った。

「あたしたちは、シュールレアリストだって、担当の先生が言ってたことがあるの。超現実主義。現実を超えて現実を見てるんだって。決して嘘つきとか、悪いことをしているわけじゃ無い。きっと、梅木さんもそうなんじゃないかしら。それを使って大成した芸術家だっているのよ。古賀春江さんとかね。あの人の作品見てると、なにかメッセージがあるんだけど、すごく歪んだメッセージなんだろうなって思うんですよ。」

「そうねえ。歪んだメッセージか。なんだか暗号を解読していくような感じ、パズルを解いていくような感じだわ。まずはじめに、ピースを一つ用意しておきましょう。それは、梅木さんのおじいさんは、近所の人にはいい人だって呼ばれてたことよ。今はとにかく、ピースを増やして行くことだわ。じゃあ、もうちょっと家を回りましょうか。」

まゆ子は、羽生さんにそう言って、最後に残った家を訪問することにした。

「こんにちは。あの、私達、梅木正子さんという精神障害のある女性のことを調査しています。ちょっと、彼女のお祖父様である、梅木義昭さんという方について、お話を伺いたいです。」

まゆ子がインターフォンを押してそう言うと、がちゃんと戸が開いて、またここでも年配のおじいさんが応答した。まあ確かにこの時間帯では若いものはでかけてしまっていて、家にいるのは年寄りばかりだと言っても仕方なかった。

「ああ、義昭ちゃんのことで知りたいことがあるのかい?」

おじいさんはまゆ子たちに言った。

「きれいな尼さんが、義昭ちゃんの事を知りたいなんて、ちょっとびっくりだよ。でも確かにあの家ではよく若い女の子が泣き叫ぶ声も聞こえてきたし、ああ、またお孫さんが騒いでるのかなと思ってたけど。」

「騒いでいたんですか?」

羽生さんが言った。

「ああ、最近になって、義昭ちゃんが、娘さんや、お孫さんと怒鳴り合っているのをよく聞いたよ。特に娘さんと義昭ちゃんの衝突はすごかったね。」

おじいさんはそう答えた。

「でも、近所の人達には、優しくて親切で、いい人いい人って言われたけれど。そんな義昭ちゃんに、娘さんはなんで自分には優しくしてくれないんだってよく言ってたんだよね。義昭ちゃんにしては、何でも自分でやって、時には高利貸しまでして娘さんを育てたのに、娘さんは不良グループみたいな事をやって、もうやりたい放題だったから、、、。義昭ちゃんは苦労したろうな。そして、お孫さんは、多重人格になっている。可哀想な一家だよ。義昭ちゃんは、あんなに人が良かったのにね。」

「そうなんですか。」

まゆ子は、またパズルのピースが増えたなと思ってそういった。

「それで、他人に暴力を振るうとか、他人を憎んでいるとか、そういう態度ではなかったということですね。梅木義昭さんは。」

「ああ、そんな事は一度もなかったなあ。他人をどうのなんて一度もしたことがなかった。そんなにいい人だったのに、娘さんには、どうしてそのいい人ぶりが伝わらなかったのかな?」

おじいさんは不思議そうにそういうのだった。

「そうですね。人間の心は不思議なものですからね。私も、今思えば、なんであんなに苦しんでいたんだろうと思います。でも、あの苦しみは、あたしを新しいところに連れて行くためにあったと考えれば、それだってすごいことだと思うんです。」

羽生さんはにこやかに笑った。

「あたしが今学校に行けているのは、ここにいる、まゆ子さんに助けてもらって、不思議な施設にいさせてもらって、優しい人達に助けてもらって、あたしは、やっと学校にいけるようになった。あたし、義務教育受けてないことを、恥ずかしいと思っていましたが、今はちゃんと教育を受ける権利があるんだって思います。だから、梅木さんにもそうなってもらいたいんです。」

まゆ子は、ちょっと顔が赤くなった。

「梅木さんのお母さんも、梅木さん本人もおじいさんのことをいい人だと思えなかったのは、また事実ではあるんですけど、でも真実はおじいさんはいい人だったということでもあるわね。そこら辺をただしく伝えてくれる人がいれば、梅木さんのお母さんだってお酒に走ることもなかっただろうし、梅木さんも、ああなることはなかったんじゃないかな。」

羽生さんはテレビに出てくる名刑事のようなセリフを言った。

「そうそう、お嬢ちゃん、なかなか感がいいじゃないか。そうなんだよ。そこらへんを伝えてくれる人があの家族にいてくれればいいのになって、わしも何度も思ったことある。確かに義昭ちゃんは、高利貸しまでやって、恨みを買ったこともあったかもしれないけど、ちゃんと家族を思ってやっていたことだって、わしは気がついていたよ。」

