第5話 夜に電話をくれたのは
「快君。おはようございます。」
海花が快に挨拶をする。
「おはよ。」
快が海花に返事をする。
この瞬間、教室内の空気がざわついた。女子達が一斉にぎゅっと集まって、海花の方を見て話し始める。
「え、どういう事?快君が女子と普通に話してるんだけど!」
「っていうか、あの暗そうな子、誰?初めてみたんだけど…。」
「なんで、肝心な時に咲夜君は出てこないのよ!」
突然、痛い程の注目を浴びてしまい、海花は静かに席に座った。
(うぅ。やっぱり、快君と話すと目立っちゃう。でも、快君の友達になるって決めたんだから、こういうのにも慣れないと。)
海花が、机に置いた自分の手をじっと見ながら縮こまっていると、急に誰かから肩をグイっと掴まれた。驚いて振り向くと、すぐ近くに快の顔があった。
「快君!どうしたんですか?」
「そっちこそ、そんなに小さくなってどうしたんだよ。どれだけ気配を消せるか試してんのか?」
「いえ、その、そういうわけではないんですけど…。」
海花は、突然の快のアップに、心臓がびっくりしてしまい、目をぱちぱちと瞬きさせた。
「なんでもないなら、堂々としてろよ!」
快はそう言って笑うと、軽く海花の背中を叩いた。快の大きな手のひらを背中に感じて、海花はますます緊張してしまい、体が思うように動かなくなってしまった。快は、そんな海花の様子を面白そうに見ている。
そこに、遅れてきたまなが、そろそろと海花のそばにやって来た。
「おはよ、海花。これは一体、どうしたの?キャンプファイヤーでも始まるの?」
今や、海花と快を取り囲むようにして、女子たちがひそひそ話している異様な空間が教室に出来上がっていた。
「おはよう。まなちゃん。ただ、快くんと友達になっただけなんだけど…。」
まなが、海花の近くにやってきたのを確認すると、快はふいっと教室を出て行った。
「ありゃりゃ、お邪魔しちゃったみたいね。」
そう言うと、まなはいつものように海花の前の席に座った。それを合図に、“海花&快包囲網”もお開きとなり、いつもの朝の風景に戻っていった。海花はおずおずと言った。
「普通に快くんにあいさつしただけなんだけど、何だか目立っちゃったみたいで。」
まなは、軽い溜息をついて言った。
「まぁ、天崎はちょっとした有名人だからね。海花に友達が増えるのは大歓迎なんだけど…。だいぶ、大物とお友達になってしまったようだね。」
「うん。でも、快君悪い人じゃないんだ。ちょっと色々事情があるだけなんだよ!」
「そっか、そっか。まぁでも、よかった。毎日話しかけたかいがあったね、海花!」
まなが屈託なく笑うのを見て、海花はホッとした。
(まなちゃんは、私の気持ち。ちゃんとわかってくれる。)
そして、その一部始終を、教室の後ろから咲夜が冷たい目で見つめていた…。
❀❀❀
毎月第1週の土曜日は、剛と舞花のデートの日と決まっている。
「私は海花の“お母さん”であると同時に、剛さんの“最愛の恋人”でもあるんだから、月に1日は“恋人”を優先させてもいいわよね?」
だそうだ。というわけで、今日はその6月の第1週の土曜日。舞花は、柔らかい生地で出来た淡い紫色のワンピースを着て、髪の毛をアップに結い上げている。さっきまで、バッグは何色を合わせようかと、鏡の前でずっと粘っていた。その様子を眺めながら、剛は全然『悪くなさそうに』言った。
「悪いな海花。お土産買ってくるから!」
そうして、恒例のデートに出かける二人を見送った後、海花は一人で、野菜炒めとご飯にみそ汁で夕食を済ませた。とりあえず、塩入りお風呂に入ろうかと思ったところで、リビングの電話が鳴った。
プルルルル プルルルル
(こんな時間に電話が鳴るなんて珍しいな…。)
海花は、小走りに電話機に向かった。でも、心当たりがないわけではなかった。明日の日曜日は、海花は快と会う約束をしているのだ。と言っても、もちろんデートというわけではない。『英語でどうしてもわからないところがある』という快に勉強を教えるため、市の図書館で待ち合わせているのだ。快と学校以外で会うのは初めてで、明日の事を考えると、海花の気持ちはずっと落ち着かなかった。
「快君、都合悪くなっちゃったかな。」
海花は独り言を言いながら、一度深呼吸して受話器をとった。
「はい、もしもし加里野です。」
「海花さんのクラスメイトの天崎咲夜といいますが、海花さんはいらっしゃいますか?」
(天崎、くん?)
