バスタイム
それから少しして。
「……」
おぼつかない足取りで靴を脱ぎ、家に上がる。
玄関に敷いているカーペットだけは踏まないように注意しつつ、俺はそのまま浴室へ。
そのままスーツを脱ぎ、脱いだ服は、湯割りの漂白剤に漬けて洗面台に置くと、上がった時用のタオルだけを置いて、俺は風呂場へと飛び込んだ。
そのままの流れできゅっとシャワーの栓を回すと……
「……うわぁ」
自分のものでない血液と体液が流れ去っていく様を眺めながら、俺は思わず嘆息した。
きったねぇ。
きったねぇが……やっとだ。
「やっとスッキリした~……」
いやー何度見ても相当きたねえな。
まさかこうも気持ちよく落ちてくれるとは思ってなかった……まぁ、服の方はこうも簡単には取れないんだろうが。
そんな一種の諦観というか、覚悟を決めつつ、俺は改めて思い返す。
いやーそれにしても。
実際……よく無事だったものだ。
思い返すのは呑み込まれる前の直前の景色。
空中で、どろどろに溶けた肉塊は俺の視界を覆い、嫌が応にも、死というどす黒い概念を思い起こさせる。
その時のことを思い返し、俺は思わず体を震わせた。
……今まで、肌を抉られたり、魔法で焼かれたりはあったものの、取り込まれるというのは初めての体験だった。
あまり考えたくはないが、アイが助けてくれなかったら今頃どうなっていたことやら……だな。
まぁ、あまり弱みを見せたくない奴に借りを作ったのも結構な痛手ではあるのだが。
そんなことを考えながら、上から下まで。
俺は一通り済ませてからシャワーを止めた。
さ、休憩もそう長くは無いんだ。
さっさと着替えて向かうとしよう。
そう考えながら風呂場のドアを開けた時だった。
「あっ……」
「……は?」
俺は洗面台で漂白剤に漬けた俺の服を擦ってくれている(……くれている?)女と目が合ったのだった。
それが誰かは言うまでもなく……
「あ……その……お、お邪魔してます……先輩」
…………お邪魔してんじゃねえよ。馬鹿野郎。
「んで?結局何で居んだよ、お前はよ。」
それから素早く体を拭いて着替えた後のこと。
俺は正座させたアイを椅子の上から足を組んで見下ろしていた。
「い、いえその……先輩に褒められてつい調子に乗っちゃったというか、もっとお役に立ちたいと思ったというか……すみません。」
……案の定だ。
もう悪影響が出てやがる。
これは本人の気質ってのもあるんだろうが……俺も悪い…悪いのかなぁ。
「……まぁ、わかった。二度とすんなよ。」
そんな引け目もあったので、そこまで強く言えないことを恨みつつ、俺はそう言った。
が。
「ほら、わーったら、直ぐ出てけ」
それはそれとしてこれ以上の滞在は許さない。
『それはそれで、これはこれ』ってやつだ。
ただでさえ休めてないってのに愛玩動物なんて飼ってる余裕はウチにはありません。
そうぐいぐい背を押して玄関に向かっているのだが……まぁ、暴れる暴れる……えいっ
「ちょっ!ちょっと話、むぐっ」
そんなアイにしびれを切らし、俺はアイの口を左手で塞ぎ、脇に抱える。
そのまま外に捨ててやろうと玄関の方に向かった時だった。
「って!!!」
ガリッと左手に感じた鋭い痛み。
それに思わず力を緩めると、片腕だけでは一層暴れだしたアイを抑えきれず、取り落としてしまったのだった。
危ない!落ちる!と、咄嗟に手を伸ばしたのだが、どうやらその心配は必要なかったらしく、しっかり受け身を取ると、するすると俺の足元を逃れ、玄関を背にこちらへ向き直った。
マジで犬みてぇな野郎だなこんにゃろう……
うっかり心配してしまったことを後悔しつつ内心ひそかに感心する。
なるほど、こっち向かれたら手ぇ出しにくいこととかわかってんだなこいつ。
小癪な……どこで知恵つけてきやがった……
「ちょ!ちょっと話を聞いてください!」
そんなことを考えていると、肩で大きく息をしながらアイはそう吠えた。
話を聞くも何も……
「んだよ、今んとこお前の不法侵入ってだけだから酌量の余地も無いぞ」
「だから弁解しようとしてるのに先輩が許してくれないんじゃないんですか!」
「ったりめぇよ、俺からすりゃ、ただ追いだしたら済む話なのに、何で無駄に話をややこしくせにゃならんのだ」
「分かっててやってたんですか!?先輩の鬼!悪魔!!」
「生憎俺はそういうのを殺す側だ」
我ながらそう律儀にツッコミを入れつつ、俺はアイに歩み寄った。
「うわっ、ちょ、ちょっと!それ以上近づかないでください!い、良いんですか?む……お、おっぱいですよ!司法に守られた女の武器ですよ!先輩ヘタレだからこういうの苦手でしょ!!」
そう頬を染めながら叫ぶように言うアイ。
恥ずかしいなら止めとけよ……
内心そんな風に呆れつつも、俺は歩みを止めない。
そのまま慌てふためくアイの前で足を止めると……
「ヘタレじゃねえ、ただ怖いだけだ」
俺にとって譲れない点を訂正しつつ、俺は足をかけてアイを背面に押し倒した。
まぁ、結局のところ、触りさえしなければ……動かれさえしなければ、怖くもなんともないのだ。
「はーい、それじゃあ行きますよー」
そのまま喚くアイを再び脇に抱え、俺は玄関に向けて歩き出……そうとしたのだが。
「ユキ先輩!」
突然アイの口から気になる単語がとびだしてきたのだった。
「は?」
「ユ、ユキ先輩に頼まれたんです!」
頼まれたってお前……
「いや、そりゃ無理があるだろ」
だってそうだろ?
