第8話 ユウガオとクイート(2)

クイートはどこか悲しそうな顔をして、ふと遠くを一瞥した。

そして語りだした。彼女だけが知る、彼女の罪を。




私は、きっと罰を受けてしまう。そう思いながら、どこかで神様にさばいてもらえることを望みながら生きてきました。


私の罪は二つあります。


一つ目は、自分の母を殺したこと。

八歳になってしばらくたった時、私は村人の話を盗み聞きました。


「なあ、知ってるか。この近くでトリカブトが生えたらしいぜ。二輪草と間違えて食ったやつが、そのまま死んじまったとよ。」


「俺、まだ死にたくねえよ。それ、どこらへんだ?」


「ああ、たしかあの山の中腹あたりにあるちっさい泉の水辺だってよ。」


これを聞いた時、私は意を決しました。私自身で母を殺そうと。


私の母は、美しい人でした。愛想もよく、閉鎖的な村にも容易に溶け込んでいけるほどの話術もありました。聞いた話では、母は高級妓女だったが私を孕んだために村まで流されたとのことです。その話はきっと本当だったのでしょう。私は生まれてから何度も、母に殺されかけていました。


ある時は、真っ赤な火かき棒がまっすぐに、私めがけて飛んできました。またある時は、馬乗りになられてひたすら体中殴られました。母はそんな風に、ことあるごとにしつけだと言って、私に暴力をふるいました。そのおかげで私はいつだって弱り切っていました。体も心も、ほとんどぎりぎりで生きていました。


母は大層な酒豪でした。幼い私が稼いだ雀の涙ほどのお金をいつも、全部お酒に替えるくらいお酒を飲みました。私はお金もなければ、食べ物をくれる当てもないので、いつでも虫や草をかじって食べました。もう本当に、死んだようにそういう暮らしをするしか未来はないと思っていました。


だから、村人のトリカブトの話を聞いた時に、私は希望を持ったのです。「これで母がいなくなれば、少しは楽に生きられるかもしれない」と。あくまで母を、少し衰弱させるくらいの気持ちでした。別に死んでほしかったわけじゃありません。ただ少しだけ、私から離れてほしかっただけでした。


私は村人の会話を聞いてすぐに、山に登りました。泉の近くにある、紫の小さな花をつけたトリカブトを探しに。泉はすぐに見つかり、登ったのが昼過ぎだというのに、私が山を出て家に帰ったのは夕方になりかけくらいの時刻でした。家に帰る道すがらに、母がよく飲む安酒を買ってトリカブトを仕込みました。少しの量のトリカブトを潰した汁を混ぜただけ。致死量はもっとずっと多いだろうと、そう思っていました。


家に帰ると、母は酔いが回っていました。この機会にと思い、母をうまく言いくるめて酒を飲ませました。母は暫くはふらふらと揺れていましたが、翌朝くらいにいきなり泡を吹きました。そしてそのまま、あっけなく死にました。


私が、トリカブトで母を殺したんです。これは間違いなく罪でしょう?




もう一つの罪は、恩を仇で返したことです。

あれは母が死んだあと、私が少しだけ救われたあとのことでした。


母が死んだことで、私の居場所は村から消えました。私が愛想もない根暗な子供だったこともあるでしょう。でも、一番の理由は私の躰と見た目でした。私は幼いころから、顔だけは傷一つないのに体は傷だらけ痣だらけという、おかしな見た目をした子供でした。ある意味異常な見た目の私が忌み子として嫌われるのに、そう時間はかかりませんでした。


それから私は暫く、路頭に迷うことになりました。あの人が、私を拾い上げてくれるまでは。


まあ、暮らしはそこまで変わりませんでした。食べ物すらない日は、今までだって数えきれないくらいありましたから。ただ、唐突に聞かれたんです。


「ねえ、クイートはさ。僕のところで一度、幸せになってみたくない?」


顔を上げた先にいたのは、のちに私を引き取って処刑されたノルマリスさんでした。


ノルマリスさんは美しいけど、変わっている人でした。会って一か月くらいは、性別すらもよくわからなかったくらいです。忌み子として嫌われていた私を引き取ったのも、幸せにしようとしてくれたことも。ノルマリスさんにメリットもないのに変な話です。とにかく、すごく変わった人だったということをよく覚えています。


「クイート、何が食べたい?何がしたい?叶えられるなら、僕はできる限り叶えるから。何か望みはある?言ってごらんよ。」


「…何も。」


私はノルマリスさんをずっと、信用していませんでした。今は優しいけど、どうせ村の人のように、母のように私を嫌いだすだろうと思って。でもいつまで待っても、ノルマリスさんは私を嫌いませんでした。それどころか、美味しいご飯を毎日きちんとくれました。私に暴力をふるうことも働かせることもしませんでした。木でできた玩具や髪飾りなんかを与えてくれることもありました。


