第2話 或る一夜

「すみません、道を尋ねたいのですが」


星が輝く新月の夜。辺境の村に、一人の旅人が訪れた。少ない荷物に旅の装いをしたいたって普通の男性の旅人。


「なんだね、こんな夜更けに。嗚呼、旅の方か。どこへ行くっていうんだい?」


「この平野に行きたいのですが。」


「嗚呼、ここか。それだったらこっちに行って、ここをこう回っていけばいい。」


旅人が差し出すおおざっぱな地図にある程度の道を書き込みながら、通りがかりの村人が答えた。


「失礼ですが、これでは回り道になってしまいます。道は険しくなりますが、この山を越えたほうが早い気もするのですが。僕は急いでいるんです。」


「知らないのか。この山はこの村じゃ禁忌の場所だよ。入ったが最後、孤独に死ぬしかない『孤独の森』があるってね。」


回り道に難色を示した旅人に、村人が抗議の声を上げる。


「そんなもの、迷信でしょう。だいたい、山一つ越えるのに孤独死するなんてありえない。村で信じるのは勝手ですけど、僕にまでそれを押し付けないで下さいよ。」


「これは迷信なんかじゃない。本当に危ないんだ、やめておけよ。そうやってお前さんのように話を聞かず、命を落とした人間がどれほどいるか。ほら、これを見ろ。つい先週も、この山を越えたこのあたりに行きたいって旅人が来たんだ。一日経つまでには戻る、そう言って荷物をここに預けていったんだが…何日過ぎても帰ってこないさ。もうあいつはきっと帰ってこない。」


「そんなの偶然でしょう。その人がたまたま事故か何かで来ないだけで。証拠にすらなっていない。」


「いいだろう、そこまで言うならこれを見ればいい。ついてきな。」


村人はそう言い、ある建物に向かって歩いていく。向かう先には、『資料館』と看板を下げたちいさな小屋が建っていた。その小屋につくと、村人は中に入っていく。それに続いて旅人もその小屋に足を踏み入れた。


「『孤独の森について』…?こっちには『伝承にある狂い咲きの花の鉢』…あの、村人さん、ここは一体?」


「ここは『孤独の森』に関する伝承の記録、語り部の文字起こし、実際に見つかった伝承にある品物が展示されてる資料館だ。数こそ少ないし、昔すぎて判読すら難しいものも多いがな。お前さんに見てほしいのはこっちの部屋だ。」


そう言うと、村人は展示物の間に隠れていた扉を開く。その先には、壁一面の棚に所狭しと並ぶ、旅の必需品があった。その数は軽く千を超えているだろう。劣化が進んだ古いものから、まだまだ真新しいものまで様々な状態の品物たち。その数に圧倒され、旅人は思わず息をのんだ。


「これは全部、『孤独の森』に行くと言ってここに荷物を預けていった旅人たちの物だ。荷物を預けていかない者も多くいたから、行方不明者はここにある品物の数の数倍はいると言われてる。これを見ても、お前さんはまだあの山を突っ切るつもりになるかい?なるなら勝手にすればいいが、命が惜しいならやめておきな。」


「…そうですね。やめておきましょう。」


それだけ言って、旅人は小屋を後にした。そのまま、恐ろしいものから逃げるように村を後にして行った。


「お前さんは、引き返してくれてよかった。儂の息子は、戻らなかったが…」


一人になった村人は立ち尽くしたまま独り呟いた。彼の息子は好奇心に勝てずに十歳の時、『孤独の森』へと向かい、そのまま帰らぬ人になってしまった。そして、それを信じられずに半狂乱で探しに行った彼の妻も、同じように帰らぬ人となってしまったのだ。村人は、夜も更け静まり返った薄暗がりで静かに泣いた。大きな満月が、辺りを銀に染め上げながら、村人の涙を宝石のように輝かせていた。


これから始まるのは、この伝承のおとぎ話、『孤独の森』の真実。何故入ったが最後帰れないのか。そもそもどうしてそんな伝承ができたのか。すべては一人の少女の悲しみと、一人の化生の悲劇から始まった。

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