第8話 電話
正直、電話に出たくはない。でも、わたしには迷うことさえ許されない。山根先生には、今回のことで迷惑をかけた。未来が見つかったことを、まだ伝えていないわたしには出るしかないのだ。
それでも、戸惑ってしまう。
十五回目のコール音の後、わたしはスマホの応答の表示に手を添えた。
「おっそいなあ。沙也加寝てたのか?」
「いえ、そんなことは……、ごめんなさい」
「いや、別に謝らなくてもいいんだけどさ」
「未来は見つかりました。ありがとうございます」
「そうか、良かったよ。それよりさ……」
明日、昼過ぎに会えないか、と言われて頭が真っ白になった。山根先生は売れっ子のプロデューサーだ。五分の時間さえも融通するのが難しいのだ。なのに……。
「何かありましたか?」
「うん? 別に……、たまには沙也加と話したいなってさ」
嘘だ。そんな理由で会える人ではない。もしかしたら、わたしは山根先生を本当に困らせているのかもしれない。
明日の11時。断れなくて、帝国ホテルのラウンジで待ち合わせをすることになった。
「誰からの電話だったの?」
「山根先生だよ」
「あちゃあ、大丈夫!?」
「あんまり大丈夫じゃないかも」
「だよねえ。怒られそう?」
「悲しそうな顔をされると辛いかな」
「恋してるの?」
「はあ!?」
「冗談、……だよ」
そらそうだ。わたしと山根先生だと釣り合いが取れないどころか、AV女優との恋と炎上してしまう。
「はあい、ご飯できたよ!」
「すっごーい」
思わず目を輝かしてしまう。ありあわせのものから作ったはずなのに、ちゃんと料理をしていた。
「グラタンにハンバーグシチュー、ご飯にお味噌汁ね」
「あの冷蔵庫からどうやって、こんだけのもの作るのよ?」
「内緒……だよ」
唇に指をつけてウインクした。本当、朝倉も馬鹿だよな。こんな家庭的なご飯を蹴ったとなったら、末代まで呪われるぞ。少なくともわたしは呪う。
「無茶苦茶、おいしいよ。いつ嫁に来てもいいよ」
「そんな相手なんかいないよ」
「わたしなら、明日からでも貰うのにさ」
「それ、結構シャレになってないよ」
「だねえ、行くところまで行っちゃうって感じかな?」
「ふたりで、その……、やってみる?」
「えっ!?」
「だって、そう言うプレイもあるんでしょう」
そう言えばチェックはつけてない。あるにはある……。
「練習……、する?」
「いや、引き返せなくなるからやめとく」
「えーーーっ、それ超わたし、狙われてない?」
「そう思う!?」
「うーん、冗談」
「だねえ」
「でもさ、そう言う世界では普通にあるんでしょ。その女の子同士……」
「あるだろうねえ」
「嫌……じゃない?」
「未来ならいいかな」
「さらっとヤバいこと言わない」
「まあ、仕事だからね」
「だよねえ、本物とは違うか」
「多分、好きとかはないと思う」
ご飯を食べ終わり、食器を流しに持って行って洗おうとした。
「あー、いいからいいから。わたしがやるからね」
未来はわたしのところにパタパタと走って来て、お皿を洗い出してしまう。
「ミャーン」
猫のさやちんがやってきて、未来の足のところでおねだりをしていた。
「ご飯食べなはずなのに何か欲しがってるの?」
わたしは冷蔵庫を開けるとチュールを一本取り出した。さやちんは飛び跳ねて喜ぶ。現金なやつめ。この時だけは懐くんだよな。
わたしはチュールにハサミをいれて、猫に少しづつ食べさせる。あんまりに美味しそうにしてるので、自分も食べて、あまりに味がしなくてびっくりしたのを思い出した。
人間に生まれて良かったよ。
「そうだ。沙也加!」
「うん?」
「今日、やって欲しいこと言ってよ」
「えっ、本気でやるの、これ!?」
「もちろんだよ。さあさ、なんでもいいよ」
なんでもと言われて思わず胸をガン見してしまった。
「マジ!?」
「いや、そんなわけない」
流石にドキッとしたが、わたしは正常と三回頭の中で唱えた。
「で、何をお願いしたい!?」
「じゃあ、今日は一緒に寝よか?」
「はい!?」
「いや、言葉通りの意味だよ。深い意味はない」
「分かってるって、流石にその気は多分ないだろう、と信じてるよ」
わたしってもしかしてすごーく信じられてない?
冗談と言おうとしてたのだけれども、真剣な目をされるので言う機会を失って、今日は一緒のベッドに寝ることになった。
レズ検査薬があるなら、わたしは結構危ない陰性になりそうな気がした。
――――――
「じゃあ、電気消すね」
「うん」
照明を消すと部屋が真っ暗になった。目が見えなくなったため、五感が研ぎ澄まされる。側に寝ている未来の息づかいが聞こえる。いかんいかん、見えないと却って変な妄想をしてしまう。
「ねえ?」
「うん、どうした?」
未来の声に心臓が跳ねた。いやいやいや、そこおかしいだろ。わたしの身体よ。
「ありがとうね、わたしなんか助けても何のメリットもないのに……」
「そんなことない。そんなことないよ!」
わたしは慌てて手を左右に振ってしまう。見えてるわけがないのにね。
「未来、わたしは人を助ける時にメリットとか考えるの嫌なんだよ。わたしは……ただ、未来だから助けたいと思った」
「わたしだから?」
「うん。もちろん変な意味じゃないよ」
「分かってる」
「未来はね。わたしの猫と似てるんだ。わたしは困ってる娘を見捨てるなんてできない。未来ならなおさらだよ」
「猫って、さやちん」
「その名前さ。変えない?」
「やだ……」
未来は小さく笑った。どうやら名前を変えてくれる気はないらしい。
「いつか恩返ししたいな」
「してもらってるよ。これで充分」
「そんなことないよ。いつかきっとわたしが沙也加を助ける」
わたしは未来にそんなことは期待してない。でも、その気持ちが嬉しかった。だから……。
「ありがとう」
とだけ言った。
わたしは強いものに巻かれる者も、そして弱いものを切り捨てる者も嫌いだ。朝倉、わたしは未来を無茶苦茶にしたお前を絶対許さない。
わたしはもう一度朝倉への復讐を誓った。
――――――
先生は何を言おうとしてるんでしょうかね。
今後ともよろしくお願いします。
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