ルリアザミにリンドウ(3)
私がこの神殿に来てから、一月ほどたった時。月のない、新月の晩のこと。
私はその日、なかなか寝付けなかった。理由は特にない。なんだか妙に落ち着かず、眼が冴えてしまう。
寝ることをあきらめた私は、居住スペースのテーブルに移動した。そこに本を持ってきて、台所の火をつけて読もうと思ったのだ。神様に毎日教わっているおかげで、私はもう読書が普通にできる。一人静かに本を読めば、そのうち眠くなるだろうと思ったのだ。
テーブルに移動し、私は傍らの椅子に積んでいた本を適当につかむ。台所に持っていき、本を開いた。最初の方ページを開き、読み始める。ただ、その本はもう読み終わっていたもので、私は早々に本を閉じた。私は新しい本が無いかと椅子の上の本を次々に手に取り、台所の火にかざす。
けれどダメだった。どの本ももう、昼間のうちに読み終えてしまっていた。
「どうしよう…同じ本をもう一度読んでもいいけど、新しいのが読みたい…」
私は頭を捻り、そして思い出す。そういえば、神様の部屋のすぐ近くに、本がたっぷり詰まった部屋があったことを。あそこにならきっと、私が読んでいない本がまだまだたくさんあるはずだ。
「よし、本を取りに行こう!」
私はそう決めると、足音を立てないように静かに廊下に出る。そのまま私は、忍び足で歩いていき、目的の部屋に到着する。神様はきっともう寝ているだろうと思って、静かに静かにそーっと本がある部屋のドアをを開けた。
「わあ…すごい!」
私は思わず、小さく声を上げてしまった。目の前には、天井までそびえる本棚が壁を埋め尽くしている。そこにも入りきらなかった本が、床に何冊も積みあがっている。その部屋は、とにかく本であふれていた。これだけの本があるなら、私が読んだこともない本もたくさんあるはず。私は嬉々として部屋の中に入った。
その時、パサリと何かが落ちた音がした。
「…?今何か落ちた?」
私は音のした方に歩いていく。立ち止まったのは、積まれた本の一角だった。そこには不自然に一冊だけ床に落ちている、薄めの本がある。
「きっとこれが落ちたんだ。…せっかくだし、これを読もうかな。」
私は一冊だけ落ちたその本を持ち、静かに居住スペースに戻った。どんなお話が描いてあるのだろうと、ワクワクしながら本を開く。
「あ…これ、本じゃない。日記だ。」
火にかざしたとき、表紙をみて気づく。私が持ってきたのは、本ではなかった。誰かの書いた、とても古い日記だった。本を開くとびっしりと、インクの文字でページが埋まっている。
「でも、これはこれで気になっちゃう。」
誰かの日記なんて、プライベートなことだ。読んじゃいけないのは、わかっている。でもそう思うのと同じくらい、中身が気になるのもまた事実。
「でも、これきっと、生贄さんが書いたものだよね。先輩方の書いたものなら、きっと勉強になるはず。私だって神様の役に立ちたいもの。」
そうこじつけて、最初のページを開いた。
ー日記ー
今日は、新しい生贄が来た。まだうら若い少女が、大勢の召使を連れてここにやってきた。可哀そうに。その顔はひどく怯え、憔悴しきっている。もしかしたら好いた男でもいたのかもしれない。僕の方を見ることは、全くしなかった。ただひたすらに、怯えて縮こまっている。身に着けた衣装も、全く合っていなかった。だいたい、生贄なんかいらないんだ。捧げものとして、その少女と差し出された食器。こんなもの、いらない。僕はこんなもの、欲しくない。僕が欲しいのは違うものだ。毎回毎回、こんなことばかりして。人間は嫌いだ。一方的に僕に生贄や高価なものを押し付けて、勝手に見返りを求めてくる。それに何より、生贄を持ってくるのをやめてほしかった。一生僕の神殿から出ることもできず、ただ一人孤独に死ぬために来ているようなものだ。そんなことをしたって、意味がない。それにその生贄だって、毎回少女。下手をすれば成人すらしていない幼子が来る。どこかの神のように、僕は人間を愛したり、体を求めたりはしない。そもそも僕は、神として半端で、なんの役にも立たないのに。人間はつくづく嫌な生き物だ。打算と、欲と、傲慢さをこねて凝縮した泥からできたようなものだ。可哀そうな生贄。僕を知ろうともしない先人のせいで、勝手に僕の物だと言われて。当の僕にも怯えるしかなくて、結局は衰弱していく運命だ。僕はどうしようもできない、望んでくれなきゃ、僕は何もできないんだ。僕は月の神。月が太陽に照らされなければ光ることができないように、僕は誰かが真に求めてくれなきゃ、微々たる力しか使えない。そんな僕の為に、捧げられた哀れな少女。救ってやりたいのに、何もできない。もどかしい。
生贄の少女が来てから、今日で3日目になる。今回の生贄は気の弱い普通の少女のようだ。しかも、彼女の付き人の噂によれば、権力に目がくらんだ父親が無理矢理生贄にしたというじゃないか。毎朝毎朝、僕の為に祝詞を捧げる彼女はもう、やつれきっている。可哀そうに。何かしてやりたくても、彼女が望んでくれないから僕は何もしてやれない。というのも、生贄の中には「父親に逆らう」という考えそのものが存在しないらしいのだ。幼いころからきっと、父親に虐げられていたのだろう。恐れと強迫観念でがんじがらめになった心では、何も願えないようだ。僕は生贄を憐れむことしかできない。どうして。僕は神様のはずだ。人間一人くらい、思い通りにできたってよさそうなのに。どうして僕は、こんなにも無力なのだろう?嗚呼、きっとこれも僕が本当の神ではないからなのか。どうしてどうしてどうして?僕は、誰かに愛されたかっただけだったのに。他人からの無償の愛が欲しかった。森の中は孤独で静かで寂しくて。それで僕は、人に望んでもらえる、信仰される、愛される神になりたいと願ったのに。その結果が、これか?ただ畏怖を向けられ、愛されるなんて夢のまた夢なんだ。淋しい。寂しい。さびしい。だれか、ぼくを、望んでくれ。
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