第3話 雨あがりの教室

その日は、朝雨が降っていたので、海花は遅刻して学校に登校した。


「2時間目は音楽か…。教室に荷物を置いてから音楽室に行こうかな。」


小さくつぶやきながら廊下を歩き、教室に入ってみると、快が自分の席に座っていた。快は、一人でぼんやりと窓の外を見ている。


(これは…もしかして、ミッション・チャンス!)


海花は、ぎゅっとバッグの肩ひもを握りしめると、教室のドア付近で立ち止まったまま、快に話しかけた。


「天崎くん。」


「……。」


やはり返事はない。海花は、もう少しだけ声の音量を上げて話しかけた。


「天崎くん。音楽室、行かないんですか?」


「……。」


快は、振り向こうともしない。


(ううう…。聞こえてないわけないのに。でも、負けない!)


「あの、天崎くん。もしかしたらですけど…新しい学校に、少し緊張されているんじゃないでしょうか?」


快は、ここでやっと、海花の方をちらっと見た。


(あ!こっち見た。)


海花は、早口で続けた。


「やっぱりそうなんですね?実は私も、教室に初めて入った時、本当に緊張したんです。」


「……。」


海花は、快の席に少しずつ近づきながら続けた。


「えっと、ですね。私、ここが、初めて通う学校で。実はわけあって、小学校には通っていなくて…。

初めて登校した日、知らない人が教室にたくさん座っていて、緊張したし…怖かったんです。だから、天崎君の気持ち、よくわかります。」


「……。」


海花は、快の隣の席(注:自分の席でもある)に素早くバッグを置くと、快をまっすぐ見て、言った。


「だから、天崎くんの力になりたいんです!」


しばらく、二人の間に沈黙が続いた。


(どうしよう…。やっぱり、余計なお世話だったのかな。)


海花が目線を下げようとしたとき…


「…ぷっ。」


我慢できないというように、快が口元を拳で押えて小さく笑い出した。


「…へっ?」


海花が驚きすぎて間抜けな声を出すと、快は肩を震わせて、大っぴらに笑い始めた。海花は目をまん丸にして立ちつくしていた。快は、そんな海花の様子がさらにツボにはまったらしく、しまいにはお腹を押さえて笑い出した。快の笑いの虫が、少し収まってきたタイミングで、海花はそっと口を開いた。


「あの、笑っているところ…初めて見ました。」


快は、笑い涙をぬぐいながら言った。


「お前、何なんだよ。」


「え?」


海花は、初めて快の声をちゃんと聞いた気がした。低音のあったかい響きの声だった。


「なんで、そんなにめげないんだよ?」


「私は、ただ気持ちわかるので、力になりたかったんです。」


快は、海花の目を見て言葉を返した。


「わかったよ。…もう降参。」


「どういう、意味ですか?」


快は一呼吸ひとこきゅうして、言った。


「お前を無視するのは、諦めるよ。」


(やっぱり、無視だったんですね…。)


海花は、少しショックを受けたが、続けて聞いた。


「あの、私を無視していた理由、聞いてもいいですか?」


「実は俺…女アレルギーなんだ。」


「え?女アレルギーなんて病気があるんですか?」


「アレルギーっていうか…、拒絶反応?女と話そうとすると、蕁麻疹じんましんが出たり、冷や汗が出たりするんだ。だから、あんまり人と関わらないようにしてる。特に女とは、さ。」


「そんな!大変じゃないですか。わかりました。私、すぐに出て行きます。」


海花は、あわてて教室を出ようときびすを返した。


「いや、いいよ。待てって。なんでだか、お前は大丈夫みたいだし。」


「…本当に大丈夫ですか?」


恐る恐る海花が快の方を振り返る。


「あぁ。」


そう言うと、快は素早くシャツを腕まくりして、真っ白なひじの裏を見せて言った。


「ほら。なんにもできてないだろ?アレルギーが起こると、この辺にぶつぶつが出来てかゆくなるんだけどさ。」


「何も、出来てはいないみたいですね。…本当にかゆくないですか?」


「あぁ。なんともない。」


海花はホッとして、それでも、快と少し距離を保ったまま聞いてみた。


「あの、立ち入った事だとは思うのですが…。」


「なに?」


快はすっかり観念したのか、あんなに頑なだった表情が、仮面を外したみたいにゆるんでいて、まるで別人のように見えた。そうして仮面の取れた快は、ぞくっとする程かっこよかった。冷たいだけに見えた目は、今では優しくて深い海みたいだ。その目は、今は海花の事をまっすぐに見ている。まともに見ていると、どんどん顔に血が集まってくる。海花は自分の心臓が“”ドン・ドン・ドン”と大きな音をたてるのを聞きながら、どうにか口を開いた。


