生贄と神様

第3話 エリカとスカビオサ 

クイートは今、黒々とした木々が鬱蒼と生い茂る森の前に立っている。先ほど着せられた真っ白な婚礼の衣装が、森からの不気味な風にゆらゆらと揺れていた。


「これより汝は森の物。逃げれば天罰が、自害すれば永遠の闇が汝を襲う。我らが神よ。森の主よ。この娘を捧げ奉る。どうか我らに豊かな恵みがあらんことを。」


早朝、神官が厳かに、祈りの言葉を並べ立てる。神官に習い、集まった村の人達が一斉に膝を折り首を垂れた。私だけがただ一人、静かにゆっくりと、森に向かって歩いていく。これは村に伝わる豊穣の儀式。私は、神への供物となる生贄だった。


私が生まれたのは、黒い森に隣接した土地にひっそりとある小さな村。実に閉鎖的で杓子定規な考えばかりの、陰気なところ。そして私はそんな環境の中では、すごく不利な生まれだった。母はもともと高級娼館の妓女で、この村まで追放された余所者だった。そして父親もわからないまま私を生んだ。後から聞いた話だと、母は子を孕んだせいで追放されたらしい。数多の客を相手にしていた栄華を忘れられず、母は私を恨みながら育てた。事あるごとに「お前さえいなければ」「お前のせいで」と言われたのを覚えている。


話は変わるが、母は叱るときに手が出る人だった。そのおかげで私はいつも痣だらけ、傷だらけ。顔だけは傷をつけられなかったが、幼子が衰弱するには十分な怪我ばかりだった。私は幼いながらに思う。「このままでは死ぬ」と。それだけは嫌だった。何をしてでも、たとえ悪魔に魂を売ってでも生きたかった。だから私は、。毎日のように浴びるほどお酒を飲む母を知っていたから、私は母のお酒にトリカブトを混ぜ込んだ。そして毒酒となったお酒を飲んで、母は死んだ。私はただ「これで生きられる」とだけを思った。八歳の時の話だ。


「お母さんが死んでから、もう五年が経つのか…」


森の中を真白い装いで歩きつつ、昔のことを思い出す。体に不釣り合いな大きさの衣装をずるずると引きずりながら、手には真っ白な一輪咲きの薔薇の花束を持って。私はこのまま、森の中にある神様の神殿まで歩いていくことになっていた。道のりはまだまだ遠い。ずり落ちてきた頭のベールを肩に引っ掛け、私は歩き続ける。


「はあ、はあ、はあ、やっと着いた…」


夕暮れ時まで休みもせず歩き続け、ようやく神殿にたどり着く。前の生贄から随分と時がたっているらしく、埃の匂いが鼻をついた。でも、そんなことはどうでもいい。とにかく疲れ切っていた私は、来ていた婚礼の重い衣装をどんどん脱いでいく。森は涼しかったとは思うが、それでも重ね着していた私は汗びっしょり。一番下に来ていた襦袢じゅばん一枚になって、適当な広さの床の誇りを払って、その上に倒れこむ。そのまま、私は深い眠りについた。


「また、生贄を送ってきたのか。もう意味はないのに。」


襦袢一枚のまま、穏やかな顔で眠る幼い少女を見て、少年が呟く。少年の腰まである銀の髪が、持ち主の動きに合わせてゆらゆらと揺らめき、波打つ。


「僕はもう、生贄を望んじゃいないんだ。どの娘も僕を恐れ、自害していく。自害を禁じたところで、孤独で衰弱してそのまま…。もう、いいんだ。淋しくて孤独で、僕は神様になったけど、結局変わらなかった。結局愛してなんてもらえない。」


少年は少し震えた声で呟いて、そのままどこかへと歩いていく。透明な階段を上がるように、神殿の屋根に腰を下ろした。夜の森を吹き抜ける風が、少年の髪をたなびかせる。


「今日は新月か。僕がまた一人ぼっちになるまで、あと十五時間…」


星しか見えないくらい夜、一筋の水晶のような涙が少年の頬を伝い落ちていった。


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