おじいさんは羽生さんを褒めた。精神疾患のある人は時々、他人の心の状態を直感的にわかってしまうことがある。羽生さんもその一人だった。

「父親はどこにいたのかな?」

不意に羽生さんがそういった。

「あたし、梅木さんに聞いたことがあるんだけど、梅木さんのおじいさんは、梅木さんのお母さんのお父さんだって言ってたわ。そこまで捏造することはしないと思うのよ。だから、梅木さんのお父さんは、あの一家では唯一、外部の人だと言うことになるわ。その外部の人だったら、早く真実に気がついていてくれたかもしれない。そして、梅木さんのお母さんや、梅木さん本人に、話をしてくれたかもしれないわ。そうやって、外部の人だったら、身内よりも話しやすいでしょうし。そういう事は、しようと思わなかったのかしら。梅木さんのお父さん。」

「そう、、、ね。」

と、まゆ子は言った。

「考えてみれば、梅木さんはお父さんについて話したことは一度もなかったわ。なんで、話してくれなかったんだろ。おじいさんの事は、あのように嫌だ嫌だと言っていたのに、彼女は、お父さんのことは一度も話したことがない。」

「嫌だったんじゃないですか?お父さんは外部の人ですし、そういう事には、なかなか言えなかったんじゃないですか?」

羽生さんも、まゆ子に小さな声で言った。

「あのおじいさん。梅木さんのお母さんの旦那さん、つまり、梅木正子さんのお父さんについて、なにかご存知ありませんか?噂になっていることとか、そういうことでいいんです。なにか知っていることを教えて下さい。」

まゆ子は、おじいさんにそう言ってみる。

「まさか顔も見たことが無いとか、そういうわけでもないし、それに、まさかと思いますが、梅木さんが生まれてすぐに亡くなったとか、そういうことですか?」

「いや、それを言うなら、義昭ちゃんの奥さんのことを言うのだと思う。」

おじいさんは、まゆ子たちに言った。

「義昭ちゃんの奥さんは、若くてとってもきれいな人だったんだけどね。一人娘の、正子ちゃんのお母さんを産んですぐなくなったって、義昭ちゃんがいってたよ。なんでも、産後の肥立ちが良くなくて、精神がおかしくなってしまって、岳南鉄道に飛び込んだとか?もう昔のことだからみんな忘れているけれど。」

「つまり男親一人で、お母様を育てたんですか?」

まゆ子は、おじいさんに言った。

「ああ、そうだったよ。そのために高利貸しとかしてたんだから。それはわしらはすごいことだと思ってたのに、娘さんはお礼の気持も持てなかったから、義昭ちゃんが、取引先の男性と結婚させたらしいんだけどね。それが、正子ちゃんのお父さんらしいけど。」

と、おじいさんは、まゆ子たちに言った。

「それで、お父さんの顔を見たりとか、そういう事はあったんですか?」

羽生さんがおじいさんに聞くと、

「真面目な、会社員だったよ。だけどねえ。娘さんがお酒に走ったりするのは、一般の男一人では止められないよねえ。今みたいに、福祉制度が整っているとか、そういう世の中ではまだなかったしねえ。それは、まだ無理だったんじゃないの?」

おじいさんは、そう言ってくれた。

「確かに時代の不備だったかもしれませんが、父親であれば、家族の一大事があったとしたら、解決しようとするはずです。それは、できなかったというよりわざとしなかったというべきなのではないですか?」

羽生さんがそう言うが、まゆ子はそれを言うのをやめさせた。

「もう仕方ないと思わなくてはいけないことだってあるわ。確かに、梅木さんの家は、家族として問題があったかもしれないけど、それを変えることはできないじゃない。それを、どう変えるかは、意識を変えることしかできやしないの。政治も経済も文化も何も社会を変えることなんてできやしないわ。できるのは個人の意識だけ。だから、あたしたちは、事実がわかったんだし、これからは梅木さんのおかしくなってしまった意識を、矯正してあげることが、あたしたちの役目なのでは?」

「そうね。」

羽生さんはまゆ子の話に賛同した。

「本当は、梅木さんのおじいさんは、悪い人じゃないってことを、梅木さんに伝えていくことが必要なのね。それをするのは、本当に難しいことだと思うけど、、、。第一、口で言ってわかるものじゃないわよ。そうであったら、とっくに許してるわ。それはできないってことは、なにか他の手段に頼ることになると思うけど。あたしたちにそれを見つけられるかな?」

「正子ちゃんは、いい友達を持ったんだね。」

おじいさんが、まゆ子と羽生さんに言った。

「そうやって、なんとかしようと考えてくれる人がいてくれるなんて、わしらが若いときは思ってもいなかったよ。なんとかしようとしてくれる、それがどんなにすごいことか、正子ちゃんが感じてくれれば、そして動いてくれれば、どんなに幸せになるだろう。」

「わかりました。私達、そうなれるようにがんばります!」

羽生さんはおじいさんの話にそういった。まゆ子も、そうしなければならないなと思った。

「おじいさん、今日はご協力ありがとうございました。あたしたち、帰りますね。」

とりあえずまゆ子は、羽生さんに帰るように促したが、

「正子ちゃんを頼んだよ!」

とおじいさんが言っているのが忘れられなかった。

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