第4話 エリカとスカビオサ(2)

んん、眩しい。それになんだかスースーする。そんなことを思いながら、私はうっすらと目を開けた。昨日は確か、歩き疲れてそのまま眠ってしまったんだっけ。神殿は朝の光に照らされて、白い壁がキラキラと光っている。神様がいるにふさわしい、神聖で荘厳な美しさだった。思わず見とれ、手を握りしめると、手の中からクシャリと音がする。手を広げると、折りたたまれた一枚の紙が零れ落ちた。


「あれ?こんなの、昨日はなかったのに。」


知らないうちに握っていたその紙を広げてみる。そこには意味不明な記号の羅列が何行か並んでいた。でも不思議なことに、その記号は読める。一つ一つの文字は知らないのに、目で追うと意味が分かる。細い線で複雑に書かれた記号は、こんな文章を形作っていた。


【一つ 食事は毎日森で採ること。採りすぎは許されない】

【一つ 神への祈りは夜に行うこと。祈りの言葉は後に授ける】

【一つ 満月の夜は神殿の外に出ないこと。破ったら天罰を下す】

【一つ 上記の三つを、ここで暮らす限り守ること】


それはどうやら掟のようだった。全部でたったの四つしかない。これなら破らずに暮らしていけそうだと思った。もう一度記号を読み返し、元のようにきれいに折りたたむ。それを襦袢のひもに挟み込み、私は立ち上がった。


「あ、そういえば…服、どうしよう。」


そういえば、婚礼衣装しか着てきていない。食べ物は森で採ることができるようだが服はどうしようもない。私が困り果てたその時、神殿のどこかでドサリと何かが落ちた音がした。


「何が落ちたんだろう…屋根が落ちたとかは、ないよね?」


少し怯えながらも、私は音のした方へ歩く。私はどうやら廊下で寝ていたらしく、左右に並ぶいくつもの部屋を眺めながら歩いた。だいたいこのあたりだろうとをつけて、並んだ部屋の扉を開けていく。明けた扉の先には、たいてい古い巻物や本が詰め込まれた棚があったり、壁や天井いっぱいに描かれたフラスコ画があったりした。そして七つ目の扉を開けると、そこには衣裳部屋のようなものがあった。


「あ、服…これって着られるかな?」


床に散乱した服は、だいぶ古そうなものばかりだった。服だけでなく、髪飾りや化粧道具なんかも置いてある。探せば、幼い私でも着られそうな服があるだろう。それにしてもどこから探そうか。何しろ積みあがった服が山のよう。悩んでいると、服の山の中腹あたりから、一着の服がするりと落ちた。私はそれを拾い上げてみる。


「これなら着られそう!」


拾い上げたのは、薄い灰色の布に、銀の糸で細かな刺繍がある服。下の裾がふわりと広がっていて、ひらひらしている。袖は振袖のようになっていて、肩に向かって細くなっている。腰の部分に、幅の広い帯が蝶々結びになったものがくっついていた。見たことのない服、着方もわからない。


「ど、どうしよう…」


私は途方に暮れてしまった。その時。


「失礼します。ここにいらっしゃるのが花嫁様ですか?」


トントン、と扉をたたく音とともに、誰かの声がした。つづいて、扉が開く。振り向くとそこには、私より幾分か年上の、髪の長い子供が立っていた。



「ど、どうしよう…」


困り果てた少女の声。僕はため息を吐いた。


「あーあ、本当は姿を見せないはずだったのに」


小さく呟いて、僕はドアをノックする。少し前のことを思い出しながら…。


暁。僕は神殿の屋根の上で目覚めた。昨日は星空を眺めていたのだが、いつの間にか眠っていたらしい。昔の夢でも見たのか、頬に涙の乾いた跡があった。頬をぬぐい、少し伸びをする。そのあとに、虚空から紙と筆を取り出した。


「あの子には、僕のことを見られてはいけない。今度こそ、死なないように…」


僕は筆を走らせる。あの子に読めるように、文字に力を込めて。そして書き終えた紙を持ち、僕は神殿の中に入った。


「こんなところで寝ちゃってさ、病にかかるよ?」


幼い少女を見下ろして、僕は思わずつぶやいた。薄い襦袢一枚を纏って、少女は安らかに眠っていた。少女を起こさないようにそっと、僕は紙を握らせる。そしてそのまま、廊下を奥へ奥へと進み、姿を隠した。


「ほんとに、君は何も知らないんだね。僕のことも、生贄の意味も…」


いつもの場所で少女を見つめる。僕が手に持ったまん丸の水晶には、神殿の部屋で何かを探す少女が写っていた。今までの生贄は、神殿に着くなり僕のもとに来て命乞いをした。僕にどうしようもできないとわかると、狂った。泣きわめき、僕にすがる生贄もいた。暴れまわり、力尽きるまで叫び続けた生贄もいた。静かに笑って、殺してくれと願う生贄もいた。全員、一週間と持たずに死んでしまった。そのまま少女を見ていると、お目当ての部屋があったらしい。そこは僕に会うために着飾る生贄の為の衣裳部屋だった。そしてほどなくして少女は、子供用のドレスを手に取った。外国とつくにの生贄の少女が着ていたものだ。ただ、初めてドレスを見たらしく、困り果てている。


「しょうがないなあ。」


僕は一瞬で、衣裳部屋の前に移動する。そして、ただの少年としてドアを叩く。


「失礼します。ここにいらっしゃるのが花嫁様ですか?」


こちらを振り向いた少女は、あどけない顔に驚きを浮かべて僕を見た。


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