ルリアザミにリンドウ(4)

私は、息をつめながらページをめくった。時に流麗な、時に酷く乱れ切ったインクの文字でつづられていたのは、こちらの胸まで締め付けるような痛み。


それでも、どれだけ涙を流しそうなほど悲痛な文章でも、私は読むのをやめることはできなかった。どうしようもなく、この人の想いがわかってしまうから。その痛みが、孤独が、どれだけ心をえぐるかを知っていたから。


ー日記ー


今日がおそらく山場だろう。この前の少女の生贄が来てから、わずか五日ほど。日に日に痩せ衰え、憔悴していった彼女はすでに床に臥せてしまっている。熱に浮かされたように時々漏らすうめき声以外は、声すら聞けない。生贄からはすでに死の気配がしていた。もう何人目だろうか。神になって長い年月が経ったが、どの生贄も一月と生きられない。今の少女の生贄のように、体を壊して死ぬ生贄もいた。少し前の生贄のように、僕にすり寄ろうとして勝手に失望し、離れていった生贄もいた。あの子のように僕に寄り添おうとしてくれた生贄はいない。あの子が、最初で最後だった。こんなことを言っても、もうあの子は戻ってこないのだが。ああ、僕はきっと、神なんかじゃない、化物だ。人になりたくて神になった。神としてあろうと、空を見上げて夜空を照らした。それで明るくなった夜に生まれたのは、新たな軋轢だった。安寧の夜の暗闇を、僕は軽率に晴らしてしまった。そして暗闇に葬られていた醜さを、月明かりで照らしてしまった。その結果が、これだ。僕は災厄をもたらす化物。人を不幸にするくせに、人に何もしてやれない木偶。無意味だ、無能だ。


僕に価値なんてたいそうなもの、最初からなかったんだ。



ああ、ついに、生贄が死んだ。ここに来てから、二週間と経っていなかったのに。僕が何もできないから。月のように、他人の力で初めて光り輝く神だから。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい



あの子のことを、ふとした時に思い出す。例えば、孤独に怯えるとき。例えば、どうしようもなく誰かのぬくもりが欲しくなる時。そんなときに脳裏をかすめ、耳朶を撫でる記憶はあの子のことばかりだった。あの子は、ここに死にに来た子だった。生贄として、余命いくばくもない自分自身を差し出したのだ。親友を幸せにするために。優しい子だった。恐れ知らずで、明るくて。僕がどれだけ威圧しても、そんなの気にならないという風に笑っていた。病気でやせ細った躰が痛ましくて、でもそんな体すら努力の証だと誇って見せたあの笑顔が今でもこの目に焼き付いている。綺麗な白い肌と、金髪を持った子だった。優しそうだけど賢そうな眼は少し吊り上がっていて、たおやかな仕草が似合う柔らかな雰囲気を纏った、春のひだまりのような子だった。あの子はここに来てからわずか三日で死んだ。僕のところまで這ってやってきたときは流石に驚いたなあ。それで、息も絶え絶えに「お願いですから、自分を責めないでくださいませ。貴方様はもう十分、人々に幸を与える神なのですから。そんな方が悲しみに暮れるなど、いけませんから。」それだけを一息に、囁くように言ってそのまま…。なんだろうか、あの子は。たった三日しか、時を過ごしていないのに。僕はあの子を思い出すたびに、何故だか泣きたくなる。最後まで僕を恐れずにいてくれたのはあの子だけだ。




そうか。これが、誰かを、愛すること、なのか?苦しくてどうしようもなくて、気持ちを表す言葉が見つからなくてもどかしい。胸になにかつっかえているような切なさと、どうしようもなく触れたくなる衝動がないまぜになったこの感覚が。酷いじゃないか、本当にあの子は、意地悪だ。僕がこの長い年月で永らく追い求めたものを、いとも簡単に与えておいて。当の自分は死んで勝ち逃げだなんて。なあ、僕は君を、愛していたよ、名前すら聞けなかった君を。本当に、いま、今気づいた。この気持ちは君にしか上げられないのに、君はもう僕の手の届かないどこかにいる。もう冥府の門をくぐってしまっただろう?死者の国の料理をほおばっただろう?もう、手遅れだ。二度と会えない君が、好きだったなんて。今更もう遅いのに。どうして?君は本当にズルくて酷くて、その癖に清らかで綺麗だ。今だって覚えてるんだよ、あの三日間をさ。君以外の生贄は、顔かたちも声もあいまいなのに。君だけは。何十年も前にたったの三日間一緒に居ただけの君は。鮮明なんだよ、痛いくらいに。声だって、覚えてる。少し低めでゆったりとした、柔らかな話し方も。君のことは、全部全部全部、忘れたことなどありはしない。でも僕は死ねない。君が言ったんだ。「神様のあなたが悲しんではいけない」って。だから、僕は大切な人が死んだんだって今更受け入れても、涙さえ流せない。ああ、苦しい。この嗚咽もかみ砕いてしまいたい。君の望んだように、悲しまない僕でありたい。でも君がいないこの世界がどうしようもなく虚しい。どうしてだろう。なんだか笑えてくるんだ。全部が全部、作り物のようで、なんだか滑稽にさえ見える。はははははは。…ねえ、まだ僕のこと、覚えてるかい?覚えてるなら、いつかこの日記を開いてくれ。君にだけ、これを言おうと思えた。



愛してるよ、未来永劫のその先もきっと。




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