第2話

「やりましたね。術は成功ですよ」


「ああよかった。なんとか助かったみたいだね」


 誰かの声が聞こえた。

 目を覚ますと、見慣れない木の天井が正面に広がり、男女の会話が耳に入った。

 親に部屋へ運ばれたのだろうか。それにしても我が家にこんな天井あっただろうか。

 それに感覚的に、ベッドに寝ているようだった。

 我が家にベットはない。

 目を周辺に向けるが、妙に家具が古臭く、日本っぽくないし、天井にあるはずの蛍光灯が無い。

 代わりというのか、木の台上にランタンが置かれている。


「なんだここ……」


 体を起こすと、大きな木の机を横にして、その後ろに身を潜めている2人の存在を確認した。

 2人は顔を机から出し、じっとこちらを見ている。

 青髪の女の人と、黒髪の男だ。

 女の人も美人だが、男の方も女性と勘違いしてしまいそうなほど、中性的で綺麗な顔をしている。


「誰……ですか」


 恐る恐る声をかけると2人は顔を見合せ、首を傾げた。


「記憶がハッキリとしていないのかしら」


「さあ、どうなんでしょうね」


「全くグローチアはいい加減なんだから。そんなんだからうだつが上がらないのよ」


「しょうがないじゃないか。魂呼たまよびの術なんて初めてだったんだから。そう言うなら君がやってもよかったのに」


「まあ酷い。人に責任を押し付けるのは愚か者のすることよ」


 2人はその場で言い合いを始めてしまった。

 男はどうやらグローチアというらしかった。

 いや、それよりも今信じられない言葉が男の口から出ていた。

 魂呼び。魂呼びとは、死者の名前を呼び、魂を呼び戻すという、どこかの地方に伝わる伝承のようなものである。

 そんなもの、存在するわけが無い。だいいち俺は死んでない。

 だが2人は大真面目に話している。嘘をついている気配は無い。

 視線を下に向けると、白い布団の上に黒い魔法陣のようなものがびっしりと描かれていることに気がついた。 


「うわ……なんですかコレ」


 ふたりを刺激しないよう、そっと魔法陣を指差しながら尋ねる。


「ん? なにって、術のための魔法陣ですよイットウ」


 男の人が答えてくれたが、全く意味がわからない。

 それに何故か俺の名前を知っていた。


「え。なんで俺の名前を……」


「なんでって、僕は君の兄なんだから当然ですよ」


「へぇ?」


 この人は何を言っているのか。

 俺に兄は居ない。6歳年下の弟はいる。

 俺はベッドの毛布を蹴りながら、後ずさりした。

 すると後ろが壁ではなかったのか、勢いよく後ろに落ち、背中を打った。


「痛!」


「大丈夫ですかイットウ!」


 すぐに2人が駆け寄ってきた。

 激痛が辛かったが、2人の格好ははっきりと見えた。

 2人ともくたびれた古臭い洋服を着ていて、現代日本には売っていなさそうなデザインをしている。

 男の人は本当に心配そうに俺を伺っていた。

 慈愛深いその目は心地よいものだが、自分に向けられているものでは無いように思えた。

 この状況がどういうことなのか知りたかった俺は、男の人へ尋ねた。


「あなたは本当に誰なんですか。俺に兄はいません。弟ならいますが。それにここは」


 ────


 グローチアが説明してくれた。

 自分の弟が仮死状態で見つかり、魂を呼び寄せるために術を施したと。

 確かに自分の体を確認すると、日に焼けたはずの腕は白く、少し細く頼りがない。

 俺も説明した。家で寝ていて、気がつくとここにいたことを。

 日本だとか東京だとか言っても伝わらないだろうと思い、眠っていたこと、そして何故か名前がその弟と同じだということを。

 

「つまり、イットウ君の魂を呼び寄せるつもりが偶然同じ名前だった一刀さんの魂がイットウ君の身体に呼び寄せられてしまったということですか」

  