「ノルマリスさん、どうして私を引き取ったのですか?」


半年くらいたったころ、ふとノルマリスさんに聞いたことがあります。ノルマリスさんは何でもないように、笑って答えてくれました。


「クイートに幸せを知ってほしかったから。僕にはむかし、とても大切だった人がいてね。でも、僕の不注意でその人はもう、帰ってこない。クイートはすごく、その人に似てたんだ。だから自己満足かもしれないけど、君を幸せにして、自分にけりをつけたかったんだ。ごめんね、クイートを身代わりのようにしてしまって。」


困ったように、悲しそうに笑って。ノルマリスさんの言葉に、私は少し安堵しました。この人は私自身のことを愛したわけじゃない、私を誰かの身代わりにしていただけなんだって。そう思ったら、この人を信じなくていい理由ができたみたいで、ストンと心が落ち着きました。それで私はようやく、ノルマリスさんに笑いかけることができるようになりました。


それからわずか一週間後でした。ノルマリスさんが処刑されたのは。


「おい!ノルマリス!あの忌み子をかくまっているだろう!そいつは今年の生贄だ!おめえは村の掟により、今日即刻で処刑される!」


家のドアを乱暴に叩く村人。抵抗すら許されずに連行されていくノルマリスさん。壊されていく家。私は恐れて、怯えてみていることしかできませんでした。そのあとノルマリスさんは十字架に貼り付けにされていました。頭から、体中から、血をたくさん流して。私は、十字架に駆け寄りました。


「ノルマリスさん!な、なんで!」


叫ばずにはいられませんでした。私を養っていただけで、何の抵抗すら許されずにノルマリスさんが死んでしまう。そう思っただけで、ちぎれるように胸が痛くなりました。知らないうちに泣いていた私の涙を悲しそうに見ながら、ノルマリスさんは言いました。


「泣かないで。クイートは何も悪くない。ごめんね、確かに僕は一度、クイートを身代わりにした。でも今ならはっきり言える。僕は、君を、君自身を幸せにしたかったんだ。君があの人に似ていたからじゃない。僕が君自身をあの一瞬で、愛してしまったから。君に僕を刻み付けたいと、思ってしまったから。ごめんね、君を悲しませてしまった。」


「ノルマリスさん…」


「そんなに泣いてくれるなんて、君も少しは、僕を好きになってくれたって、思い込んでも、イイかな…。」


そう言ったノルマリスさんに伸ばした手は、届きませんでした。粗野な村人に突き飛ばされて。そのあとはもう、地獄のようでした。綺麗なノルマリスさんは、穢されて壊された。私はやっぱり、無力な子供のまま見ていることしかできなかった。あとに残ったのは、廃人になって言葉すら忘れた、ノルマリスさんだけでした。


「ア、ああ、?あ、あ…。」


「ごめんなさい!私のせいで、私がっ!」


「く、い、と。だい、j」


「!!!!!」


涙が止まりませんでした。何もかも壊されて、それでも私を案じるノルマリスさんにただひたすら懺悔しました。こんなことなら、幸せにならなきゃよかった。私のせいだ、なにもかも。あまりの辛さに耐えきれずに、逃げようとしました。全部忘れてしまえたら、きっと楽になれると思って。大切の意味なんて知らなければ、こんなに悲しむこともない。だから、忘れてしまおうって。

でも、忘れることなんてできなかった。私の中の、ノルマリスさんとの優しい記憶。それはノルマリスさんが遺してくれた、たった一つの形の無いものだから。これを忘れてしまったら、もうノルマリスさんの面影は消えてしまうから。だから私は、全部抱えて生きました。生贄になっても、忘れはしませんでした。


カンパニュラ様、これが私の罪です。私は罪人で、幸せを知った生贄です。ごめんなさい、あなたはこんな私を、持て余してしまうでしょう?ふふ、不思議です。髪色も声も、何もかもが違うのに。あなたはなぜか、ノルマリスさんに酷く似ています。どうしてでしょう?




「……」


悲壮な、あまりにも痛ましい少女の話。愛されず、愛すら知らず、やっと訪れた幸せもあっという間に壊れてしまった。クイートの笑みが、無邪気なものから儚いものに変わってしまった気がして、僕は何も言えなかった。朽ちかけた花のよう、吹いた風にすら吹き飛ばされてしまいそうな、その希薄な存在感。


【君は、本当に、異質な生贄だよ。】


自分よりずっと幼い、弱い、可憐な少女に。何かもっと、気の利いた台詞もあっただろうに。神である以上、その言葉を探すべきだったのに。


僕はそんな言葉しか、かけられなかった。

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