第9話:東より厄災(間話)


「おいおい……そりゃあまさに邪竜の出現じゃないか」


 デナイ男爵が面倒臭そうにそう仮面の男に言葉を返した。その顔に浮かぶのは恐怖ではなく、ただ億劫だという表情だけ。


「それがそうとも言い切れなくて。なんせ厄災級クラスの竜の魔力のわりに、今のところ一切被害が出ていないからです。本来であれば、この街程度ならそれこそ愉快に爆発四散する規模の魔力でしたので」

「何かの間違いでは?」

「かもしれません。ですが、備えはしておくべきかと」


 その忠告を聞きながら、デナイ男爵を耳をほじった。


「やれやれ……厄介な土地の領主になったもんだ。しかし、備えと言ってもな。帝国軍の竜狩り隊どもは北で暴れている〝冥老竜〟に手こずっているようだし」

「ギルドに依頼して冒険者を派遣してもらうのは如何でしょう?」

「先日、何やら有名な竜殺しが引退したらしくて、ギルドは大騒ぎになっているらしいぞ。今依頼しても、すぐには来ないぞ」


 その言葉を聞いて、仮面の男がその仮面の下でスッと目を細めた。


「ならば……自前の兵でなんとかするしかないですね」

「俺は暴力が嫌いなんだよ。兵だって最低限治安維持できる程度しかいないのをお前も知っているだろう」

「ええ。ですが、それで竜界と接しているこの難しい土地を、結果として今のところ守れているのは素晴らしい手腕かと」


 それは、この一見すると成金趣味の堕落貴族に見えるデナイ男爵への、仮面の男の嘘偽りない評価だった。


「褒めても報酬は増やさないぞ」

「それは残念。ならば耳よりな情報を一つ」

「なんだ、言ってみろ」


 デナイ男爵が酒を飲む手を止めて、仮面の男へ鋭い視線を向けた。


「この州の東端にあるキーナ村で、面白い噂が流れているそうです」

「ほう? あの村でか。あそこはだからな」

「ええ、仰る通りで。なんでもレッサードラゴン……その中でもかなりの上位に位置するガイアリザードを狩った夫婦がいるとか」

「あのガイアリザードを、夫婦で?」


 デナイ男爵が思わず聞き返してしまう。

 彼は暴力が嫌いで、なんでも力で解決することを良しとしない性格だが、かといって軍事面に疎いわけでは決してなかった。


 レッサードラゴンも千差万別ではあるが、一番弱いと言われるワイバーンでも、軍の出動が必要なほどに厄介な相手。


 そんなレッサードラゴンを少人数で狩れるのは、そういう風に訓練された帝国軍の特殊部隊である〝竜狩り隊〟か、高位冒険者ぐらいだ。


 だからこそ彼は、夫婦でレッサードラゴンを狩ったというその話をすぐに信じることができなかった。


「ええ。なんでも、大森林にいたガイアリザードを半日も掛からず討伐したそうで。そのせいもあって村人達もその夫婦を英雄視しているとか。なんせあの村自体は平和でも、一歩外に出ればレッサードラゴンに魔物がひしめく山に森、それにあの恐ろしき悪魔達が支配する海に囲まれた、まさに魔境と呼ぶに相応しき土地なので」

「その夫婦とやらは冒険者じゃないのか?」


 もしそうだとすれば、いくら領主の権限があっても彼らを兵として駆り出すことはできない。ギルドは名目上はいずれの国からも独立しており、皇帝ですら直接は命令を下せないという。


「いえ。一応確認しましたが、現時点であの村の住人で冒険者登録している者はおりません。ギルドから派遣されている冒険者は二名いますが、彼らではないことは確かです」

「普通の村人がガイアリザードを狩れるかね?」

「……あの土地の住人であれば、あるいは」

「ふーむ」


 デナイ男爵が腕を組み、考えはじめた。

 ただの村人であれば兵として招集するのは問題ない。その権限もある。

 しかし、ガイアリザードを夫婦で狩れるほどの実力者を、無理矢理招集するのは結果的に、自分へと不利益が返ってきそうな気がしていた。


 そういう暴力装置とは、できれば穏便な関係でいたいものだと常々彼は考えていた。

 そういう慎重かつ対話派の彼だからこそ、男爵という貴族の中でも低い位でいながら、帝国にとって一つの要所であるこのレザンス州を任されているのだ。


「まずは一度会われてみては? ガイアリザードを狩り、村を守ったことに対して感謝したいという理由があれば、相手を損ねることなく呼び出すことは可能でしょう」

「確かにな」

「同時にギルドには協力要請を出しておきましょう。厄災級クラスの竜の魔力が発生したと言えば、時間は掛かるかもしれませんが、誰かは寄こすでしょう。幸い、何やらSランク冒険者がお忍びでレザンス州にやって来ているという噂もあります。あるいはその冒険者が対応してくれるかもしれません」

