第33話:加速する事態


 森の道を引き返している途中。


 その殺気と悪意を垂れ流す気配に、ラルクはすぐに気が付いた。


「っ! これは……」


 木々の隙間から見えたのは、北の空から村の方へと向かう一体の赤い竜。


「まさか……あれが」


 その気配からは友好的な気配を一切感じない。村へと向かう目的がなんであるにしろ、絶対にまともなことではないことが察せられる。


「止めないと」


 ラルクの脳裏に、過去の光景が蘇る。


 燃え爆ぜる街。

 人々の絶叫。悲鳴。


 街の中心で吼える青い竜。腕の中で息を引き取った少女。


 怒り。激情。


「やらせん」


 悪意ある竜は、ただそれだけで人の街を簡単に燃え払うことができる、災害のような存在だ。


 そんなものをキーナ村に、ディアやメアのいる場所に行かせるわけにはいかなかった。


「待て!」


 ラルクが大斧を構え、叫ぶ。


 同時に魔力を込めて、大斧から青い雷を空へと向かって放った。


 それはその赤い竜を惹きつけるに、十分だった。


「今のは……」


 赤い竜が反転。ラルクの周囲の木々をただ翼の一打ちで薙ぎ払うと、彼のすぐ傍へと着地する。


「なんでてめえがこんなところにいるんだ……〝竜断〟よお!」


 赤い竜――ザグレスが大斧を構えたラルクを睨み付けた。しかしラルクには、その竜に見覚えがない。


「なぜ俺の名を知っている」


 その問いを、ザグレスがくだらないとばかりに鼻で笑った。


「はん、なんで知ってるかって? 馬鹿馬鹿しい質問だ。お前、自覚ねえの? 俺らの同胞をお前はどれだけぶっ殺したって話だよ。俺ら反人派からすれば、お前はまっさきに殺すべき奴筆頭だぜ」


 そんな殺気混じりの言葉を聞いて、ラルクが大斧を握る力を強めた。

 それはこれまでに出会った竜に、何度も言われたことだった。


 そしてそう言ってきた竜をすべからく、殺してきた。


 それが恨みの連鎖だと知っていても。


「人界に何の用だ」

「お前に用なんかねえよ。いや、ここにいるってことはまさか……それにお前から微かにだが――


 ザグレスの言葉に怒りが混じってくる。


「ディアの知り合いか……」


 それは……いつかそういう日が来るかもしれないとラルクも思っていたことだ。


「ディアはどこにいる。まさか殺しちゃいないだろうな。もしそうなら、もう人界は終わりだよ」

「お前はディアを探しに来たのか」

「そうだ。あいつには帰ってきてもらわないと困るんだよ」

「そうか」


 ラルクがその言葉と共に――

 

