第9話 プロポーズ
「ごめん、待たせたかな?」
「いえ、大丈夫です。わたし、今日はオフだから」
山根先生は時計をチラッと見て顔に手を当てた。山根先生は以前と同じく、凄く頭が良さそうだった。あのメガネが素敵なんだ。
「あちゃあ、5分も遅れてごめんね。女の子を待たせて最低だよね。前の仕事がなかなか終わってくれなくて。ごめん」
「いえ、わたしのことなんか女だと考えなくてもいいんですよ」
「そんなわけにはいかないよ」
帝国ホテルのラウンジはオープンカフェになっていて、わたしは先に来て座っていた。
「何でも注文してよ」
「わたしだって仕事してますし、払いますよ」
「いいからいいから、僕が呼んだのだから」
本当に、山根先生の前に座るとわたしは子供みたいだ。ウエイトレスが来たので、わたしは紅茶、山根先生はコーヒーを注文した。
「電話でも聞いたけども未来ちゃん、大丈夫だった?」
「はい、今は一緒に住んでます」
「そっか。少し聞いたけども酷いことするよね。なんかあったら言ってよな。きっと力になるからさ」
「いえ、山根先生が気にしなくても大丈夫ですから」
「冷たいなあ。僕と沙也加の仲じゃないか」
「振ったのに?」
「うわ、痛いところつくねえ。あの時は仕事しか頭になくてね。本当にごめんね」
「今だって充分すぎるくらい忙しいと思いますよ」
「だねえ、ここまで忙しくなくてもよかったんだけどね」
山根先生はコーヒーを飲みながら、わたしをじっと見た。わたしはこの目が好きだったんだな、と思う。もう、終わった話だ。
「朝倉から聞いたんだけどさ」
やはり本題はそっちか。わたしは両手を強く握った。山根先生だけには知られたくなかったな。
「もしかして、新しい仕事始めた?」
山根先生は追い込むことは絶対にしない。そういう意味では本当に名プロデューサーだ。
「聞きましたか。わたしの仕事のこと」
「うん、言うべきか迷ったんだけどね。やはり、お金?」
「それもありますけど、承認欲求ですかね。わたしソロになって全く売れなくて、芸能してるのかバイトしてるのか分からない生活が続いて、それでも諦めきれなくて……」
「覚悟して飛び込んだんだね」
「全て知ってます。リスクもメリットも……、お金に心配がなくなったのは大きいです。そのおかげで未来を助けられたし……」
「芸能界に未練はないんだね」
「やり直しが効かないことは知ってます」
「そっか……ごめんな。本当は相談に乗ってあげたかった。もし、沙也加が望むならばなんだって……」
なんだってという言葉にわたしの心臓はドクンと大きく脈を打った。望むならば、結婚してくれるのだろうか。その一言を聞きたいが、聞くわけにはいかなかった。それを聞いてしまえば、わたしは抑えが効かなくなる。
きっと、山根先生を追い込んでしまう。わたしはAV女優なんだ。今回の販売を差し止めたとしても、噂はSNSを駆け巡り、きっと山根先生を追い込んでしまう。だから、嘘をついた。
「山根先生、大丈夫ですよ。今の生活が好きですから。わたしは何も望んでません」
大きな沈黙の後に、山根先生は自嘲気味に笑った。
「ここで結論を出さなくていいからね。ちょっと考えてくれないか。これを君に預けておく。もしわたしが必要になったら、連絡して欲しい」
袋にはティファニーと書かれ、白い綺麗な箱にリボンが巻かれていた。嘘、こんなのって無いよ……。
「山根先生、受け取れません」
きっと婚約指輪だ。わたしの指のサイズは山根先生ならば知ることができる。ドラマ出演などで、指輪を何度か身につける機会があり、サイズなども計っていた。
「だから、今答えを聞きたくない。持っておいて……。じゃあ、僕はこれから仕事だからさ」
慌ててレシートを取って、ごめんね時間があまり取れなくてね、とだけ言い残してレジに行ってしまった。
なぜ、このタイミングで……。もう少し早ければ、わたしは喜んで受け取っただろう。今のわたしにはこれを受け取る権利さえないのに。
予想外だった。山根先生はなぜわたしにこれを渡してきたのだろうか。三年越しの想いが今になって叶うなんて残酷すぎる。
怒られるか、辞めて欲しいと泣かれた方がどんなに楽だったか。山根先生は本題を一切言うことなく気持ちだけを伝えてきた。
わたしが答えに窮することも分かっていながら……。
こんな重いプレゼントを貰ったのは生まれてはじめのことだ。わたしは帰りにコンビニに寄り、ふたり分の弁当と少し高級な猫缶を買ってマンションに帰った。
「早かったね。昼ごはん食べてくると思ってたよ」
「うん、だから弁当と猫缶ね」
「先に言ってくれたら作ったのに、どうしたの」
「なんでもないよ。たまには弁当でもってね」
「嘘。前はいつも弁当だったでしょう」
「まあ、いいじゃん。ちょっと今は休みたい気分なんだよ」
「山根先生に何か言われた?」
「言われてたら、こんな気分にならないよ」
「ふうん、なんか意味深だね」
「いいのいいの、気にしないでね」
わたしは弁当一式を机に置いてベッドに転がり込んだ。今は何も考えたくない気分だ。身体と心が全く別の方向に動きたくて、イライラした。
「嘘、……なにこれ!?」
あっ、
「これって、山根先生に貰ったの?」
「貰ってないよ、預かっただけ……」
思わずこんな答えを返した。嘘は言ってないけど、無茶苦茶な答えで自分でも何を言ってるのって問い詰めたくなった。
――――――――
なかなか悩むところですかね
読んでいただきありがとうございます。
今後とも応援よろしくお願いします。
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