 彼の代わりに女の人が全て言ってくれた。

 なんとも信じ難い、現実離れした話だが、それが一番真実に近いだろう。


「ていうか、なんで俺の魂が……。寝てただけなのに」


「ああ、寝てる時って、時々魂が浮遊することがあるんですよ。まあそれでもその時に別の体に吸い寄せられることなんて普通はありませんが」


「そんな……帰る方法は?」


「無いことは無いと思いますが、私たちでは何も」


 女の人が淡々と説明する。もう既に状況を受け入れているようだ。

 帰り方はわからない。その事実が重くのしかかる。


「そうだったのか……」


 そんな俺を他所にグローチアは後ずさりし、肩を落として床に膝を着いた。

 落胆の色がハッキリと見える。

 なんとも言い難い罪悪感が湧き上がる。


「しょうがないのかもしれないね。死んだ弟を生き返らせるなんて、無理な話だったんだ」


「グローチア……」


 女の人がグローチアの肩を担ぎ、部屋の扉へ歩いていく。

 女の人は微笑んで会釈すると、グローチアを連れて部屋を出ていった。 


 しばらくベッドの上で居ると、徐々に魔法陣が薄れていき、完全に消滅した。

 窓の外に目を向けると、どこか懐かしい、それでいて初めて見る景色が拡がっていた。

 道路はコンクリートで舗装なんてされず、ただ土を綺麗に慣らしただけのもので、車の代わりに馬車を引いている人がいた。

 人々の服も、洋装と言っていいのか、ただ簡単に縫い合わせただけの着物が多い。

 窓の外を眺めていると、涙がこぼれだした。


「なんでこんなことに」


 帰ることは出来るのだろうか。

 家で眠っていた俺の体はどうなったのか。

 魔法が存在する世界なんて別に憧れもしない。

 なぜなら俺がなりたいのは剣豪だからだ。

 もう剣豪になることは出来ないかもしれない。

 そう思うと、涙がこぼれ出した。



 泣くと色々と整理がついたのか、穏やかな心地になれた。

 あの2人がどうなったか気になり、ベッドから降りた。

 身体は軽く、痛みも何も無い。

 この体の持ち主もほぼ死んでいたようだが、一体何があったのだろうか。

 部屋を出ようとドアノブに手をかけると、俺が開くより先に開かれ、目の前に人の鎖骨が現れた。


「あ……」


 見上げると目の前にはグローチアが居た。

 俺は咄嗟に、涙の跡を隠すため目を擦った。


「イットウ……いや一刀君」


 俺の名前を言い直したが、読みが同じだからその違いは分かりにくい。

 

「帰る場所はあるのかい」


 優しさの含まれた声で言った。

 見ず知らずの世界に来た以上、どこにも帰る場所なんてない。


「ないです……どこにも」


「そうか。じゃあここに居たらどうかな」


「え?」


「これも何かの縁だし、たとえ中身が入れ替わっても弟であることに変わりは無い。だから、君さえ良ければだけど、ここで僕らと暮らさないか。エミリアも同じことを言っていた」


 グローチアの提案はありがたかった。

 しかし、見た目が変わったならともかく、中身が入れ変わればそれはもはや別の人間じゃないのかと、言いたくなってしまう。


「僕の事はグローチアと呼んでくれ。なんだったら兄さんでもいいから」


 おでこの辺りに生暖かい風が当たる。

 俺はその風の正体を察した。

 この男はかなりの弟溺愛者だ。


「分かりました。お世話になりますお兄さん」


 瞬間、グローチアもとい義兄は後ろへよろけて壁にぶつかった。


「大丈夫ですか」


「大丈夫、なんてことは無いよ。ただつい嬉しくてね」


「そうですか」


 浮ついた顔が気味悪かったので、何も聞かないでおく。 


「まあとにかく、今日からよろしく頼むよ。この部屋を自由に使ってくれ」


 そうして俺は、この一家でこの人の弟として暮らすこととなった。



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