蕾の白薔薇(2)

僕は、先ほどまで一緒にいた少女のことを、ぼんやりと考えた。


少女が僕の神殿を訪れたのは、空気がキリリと冷えた夕方のこと。たった一人で神殿の入り口に立っていた少女は、柔らかな日差しのように笑っていた。


美しい少女だ。華奢な体、整った顔立ち、まっすぐに伸びた見事な金髪。月のような銀灰色の瞳は楽し気に煌めき、同時に意志の強そうな光を宿す。一瞬僕は、少女が人間ではないのかもしれないと思ったほどだった。


そんな美しい少女は、僕に水晶玉を持ってきた。あの細い、白い腕だけで運んできたのだ。両手で抱えるような大きさの宝玉は重いだろうに。


「それ、ここらで一番のれいりょく?しんりょく?が宿っているそうですよ!少し濁っているのも、月のように見えますよね!」


少女はこういって、見事なまでに完璧な球体の水晶玉を僕に手渡した。途端に手に伝わる重みに、罪悪感が募る。


こんなたいそうなものをもらったところで、僕は木偶の神なのだから。


少女は僕の沈んだ感情には気づかずに、明るい声で小鳥のように話していた。少女のいた村のこと。僕の神殿のこと。そして、月のこと。


「ねえ神様!神様って、月を司る人ですよね。やっぱり、夜が好きですか?」


僕が否と答えると、少女は不思議そうに眼をきょとりと動かした。


【夜は、月が無ければ恐ろしいものが覆い隠されている。静かで、闇を湛えたままに時間がゆったりとすぎる。そんな夜を明るく照らしてしまうから、月なんて本当はないほうがいいと思っているんだ。夜もなければ、いいのにとも思うけれど。】


僕の言葉を真剣に聞いていた少女は、なんてことないようにこう言った。


「私からすれば、月は優しいものですけどね。危険な夜道も、闇も照らしてくれる。太陽のように私を暑さで焼くこともない。それに何より、みんな寝静まった夜、独りで眺める月が好きなんです。夜の静寂を独り占めしているような、月下の花たちを私だけが知っているような。そんな夜だからこその美しさが、昼間の太陽に照らされた花畑より美しいと思うんです。私の夜には、月がないと困ります。」


その言葉に、僕は声も出せなかった。


そんな風に思ってくれるなんて。月なんて、忌まわしいだけのはずなのに。どう考えたって、闇に隠されていたものを暴いているだけなのに。僕の化物の姿のように、見たくないものまで晒上げるものだとばかり思っていたのに。


少女の言葉は、僕がずっと待っていたものだったのかもしれない。


神になってから、好かれたことなんてなかった。あがめられ恐れられ、人間との線引きをされた。ばけものは所詮、好かれることもない。そう諦めていた。


けれど。少女のように月を好いてくれる人間もいる。暴かれた夜を、美しいと言ってくれる人間もいる。そう思えただけで、幾星霜の孤独感が少し拭われた気がした。


そう、だからこそ。そんな少女に自身の醜い化物の姿をさらすのが、なおさら恐ろしかったのだ。こんなふうに、月を好いてくれる人間はそうそういない。それならば、せっかく見つけた砂漠の中にある小さな金剛石のような煌めきを、失うわけにはいかなかった。


僕は立ち上がる。そろそろ夕食をとる時間だろう。少女に夜には出歩かないように釘をさしておく必要もある。


僕は自身の部屋を出て、少女のもとへと歩を進めた。


満月が沈むまで、あと十二時間。

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