満たしたい欲望

三鹿ショート

満たしたい欲望

 外の世界は、異常という表現が相応しい状況と化していた。

 往来には衣服を赤く染めた人々が倒れ、中には身体の外に出てはならない臓器が飛び出している人間も存在している。

 道は雨が降ったかのように血液で濡れ、進むことに抵抗感を覚えるほどだった。

 家の窓や自動車は破壊され、火が放たれているものも確認することができる。

 一体、何が起こっているのだろうか。

 困惑する私の耳は、そこで女性の悲鳴を聞いた。

 声がした方向へと目をやると、とある女性が男性から逃げていた。

 全裸で刃物を振り回していた男性は、逃げていた女性を捕らえると、そのまま相手の顔面に噛みつきながら、刃物を身体に刺していく。

 やがて女性は動かなくなるが、男性の行動は止まることなく、腹部に開いた穴に腰を打ち付け始めた。

 その衝撃に、私は立ち尽くしていた。

 やがて身体を大きく震わせた男性が私に目を向けたとき、私も狙われるのではないかと身構えた。

 だが、男性は大きく溜息を吐くと、

「私の狙いは、女性のみである。きみには興味が無い」

 そう告げると同時に、別の女性の存在に気が付いたのか、下卑た笑みを浮かべながら再び駆けだした。

 世界が落ち着きを取り戻すまで自宅に籠もっていた方が賢明なのだろうが、今の男性のような人間が他に存在している可能性もある。

 その場合、彼女が心配だった。

 私は近くに落ちていた角材を手にすると、彼女の自宅に向かって慎重に進んでいくことにした。


***


 道中、私は幾人もの異常者を目にした。

 近所の男性は、自分の妹と娘と、それぞれ身体を重ねていた。

 精肉店の店主は、自身の妻を解体し、それぞれの部位を店先に並べて販売していた。

 学校の教師は、縛り上げた生徒たちを校庭に並べると、全員の口を縫い合わせていた。

 何が目的で、そのような残忍な行為に至ったのだろうか。

 恐いもの見たさで、私は安全な距離を取りながら、人々に尋ねた。

 男性いわく、

「妻とどれほど具合が異なるのか、知りたかったのだ」

 店主いわく、

「私の妻は素晴らしいゆえに、人々にもその素晴らしさを分けたかったのだ」

 教師いわく、

「知識を得るためならば、五月蠅い口は不要でしょう」

 察するに、人々は自身の欲望や願望を実行しているのだろうか。

 私が最初に見た男性も、異性に対する異常な欲望を満たそうとしていたとなると、あのような行動にも納得することができる。

 それならば、彼女は一体、何を望んでいるのだろうか。

 普段から己の欲を伝えようとしないため、このような状況であるにも関わらず、私はそれが気になってしまった。


***


 幸いにも、彼女が住んでいる家は、特段の問題が起きているようには見えなかった。

 合鍵を使って室内に入り、彼女を捜す。

 しかし、彼女の姿は無かった。

 何処かへ出掛けているのだろうかと思いながら寝室へと向かうと、眠っている彼女を発見した。

 外の世界がこれほどまでに騒がしいにも関わらず、彼女は寝息を立てている。

 つまり、彼女が望んでいることは、睡眠ということなのだろうか。

 そこで私は、彼女の事情を思い出した。

 彼女は、激務で疲れ切っていた。

 手柄を奪う上司や仕事を押しつけてくる同僚に囲まれながらも、彼女は文句を言うことなく、多忙なる日々を送っていた。

 それゆえに、彼女が最も求めていることが、休息だったのかもしれない。

 自分を追い詰めた人間たちをその手で殺めようと考えるよりも、このように己の休息を優先させる彼女の優しさに、私は安心した。

 私は彼女の寝顔を眺めながら、口元を緩めた。


***


 いつの間にか眠っていたらしく、彼女の声で私は目覚めた。

 無断で寝室に入った私を糾弾することなく、彼女は出社の準備を開始する。

 私は衣服を着替える彼女の肩を掴むと、

「外の世界は危険である。落ち着くまで待つべきだ」

 私の言葉の意味が分からないのか、彼女は首を傾げる。

 論より証拠だと、私は彼女に外の世界を見せることにした。

 だが、何も起きていなかった。

 往来に死体が転がっていることもなく、道が赤く染まっていることもない。

 私は、夢でも見ていたのだろうか。

 呆けている私に向かって、彼女は心配そうに声をかけてくる。

 私は彼女に笑みを向けながら、

「どうやら、寝惚けていたらしい」

 彼女もまた、口元を緩めた。


***


 自宅へと戻る途中で、精肉店で喧嘩をする夫婦を目にした。

 妻は店主に対して、怒りを露わにしていた。

「何故、私にあのようなことをしたのですか」

 しかし、店主は悪びれた様子も見せず、

「きみは無事だろう、あれは悪い夢だったのだ」

 その会話から考えるに、私が見た光景は、夢では無かったのではないか。

 彼女の部屋で私が目覚めた理由は、私が彼女の部屋へ向かったという事実によるものである。

 それならば夢ではないということになるが、精肉店の妻の肉体が元に戻っていることの説明は出来ない。

 夢だったすれば、全ての人間が共通して同じ夢を見たことによって、夢の中で何が起きたのかを知っているというわけだ。

 幾ら考えたところで、納得することはできない。

 それでも、私は安心した。

 あの光景が夢であろうが現実であろうが、己が歪んだ欲望や願望を持たず、ただ彼女のことを心配していただけだったのだから。

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