 大斧が地面へと落ち、金属音が鳴り響く。


「……は? 何やってんのお前」

「ディアが竜界へと帰りたいのか、帰りたくないのかまでは俺には分からない」

「どういうことだ?」


 ザグレスがラルクの態度を不審に思い、その長い首をもたげた。


「今、俺はディアと共に暮らしている」

「はあ?」

「その生活に俺は満足している。きっと彼女もそうだ。だから……本人が帰りたいと言うまで、ソッとしておいてやってくれないか」


 そのラルクの頼みを聞いて、ザグレスが吼える。


「ふざけるなよ人間! あいつが人間なんかと暮らすわけがない! そうか……そういうことか」


 ザグレスが翼を広げた。

 周囲の空気が歪むほどの魔力が彼の下へと集中する。


使使


 ザグレスが激情が魔力となって周囲に放出される。


 それを真正面から受けて、ラルクは思わず後ずさってしまう。

 だが、何に怒っているのか全くわからない。


 使役の魔術なんてものは、ラルクも聞いたことがなかった。


「……何の話だ」

「もういい。てめえはどっちにしろ殺す。生きているというならディアも連れて帰る。場合によっては人界は滅ぼす。それだけだ――だから死ね」


 ザグレスの言葉は、途中から燃えさかる火球となって――ラルクへと放たれた。



***


 ラルクの家にて。


「へえ~、そんな馴れ初めなんだ……ラルクお兄ちゃんらしいというか」

「えへへ、そうなんですよ~。でもまさかラルクさんにこんな可愛い妹さんがいるなんて知りませんでした」

「いやいや、ディアちゃんには敵わないよ。主に胸の大きさ辺りがね。ほれほれ、もっと揉ませろ!」

「ぎゃあ! やめてください!」


 なんてソファでじゃれ合っているディアとシエルを見て、青子が苦笑する。


「一時はどうなるかと思ったけど、これはこれで主様が帰ってきたらびっくりしそうね~」


 青子がシエルの空いたカップへと果実酒を注ぐと、シエルはお礼を言いながら、スッと目を細めた。


「しかし……その話、ちょっと気になるね」

「気になるって何がです?」


 ディアの疑問に、シエルが腕を頭の後ろで組みながらソファの背へともたれかかった。


「そのディアちゃんを儀式で使おうとした連中。テラリス教団っていうヤバい連中でね」

「ほー」

「ほー、じゃないよディアちゃん。もしラルクお兄ちゃんが来なかったら、君はとんでもない魔術の核として使われることになったんだから」

「とんでもない魔術……ってなんです?」


 それにシエルはすぐに答えずに、天井を見上げた。


「……これは僕の竜狩り隊の副隊長、という肩書きですらも本来は知ることができない超機密情報なんだけどね。テラリス教団は、おそらく〝竜操術〟を現代に復活させている」

「りゅーそーじゅつ?」


 なにそれ? とばかりにディアが首を傾げる。


使さ。竜すらも自在に操るその魔術は、禁忌としてとっくの昔に禁止されたはずなんだ。ところが、あいつらはそれをどこからか見付けてきたんだ。使役の魔術にはね、竜の魂が必要なんだ」

「つまり……私の魂ってことですか」

「そうして君の魂は奪われ、残った肉体はネクロマンサーに使われてしまう。実際に数年ほど前にも、実際に使役の魔術が使われたらしくて、とんでもない事件が起こった」


 シエルが再び果実酒に口を付け、語りはじめた。


「とある強大な竜が、反人派と呼ばれる竜界の過激派ではなく、友愛派として外交の為に帝国へとやってきたんだ。ところが式典中に突如その竜は暴れはじめた……」

「なんで……だってその竜は友愛派なんでしょ?」


 ディアも竜界にいたから分かるが、竜は主に三つの派閥に分かれていた。


 人類との和平を望む、友愛派。

 人類とは相互不干渉を求める、静観派

  

 そして……一番数が少ないながらも、最も過激で竜界でも危険視されている反人派。


 竜界の支配層に位置する竜達は概ね前者二つのどちらかであり、だからこそ今のところ竜界と人界の間には問題はあれども争いは生まれていなかった。


「その通り。結果としてとんでもない被害を出てしまったが、結局その竜は討伐された。なぜその竜が急に暴れたのかについては様々な憶測が立ったが、人界と竜界を対立させたい派閥による妨害工作だというのが有力で、その為に使われたのが使役の魔術だったようだ」

「そんな事件があったなんて……私知りませんでした」

「ま、竜界としても体裁が悪いからね。きっと揉み消したのだろう」

「そんな魔術があること自体、多分みんな知らないと思います」


 もし自分に使われたら……そう想像するだけでディアは身震いしてしまう。


「気になるのは……あいつらはディアちゃんを犠牲に、一体を使役しようとしていたかなんだよね。当然、魔術を発動させようとしているなら、使う相手もいるはずだ。そもそもディアちゃんも相当に強い竜だろ? そんな君を操らずに生贄にしようとするんだから……よっぽどの大物だ」

「……分かりません」


 ディアが落ち込んだ様子で、そう言葉を返した。

 今までラルクの下で楽しく暮らしていたけども、世界は思ったよりずっと複雑で、嫌なことが多いことが分かった。


「ま、でもその目論みは失敗に終わったのだからいいじゃないか! まあ少なくともラルクお兄ちゃんの傍に居れば安心さ!」


 シエルがディアを安心させるように、肩へと手をポンと置いた。


「……ありがとうございます」


 その気遣いが嬉しくて、ディアが小さく笑みを浮かべた。


 妹さんも良い人で良かった――そう思った瞬間。


「……え?」


 世界が震えたとも形容できるほどの強大な魔力が――キーナ村を覆った。


「……っ! 今のは!」


 シエルは脇に置いていた剣を掴むと同時にソファから離れ、外へと飛び出す。


 そうして彼女は、魔力の主がいるであろう方角、東の大森林へと走り出した。


「ま、待ってシエルさん!」


 その後を追い掛けるディア。


 彼女は、その魔力の主を嫌というほど知っていた。


「なんで……お姉ちゃんが」


 そうして、ディアがシエルに追い付いた場所で見たものは――


「っ! 嘘……」


 赤い竜と黒い竜――ザグレスとアダマンの足下に倒れている、ラルクとリーシャの姿だった。

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