第3話

 グローチアとエミリア夫婦の元で暮らして数週間、ここの暮らしにも少し慣れてきた。

 街の役人だというグローチアはほとんど毎日朝から夕方まで家を空ける。

 その間、俺はエミリアの手伝いと家の倉庫で見つけた木刀を素振りして過ごした。


 この世界では洗濯をするのに洗濯機なんてものは無い。

 洗濯板と桶でひたすら擦って汚れを落とす。

 料理をするにも、コックを捻るだけで火がついたり、ボタンを押すだけで火がつくことは無い。

 毎日薪を用意し、火打石を使って火を起こす。

 娯楽も少ない。この世界に友人も知人もいない俺は、暇な時間をトレーニングや素振りに費やした。

 元の身体より筋肉が少ないせいか、トレーニングはやけに疲れた。

 ただ鏡を見た感じ、身長も顔もほとんど変わっていない。

 時間が経てば身体能力は勝手に上がるだろう。


 暮らしてみて分かったが、グローチアはかなり変わっている。

 おれを弟と認識してることもそうだが、その他色々変わっている。

 肉料理に突然砂糖をかけたと思えば、果物に香辛料をまぶして食べたりする。

 美味しいかと尋ねると、「普通だよ」と彼はいつも言った。

 それに何故かいつも半袖短パンの軽い服装で仕事に行き、よく仕事のことで泣いてエミリアに慰められている。

 そして何よりも驚いたのは弟、つまり俺への兄弟愛の部分だ。

 ほぼ毎日のようにグローチアはこの世界の菓子や置物なんかを土産に買ってくるし。夕食のおかずをくれる。

 俺もそれほど食べられる方では無いので、正直言って要らないのだが、毎回のように分け与えきた。

 もしかしたら、本当の弟が死んだこともあって、俺への執着心が強いのかもしれない。


 グローチアと比べなくても、エミリアは常識人といえた。

 日中は殆どエミリアと過ごすが、変わったところは特にない。

 家事はテキパキこなすし料理も上手い。

 話していても言葉の随所に知性が感じられる。

 ただ時々、感情が抜け切ったような話し方をするのが気になった。


「一刀さんは以前は何をしていたの」


 ある日の夕食中、エミリアが尋ねてきた。

 素直に学校に通っていたとでも言えばよかっただろうに、あろう事か俺は嘘をついた。


「剣士を少々……」


 小っ恥ずかしい中呟くと、グローチアが勢いよく立ち上がった。


「剣士!凄いな一刀は」


 なんだかすごく嬉しそうなグローチアを見ていると、申し訳なく思う。


「どれくらい強かったんですか?」


 あまり興味がなさそうにエミリアが言う。


「ま、まあ剣豪と呼ばれるくらいには」


「剣豪?」


「優れた剣士の呼び方ですよエミリア」


 俺の代わりにグローチアが説明した。

 この世界にも剣豪という言葉はあるらしい。

 

「へぇ。全く強そうには見えないけれど」


 エミリアはハッキリとした物言いが特徴的だが、今の発言は特に心に突き刺さる。


「仕方ないですよエミリア。一刀の身体は自分のじゃないんだから」


 グローチアが弁明したが、なぜ自分でもそう思っているのに俺を弟だとハッキリ言えるのかが不思議だ。


「そうね。じゃあ何かあったら一刀を頼ろうかしらね」


 パンをちぎり、無言で食べる。

 この時はまさか、本当に頼られることになるとは思ってもみなかった。


 ────


「大変だ! エミリア、一刀」


 ある日、まだ日が高い日中にグローチアは帰ってきた。

 走って帰ってきたのか、かなり息が上がっている。

 庭で洗濯物を干していたエミリアが家へ入る。

 グローチアは青ざめた顔をしながら頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。


「どうしたの」


 エミリアがグローチアの肩に手を置いて撫でた。


「西の方で暴れ回ってた盗賊がこっちに来るって話が来たんだ」


「まあまあ」


 話を聞いて背中に冷や汗が出たが、エミリアは至って落ち着いている。

 盗賊、この文明のまだ未熟な世界での犯罪者といえば、恐ろしく残虐で容赦のない者も多いだろう。

 そんなならず者達が来たら、俺は死んでしまうかもしれない。


「どうしよう。都の警備隊なんて呼んでも間に合うか分からないし、そもそもこの村に来てくれるのかどうか」


 グローチアが本当に焦っているのが伝わる。

 今すぐ荷物をまとめて逃げる準備でもした方がいいのだろうかと、俺は自分の部屋へ向かおうと体を反転した。


「大丈夫よグローチア。ねえ一刀さん?」


「え?」


「はい?」


 グローチアと声が被る。足を止めて振り返った。

 グローチアは顔を上げてエミリアを見ている。


「グローチア。一刀さんは剣士だって言ってたじゃない。しかも剣豪って呼ばれるくらいに強いって」


 エミリアが言うと、グローチアの青ざめた顔に血の気が戻り、表情も明るくなった。

 

「え、ちょっと待ってください」


 俺に期待の眼差しを向ける2人を静止するように手を伸ばしながら、首を横に振る。

 確かに木刀は毎日のように振ってきたがそれだけなのだ。

 平気で人から生命や財産を奪う同族となんてやり合えるはずもない。


「確かにそう言いましたけど……この身体じゃたぶん満足に刀も持てないでしょうし……」


「刀?」


「剣のことですよ兄さん。ちょっと形が変わってますが」


 しゃがんでいたグローチアが飛び上がって俺の前に迫る。

 その目は輝き、けして圧力を感じる訳では無いが、言いたいことは目に書いてあった。


「お願いです一刀。盗賊を追い払ってください」

 俺の手を持ってグローチアは頭を下げた。


「いやいやだから兄さん。この身体じゃ満足に剣も持てないんですよ」


「ああ、それなら大丈夫だよ」


「え?」


「僕の魔法で一刀の身体を強化してあげるから」


「いや、それなら兄さんが戦ってくださいよ」


「いやあそれが、何故か僕は自分に魔法をかけることが出来ないから」


「えぇ……。じゃ、じゃあ兄さんの魔法で盗賊を倒してくださいよ」


「それは無理。そんな魔法使えないし」


 グローチアの後ろのエミリアに目を移すと、彼女は無言で頷いた。

 どうやら本当に、この人1人ではどうにも出来ないようだ。


「じゃあせめてほかにも戦える人を集めてみんな強化して」


 提案すると、グローチアは左手の指を鳴らし、口角を上げた。


「あ、それは無理。僕の魔法は1人にしか掛けられないし。この近辺に魔法が使えるのは僕しかいないから」


 右手に握り拳を作り、力を込める。

 腹立たしい笑顔の義兄をぶん殴ってやりたい気持ちを抑えて肩を落とす。


「じゃあ頼みましたよ剣豪・・一刀さん」


「お姉さん……」


 俺はその場で絶望するしかなった。

 しかし嘘がバレるわけにもいかないので、顔や態度に出す訳にはいかない。

 ただ義姉には気づかれている気がしてならないが。


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