「なんで女性アレルギーになってしまったのですか?もし原因があって、治す方法があるのなら、私、力になります!」


「…人の力になるのが、お前の趣味なのか?」


「そういうわけじゃないですけど…。」


(天崎君が、寂しそうにみえるので)


海花は、心の中に浮かんだその言葉を、口に出さずに飲み込んだ。


「俺んちはさ、きょうだいが俺しか、“男”がいなくて。

俺はまぁ、家業?…の様なものの跡継ぎってことでさ。父親も親戚も、みんな俺ばっかり大事にするから、姉たちが俺の存在を嫌がって…何かとつらく当たられて。

それから、女が苦手になったっていう感じかな。簡単に言うと。」


快は、他人事ひとごとみたいに淡々と話した。


「そうでしたか…。今まで、アレルギーが出ないで話せる女性は、誰もいなかったんですか?」


「…いたな、一人だけ。」


「お聞きしてもいいですか?」


快は窓の外に目をやって、少し間をおいてから言った。


「母さん。…もう死んだけどな。」


「すみません!!私ってば余計な事を。」


「いや、もう大昔の話。それに、俺にはこれがあるから。」


快はそう言うと、胸のあたりを左手で軽く押さえ、もう片方の手で海花を手招きした。海花は、気を付けながら快に近づいた。

快はシャツの胸元から、首にかかっていたネックレスを引っ張り出した。そこには、小さな金の指輪がぶら下がっていた。その指輪には、光にあてると七色に光る、つるっとした質感の丸い石がはめ込まれていた。


「これ、母さんの形見なんだ。」


「…すごくきれいですね。」


「だろ?」


快の嬉しそうな表情に、海花は胸がぎゅっと苦しくなった。


(さっきから、何だろう?今日、私、何か変なものでも食べたかな?

なんだか、心臓のあたりがおかしいよ…。)


胸のあたりをとっさに押さえた海花を見て、快は言った。


「具合、悪いのか?」


「いえ、大丈夫です。」


(天崎君に話しかけられると、胸が苦しいみたい…。)


心配してくれる快を見て、海花は、家で鏡に向かって何度も練習したセリフをり出す事に決めた。


「あの、天崎くん。」


「何?」


海花は、口元にぎゅっと力を入れて、その言葉を口に出した。


「私の、友達になってくれませんか?」


快はびっくりしたように海花をしばらく見ていたが、右手の人差し指で頬をポリポリとひっかいてから、少しぶっきらぼうに言った。


「まぁ、なってやってもいいよ。お前の名前は?」


「加里野 海花です。」


「かりの、うみか?」


「はい!」


海花が嬉しそうに笑い、快の目元にも笑みがこぼれそうになったその時、

突然、咲夜が教室に飛び込んできた。


「快!なんでこんな所に?」


走ってきたのか、咲夜は乱れた呼吸を整えながら、鋭い目線を海花にちらりと向けた。快は答えた。


「音楽室の場所がわからなくてさ。ここで休んでた。だいぶ遅かったな、咲夜。」


咲夜はスタスタと教室を横切ると、真っすぐに快の席に向かって歩いてきた。


「…ちょっと、用事が長引いたんだ。」


海花は、すかさず咲夜に向かって言った。


「天崎君。おはようございます。私、天崎君の隣の席の加里野です。

あ!えと、どちらも、天崎君ですね…」


少し困ったように海花が二人の顔を見比べていると、快が当たり前のように言った。


「俺のことは、快でいい。」


咲夜と海花が同時に快の方を見た。快は続けて言った。


「俺たち、友達なんだろ?海花。」


海花は、胸のあたりをまた押さえながら、答えた。


「はい、快…くん。」


咲夜が何か言おうとすると、チャイムの音が鳴った。

授業が終わり、廊下に生徒たちがあふれ出した。


「では天崎君、快君、ここで失礼しします。」


海花はそう言うと、パタパタと教室の外に出て行った。咲夜は快の方をじっと見ている。快は言った。


「咲夜、何か言いたい事ある?」


「…女は、だめなんじゃなかったの?」


「そうだけど…あいつは、海花はどうやら特別らしい。」



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