「それでいこう。ほら、報酬だ」


 デナイ男爵が金貨の入った革袋を、仮面の男へと投げた。


「ありがとうございます。剣よりも情報を重視する貴方様とこうして取引ができて光栄です。それでは、万事手配いたします」

「ほれ、さっさと行け」


 デナイ男爵が犬でも追い払うように手を振ると、仮面の男が退室していく。


 執務室に一人残った彼はため息をつき、窓からこの州都バレンジアの景色を眺めた。


「俺の代の間だけでも、平穏であってくれよ……」


 そう願うデナイ男爵であったが、それは叶わぬ夢となる。



***


 キーナ村の酒場の片隅にて。


「ねえユーリ」


 そう声を出したのは、鎧と槍で武装した一人の背の高い金髪の女だった。周りの村人達から浮いており、明らかによそ者であることが分かる。


 その女にユーリと呼ばれた男もまた、剣と盾を装備した茶髪の青年であり、まだお昼だというのにその手にはジョッキ。


「んだよ、ミーヤ」


 ユーリが鬱陶しそうにミーヤへと言葉を返しながら、ジョッキに入った果実酒をあおる。


 昼間から暇そうに酒を飲んでいるこの二人は、ギルドからこの村へと派遣された冒険者だが、その様子を見ると分かるように最近はあまり仕事をしていなかった。


「村の人、みんなあのラルクとかいう人の話ばかりしてるけど、大丈夫かなあ。その人に依頼しようって言っているけど」

「……ちっ」


 ユーリが露骨に舌打ちをする。


 自分達がこの村に派遣されているのは、村を守る為である。だからレッサードラゴンや魔物が出ればそれを狩るし、その報酬で日々の生活を成り立たせていた。


 しかし最近この村に帰ってきたラルクとその妻が、ガイアリザードを討伐したという。


 そのせいで村中が、その夫婦の話題で持ちきりだった。

 それがユーリには面白くなかった。


「手のひら返しやがって……」


 ついこないだまで〝冒険者は凄い〟〝流石ユーリさん〟なんて言っていた村人達が、自分達に見向きもしなくなった。


「やっぱり、ガイアリザードを放置してたのがまずかったんじゃ?」

「はあ? 今更言うなよ。お前が絶対に無理だって言うから、適当な理由付けて討伐を延ばしていたんだろうが」

「だってあれ、私らだけで倒せる?」


 二人はラルク達が訪れる前に一度木こり達から依頼を受けて、あの大森林を捜索していた。その時にガイアリザードと遭遇し慌てて逃げ帰ってきたのだ。


「……無理だな」

「でしょ? でもこうなると、依頼が私達に回ってこなくなるかも」

「それは困るな」


 冒険者にレッサードラゴンや魔物の討伐を依頼すると、当然報酬が発生する。しかし、ただの村人であるラルク夫婦に依頼すれば報酬を払わなくて済むと村人達が知ったら……間違いなくこちらに仕事が回ってこなくなる。


「ギルドに報告する?」


 そのミーヤの提案を、ユーリがすぐさま却下する。


「したら帰還命令を出されるだけだぞ。お前、俺達の目標忘れたのかよ」

「なんだっけ」

「忘れんなよ。〝競合相手がいない田舎でさっさとポイント稼いでAランクになって帝都で華々しく冒険者生活〟だろうが」

「そうだった」


 そんな相方の言葉に、ユーリがため息をつく。


 冒険者がランクを上げる方法はただ一つ。依頼を達成した際にギルドから与えられるポイントを溜めること。このポイントが一定数以上になるたびにランクが上がるというシステムになっている。


 そのため、依頼数が限られている上に冒険者の数が多い帝都でいきなり冒険者をやっても、なかなかランクが上がらないという。


 なのでユーリは幼馴染みで腐れ縁のミーヤと共にわざわざこの田舎へとやってきて、依頼を独り占めすることでコツコツポイントを溜めてきたのだ。


 そのおかげで、二人はもうすぐ高位冒険者であるBランクへと到達しそうだった。

 

 だがそれも今は打ち止めの危機だ。


「せめてBランクになるまではここで稼ぎたい」

「だね。でもどうする?」

「そのラルクとやらに直接言うしかねえ」


 ユーリが自分の酒を飲み干すと、立ち上がった。


「どこ行くの?」

「話聞いてたのかよ。ラルクとかいう奴のとこに行くんだよ」

「……ガイアリザードを討伐する相手だよ?」


 ミーヤが心配そうな顔をする。


「別に喧嘩するわけじゃねえよ。ちょっと、するだけさ」


 その言葉と共に、ユーリは残っていた酒を名残惜しそうに見ていたミーヤを引きずって、ラルクの家へと向かったのだった。


 冒険者としての運命が変わるとも知らずに。



*あとがきのスペース*

というわけで新キャラあれこれ登場です。


*補足*

冒険者のランクはシステム上、ランク=実力とはなりませんが、Sランクだけはどれだけポイント溜めても一定の実績がないとなれないので、イコール冒険者の中でも最強となります


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