意外な人物からの電話に、海花は一瞬固まったが、どうにか声を絞り出した。
「はい、私です!海花です。」
「突然電話してごめんね。加里野さん本人でよかった。親御さんが出るんじゃないかって、ちょっと緊張してたんだ。スマホ、持ってないんだね?」
「あ…そうなんです。私、今まであまり必要なくて。ごめんなさい。」
「いや、そんな。謝るとこじゃないよ。」
「あの、でも、私の電話番号よくわかりましたね?」
一瞬、間があったが、咲夜はすぐに朗らかに答えた。
「うん。ごめんね。勝手に快から教えてもらっちゃったんだ。まずかったかな?」
「いえ、そんな事はないですけど。何か急な用事でしたか?」
海花は、あまり咲夜とは親しくない。というよりむしろ、“嫌われている”のではないかと、海花は感じていた。海花が快と話しをしていると、遠くから冷たい視線を送っているように感じた事が、何度もあったからだ。
(私の思い過ごしだったかな?)
電話ごしの咲夜は話しやすくて、海花以外の人に接している時の、“親しみやすい咲夜”そのものだった。咲夜は言った。
「急に加里野さんに連絡したのは、ちょっと事情があって、さ。」
「はい。」
「…実は、快がちょっと体調を崩してしまって。」
「え!快くん大丈夫なんですか?」
「いや、そんなにひどいわけじゃないんだけど。明日、図書館には行けそうにないんだ。快に、加里野さんに伝えるよう頼まれたんだ。」
「そうだったんですか。わかりました。お大事にとお伝え下さい。あ、でも天崎君の家は、天崎君と快君の二人暮らしですよね?看病とか、何か必要なものはありませんか?快君は、熱はあるんですか?咳はどうですか?お腹は痛くないですか?」
海花のあまりの気迫に、受話器の向こうで咲夜が少し笑っているのが聞こえた。
「加里野さん。大丈夫だから落ち着いて。快は微熱が少しあるだけで、他に目立った症状はない。本当に軽い風邪みたいなものなんだ。それに、僕は家事全般、こう見えても家政婦並みにこなせるから心配しないで。」
「そうでしたか。出しゃばってすみません!」
「いや。加里野さんが、従弟の快の事心配してくれてうれしいよ。」
「…いえ、そんな。」
海花は、一人で先走ってしまい、恥ずかしかった。
(でも、大した事ないみたいで、よかった。)
「看病の方は大丈夫なんだけど、一つ問題があって。加里野さんに力を貸してもらえると助かるんだけど、いいかな?」
「もちろんです!」
「加里野さん、快が大切にしている指輪、見た事あるかな?」
「はい。一度だけ、快君に見せてもらいました。快君がいつも首にかけている、お母さんの指輪ですよね?」
「うん、それ。(やっぱり、加里野さんは知ってましたか…。)実はその指輪を、快が学校のプールでなくしたみたいなんだ。その事ですごい落ち込んでて…。今日も、眠りながらうなされているみたいで、見てられないんだ。明日、学校に探しに行こうと思うんだけど、加里野さんも手伝ってくれないかな?あの指輪を見たことがあるの、僕と加里野さんだけだから、他の人には頼めないんだ。加里野さんは、快の友達なんでしょ?」
(プール…。お父さんに言ったら、絶対止められるけど。でも、プールで泳ぐわけじゃないし。どうしても、お母さんの指輪見つけてあげたい。)
海花は少し迷ったが、すぐに返事をした。
「はい、私、快君の友達です。もちろん、一緒に探します。明日ですね?」
「ありがとう。一人だと探しきれるか心配で。助かるよ。じゃあ明日10時に学校のプールで。」
「わかりました。明日、10時に。では、おやすみなさい。」
「うん。お休み。」
そう言うと、咲夜は電話をきった。海花も静かに受話器をおいた。
(天崎くんって、本当は、従弟思いの優しい人なんだな…。)
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