第5話 エリカとスカビオサ(3)

「だ、だれ?あなたは…」


私の戸惑いを含んだ質問に、目の前の少年はにっこりと笑って答えてくれた。


「僕は…カンラといいます。この神殿に住み始めて間もない、神様に仕える使用人です。神様とその花嫁様にお仕えするのが、僕の仕事。…見たところ、服の着付けに困っておられるようなので、僕がお着せしますね。」


少年カンラは私の手から優しく銀灰色の服を取り上げ、着つけてくれた。どうやらこの服は、前で合わせるのではなく頭からすっぽりと被って着るものだったみたいだ。私の知る服よりずっと軽くて動きやすい。


「これ、とてもいい服ね!綺麗だし…ねえ、カンラ。私のことは花嫁様じゃなくて、クイートって呼んで。私は神様にお嫁に行けるほどの娘じゃないの。」


「…わかりました。クイート、これからどうしますか?神殿を案内するか、食料を取りに行くか。お手伝いします。」


「それじゃあ神殿の中が見たいわ!どのお部屋にも本や絵画がぎっしり詰まっていたもの、他にも何があるのか気になるの。あと、神様にお祈りして祈りの言葉を賜らないといけないし。」


「承知いたしました。では、簡単に神殿をご案内いたします。」


そしてカンラは、歩き始めた。私はそのあとをついていく。来ている服の裾がひらひら、ゆらゆらと足に当たるのが心地いい。


「こちらの廊下は、絵画の間になります。祀られている月の神様、カンパニュラ様が成した偉業の数々が描かれています。」


「こちらは生活用のスペースとなります。寝室、居間、台所。一通りの施設は揃っていますので、ご自由にお使いください。」


「こちらからは聖域となります。神様がおられる祭壇の間が近くなっていますので、邪な思いは捨ててお入りください。」


神殿を一通り巡り、たくさんの部屋を見た。美しい壁画や、質素ながらも清潔な居住地。カンラは簡潔でよどみない説明をしてくれたので、私はとても助かった。


「ありがとう、カンラ。それじゃあ私はこれから森に行くよ。ご飯も取らなきゃだしね。もうこんなに日が高い。早くしないと、昼食に間に合わないだろうし。」


ひらひらと服の裾を揺らめかせ、私は神殿の外に飛び出した。ついて来ようとしてくれたカンラを止めつつ、私は森へと入っていく。


「待ってください!今日は満月です!いかないで!」


そう叫んだカンラを振り返り、私はちょっと悪戯っぽく笑った。カンラの不安そうな瞳をしっかりと見つめ、断言する。


「大丈夫!夕方になる前には、帰るから!」


それでもなお不安そうなカンラを尻目に、私は森へと入った。


「本当に、君は僕を知らないんだね。でも、いつか嫌でも知ることになる。でも、せめて今だけは…」


カンラは木立の中に消えた幼い背を見つめ、淋しそうにつぶやいた。



「だ、だれ?あなたは…」


少し怯えたような声色で、少女は僕に語り掛ける。恐れと不安を孕んだ、見慣れた瞳の色に僕は少し安堵した。名乗ろうかと思ったが、本当の名前を言うわけにもいかない。苦し紛れだけど、とっさに”カンラ”と名乗った。普通の人間がここにいるのも不自然なので、神様の従者という設定にしておく。少女は僕の言葉を疑いもせず、一言一句を信じてくれたようだった。少女の持つ服に目をやってみる。確かこの少女は、服が着られずに困っていたはずだ。


「見たところ、服の着付けに困っておられるようなので、僕がお着せしますね。」


断りを入れて、そっと少女の手からドレスを奪う。これを着ていた外国とつくににえは、頭からすっぽりと被るように着ていた。少女にドレスを着つけてやると、少女は嬉しそうに、はにかむように笑った。


「これ、とてもいい服ね!綺麗だし…ねえ、カンラ。私のことは花嫁様じゃなくて、クイートって呼んで。私は神様にお嫁に行けるほどの娘じゃないの。」


少し照れたように、うつむき加減で言うクイート。その姿は、何故だかとても小さく見えた。感じた違和感を振り払うため、僕はクイートに尋ねる。


「…わかりました。クイート、これからどうしますか?神殿を案内するか、食料を取りに行くか。お手伝いします。」


「それじゃあ神殿の中が見たいわ!どのお部屋にも本や絵画がぎっしり詰まっていたもの、他にも何があるのか気になるの。あと、神様にお祈りして祈りの言葉を賜らないといけないし。」


「承知いたしました。では、簡単に神殿をご案内いたします。」


きらきらと瞳を輝かせ、神殿を見たいと言う。クイートは本当に、異質な生贄だ。


そのあと僕は、クイートを連れて神殿を歩いた。僕の神話を誇張したフラスコ画、かつて捧げられた巻物や綴じ本。馬鹿馬鹿しいそれらを、クイートは面白そうに見ていた。居住スペースを案内し、いよいよ僕の居場所が近づく。いつも僕が過ごす場所、一人ぼっちなのが心地いいあの場所に、クイートを入れたくなかった。だから、それらしい理由を言って、それとなく遠ざけた。


神殿巡りを終えた後、クイートは唐突に神殿の外に飛び出していった。何をする気なんだ?もう日が高く昇って、折り返しそうなくらいの時刻だというのに。訝しがる僕に、クイートはご飯を取りに行くと言う。ダメだ、行くな。今日は満月なんだ、僕が一人ぼっちになる日だ。夜にはきっと間に合わない。今までの生贄だって間に合わなかった。幼いお前になんか間に合うもんか。だから…!


「待ってください!今日は満月です!いかないで!」


僕の必死な叫びを受けて、クイートは振り返る。彼女はすがすがしいくらい、不敵に笑って僕に言った。


「大丈夫!夕方になるまでには、帰るから!」


それでもなお、止めようとした僕を振り切り、クイートは森へと行ってしまった。


独り取り残された僕は、落胆して呟いた。


「本当に、君は僕を知らないんだね。でも、いつか嫌でも知ることになる。でも、せめて今だけは…」


続けようとした言葉は口からこぼれることはなく、そのまま片隅に放り込まれて、姿を消してしまう。僕は燦燦さんさんと輝く太陽を、憎しみのこもった目で睨みつけた。

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