ルリアザミにリンドウ(6)
【そう。読んだんだ。…これを見てきっと、クイートは僕に失望しただろう?】
「え…?」
ぎゅっとつぶっていた目を開けると、切なげに、自嘲気味に神様が微笑んでいた。台所の火に照らされているその姿は、すこしぼやけて見える。
神様は、話しながらいつの間にか私の隣に来ていた。体が触れ合いそうなほど近い距離だから、神様が震えているのが分かった。うつむいたその顔は、火のもとから離れた上に、部屋が暗いことも手伝って全く表情がわからない。
【僕はね、馬鹿みたいに役立たずなんだ。誰かに望まれなければ、存在すら希薄になって消えていく。そしていずれ、蒸発するように消えていくんだ。僕がいた証は虚空に溶けて、人々の記憶にも残らない。】
少し震えた声で呟いた神様は、ただそう言った。私の肩に生暖かいものがぽたりと落ちて、私の服を少しずつ濡らしていく。
神様は、泣いていた。
嗚咽を漏らすこともなく、息を乱すこともなく。ただ、はらりと涙をこぼすがままに泣いていた。
私は、神様へ手を伸ばし、神様を抱きしめた。私とそう変わらない年の体躯は細くて華奢で、小刻みに震えていた。
そんな神様がどうしようもなく愛しかった。自分の無力さを嘆く神様は、痛々しいくらいに静かに泣いていて、そんな泣き方をする神様が美しいと思った。可哀そうなくらいに繊細で、自分の心を壊してまで人間を救おうとする神様が愛しかった。
なんだか、花のようだと思う。自分を傷つけて笑う神様が。自分をけなして貶めてそれが当然だとふるまう神様が。はたから見れば美しいのに、毎日見ていれば確実にしおれていく花ような神様が。
ああ、そうか。私は、神様がこんなにも好きなんだ。どんな姿だって知りたいと強欲に願ってしまう程。こんな神様を閉じ込めて私だけの神様になって欲しいと願う程。悲しんでいるその姿すら、愛おしいと思う。流す涙は、どれほど甘美な味だろうか。時折瞬きをする瞳を、私がふさいで、私以外見えないようにしてしまいたい。
「神様。私、神様が好きです。どんなに非力でも、人を救えないと嘆いていても。神様のおかげで、私は生きられました。生きようと思えました。幸せになれました。そんな風に、私に希望をくれた神様だけが、大好きです。」
気づけばそう言っていた。言わずにはいられなかった。それだけ私の心は、神様に支配されていた。その感覚も何ら不快なものではなく、むしろ心地よかった。
【僕は、何もできない。無能で無価値だ。そんな僕が、誰かに愛される?そんなことあるはずがないだろう!僕は、僕は、神なのに。多くの生贄を見殺しにした。救おうと思っても救えなかった。何かしてやりたくても、何もできなかった!僕が誰かを愛したところで、その愛は伝わらなかった。返ってくることももちろんなかった。だからあきらめたんだ。もう、僕を弄ばないでくれ。期待なんてしたくないんだ。もうやめたんだ、そんな意味のないことは。誰かが僕を愛してくれる夢を見ることは。なあクイート。もう、遊び飽きただろう?もう、ごっこ遊びはやめにしよう。頼むから期待も夢も忘れさせてくれ。新月の晩のように真っ暗なら、なにも見なくて済むんだ。期待が裏切られた時の悲しみも、夢を疑う喪失感も、見なくて済むんだ。だから、頼むから…!もう、僕なんて放っておいてくれよ…!】
私の腕を振りほどき、神様は一気にまくしたてる。その瞳は相変わらず潤んでいて、今だって肩で息をしながら泣いていた。そんな神様は、どこか人間味がある。そんな場違いなことを考えながら、私はそっと神様に手を伸ばした。
「神様、怯えなくていい。怖がらないでいい。幸せになっていいんだよ。今までずっと心を痛めていた神様には、その資格があるから。私も、怖かった。神様に大事にされるたび、明日には私を見下すんじゃないかって。でも、そんなこといつの間にか思わなくなった。そのくらい、神様が好きになっていたから。約束します、神様以外誰も見ないから。神様だけをずっと愛するから。私に応えてほしいんです。…神様は、私に愛されてくださいますか?」
神様は私を痛いほどにまっすぐ見ていた。私は手を伸ばしたまま、神様をずっと見つめ返した。そうして、少し経った後。神様は、すっと瞳を伏せた。
【全く、クイートにはかなわないね。僕を口説くなんて、全く…。ああ、いいさ。僕もクイートだけを見よう。君だけを愛そうじゃないか。】
そう言って神様はすっと膝をついた。そのまま私の伸ばしたままだった手を取り、指先にそっと口づける。異国の御伽噺の一幕のような光景に、私の鼓動は早くなった。
【君を、愛すると誓おう】
悪戯めいた微笑みを浮かべ、神様が私を見上げる。その瞳にはもう涙はなかった。
闇ばかりが広がっていた新月の晩は明け、外は白み始めていた。
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