ユキはあれで気が利く奴だ。
そんな奴が一時間なんて、体を洗えば一瞬で終わりそうな休憩時間を指定してきた上で、足手まといまで送りつけてくるとは考えにくい。
そう……それが例えあのユキでも……ユキでも……
アイツなら理由さえあればやりかねんか。
そんな思い至った結論から目を逸らしつつも、俺は知らんぷりで否定を続けることにした……が。
「いやいや!ホントですって!……こほん『良かったら真の身支度を手伝ってあげてくれない?あの子、一度ハマると長いから……え?不法侵入?悪魔に成ったとはいえ、人間に銃を向けた貴女がそれを言うの?』……って、真顔で……」
思いの外似ていた、やたら解像度の高いアイの声真似に吹き出しそうになるのをこらえつつも、俺は思わず同情してしまった。
要するに……だ。
「足元見られたんだな……」
「はい……」
うーん、アイツらしい。
容赦ってものを知らないからなぁ、アイツは。
はぁ……こうなっちまうと仕方ねぇか。
「あーもー、わーったよ。ここに居て良いよ」
「えっ!?良いんですか!?」
「あぁ、ただ色々分かってんだろうな?」
そう凄むつもりで顔を近づけたのだが……
「はい!そりゃ勿論!決して邪魔にはなりませんから、末永く私をここに置いて下さいね!」
……ん?
「……なに言ってんだお前、俺の身支度を手伝ってくれるってのはこの休憩時間だけの話だろ?それがなんで末永くなんて……それじゃあまるで……」
ずっとここで暮らすみてぇじゃねぇか。
そこまで言おうとしたところで、ニヨニヨと、今までに見たこと無いほど、口角を吊り上げるアイと目が合った。
……なるほどなるほど。
これって詰まるところ……
「なんか知らんが騙された?」
「いえいえ~、そんな、私ごときか先輩様を騙すだなんてそんな~えへへ」
……なんか腹が立つ……腹は立つのだが……
「なんの意味が有るんだ?」
そう、例え今日許したとしても、こんなもの、今後は入れなければ済む話だ。
まさか今の同意の言葉だけで何らかの拘束力が発生する訳じゃ有るまいし……
そんなことを考えながらも、アイが口にする次の言葉を待っていると……
♪~~
閑静な部屋に、突然俺の知らない音楽が鳴り響いた。
その音源がアイの辺りから聞こえる辺り、これは多分……
「すいません、私です。出てもいいですか?先輩」
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
そう言って、俺の腕から降り、胸の内ポケットから取り出すと、アイは胸の前にスマホを構えた。
「あ、もしもし~」
「もしもし、こちらユキ」
スピーカーで話し始めたのだった……ってか相手ユキかよ。
一体なんの用だろう?
まさかいつの間にか集合時間を過ぎていたってことは……いや、まだ余裕あんな。
部屋の壁掛け時計を見ながらそんなことを考えていると……
「どう?もう言質は取れた?」
「はい!ユキ先輩ってばベストタイミング!ちょうど今取れた所です!」
んん?
俺抜きで進んでいた奇妙な会話に思わず首を傾げる。
言質?
言質っていうと……さっきのあれか?
……なんだろう、とてつもなく嫌な予感がするんだが……
「そう、それなら良かった。じゃあ……真。そこにいるんでしょ?」
ほら来たよ……
「……おう」
「真、久しぶりの先輩命令。しばらくその娘を囲ってあげて」
「はぁ!?」
スピーカーから流れたいつもの無機質な声に思わずそう声上げる。
『先輩命令』
うちの組織独自のルールというか、そのトップであるシラユキが決めたもの……らしい。
ざっくり説明すると、こんな感じだ。
ここでは、年功序列が重視され、いつも対等のように話しているユキと俺の間には確かな差がある。
その差というのが、『絶対命令権の有無』
一月に一回という制限こそあるものの、文字通りになんでも命令できる権利なわけだが、ユキはそれを、非常時に俺を逃がすためにしか使ったことは無かった。
そんなだから、俺としてはこのルールに対して不満は無かったのだが……
「……はぁ……ちゃんと訳は話してくれるんだよな?」
「もちろん」
「それで?期限は?」
「わからない、とりあえず、私が良いって言うまで。」
「はぁ!?……ったく、もー!!わーったよ……」
そんなあきらめ気味に俺はそう返したのだった。
「札を使わせないでくれてありがと。それじゃあ、また後で」
そういって一方的に電話を切るユキ。
前言撤回。
気遣いなんざ微塵もなかったわ……
「はぁ……」
この話題が始まってから何度目かもわからない溜息をつきつつ、俺はちらりとアイを見遣った。
そこには居心地が悪いようで、ちらちらとこちらを伺いつつも、どこか喜んだ様子のアイの姿。
こちらに目が合うと、慌てて目を伏せてしまうのだった。
はぁ……こいつも悪いやつでは無いんだが……なんだかなぁ。
まぁ、とにかくあれだ。
しばらくは騒がしくなるだろうな。
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