3

 新ゾンビは警備員と名付けられたが、建物の警備を任されているのではない。

「へえ、人間のときは警備員だったんだ」

「そうです」

 再意識化した警備員ゾンビを囲んでの夕食会である。

「ねえねえ、万引き犯人とか捕まえるんでしょ。それで可愛い女の子だったらイヤらしいことしちゃうとか。動画に撮ってネットにアップして小銭稼ぎ」

 セーラー服がムダな知識を披露していた。

「それは企画もののAVですよ。現実の万引犯は爺さんと婆さんばかりです。手ごわいですよ」

 年齢は40歳。長らく親元でニートをしていたが、ぶち切れた父親に叩き出されてホームレスとなった。風邪をこじらせて公園で死にそうになっていたら就業支援のボランティアに助けられて、警備員の仕事を紹介されたとのことだ。

「それに僕は工事現場での誘導が主ですからね、カッコのいいものではありませんよ」

「いや、警備員をカッコいいとは思ってないんだが」

 再意識化するまでは放置され続け、一日中建物内をウロついていて皆にウザいと煙たがられたりもしたが、性格は温厚そうであり、新たな家族の加入は好意的に受け入れられた。 

「ホームレスって、そこまで落ちたくはないね。一度路上生活者になったら社会人として失格だよ」

 だが中年ゾンビは不満そうな態度を隠そうとしない。

「ホームレスだったけれど、がんばって警備員になったのはすごいことじゃないの」

「はあ?」

 中年ゾンビは、さも小ばかにしたように鼻で笑う。

「警備員くらいはぼくだってなれますよ。ハローワークに行けば介護と警備員はいつでも募集してるし。それがすごいって、ツルハシ君は世の中を知らないねえ。これだから女はダメなんですよ」

「なによ、職業に貴賤はないっていうじゃないのさ。一生懸命に働いていることが大事なのであって、それが介護だって警備員だっていいじゃないのさ。あんたなんて職業経験ないでしょうに。なに言っちゃてんの」

「ぼくはこれからだったんです。税理士の資格を取るためネットで勉強していたし、司法書士は確実でした。ゾンビ禍が起きなければ、いまごろは士業で個人事務所を立ち上げていたけどね」

「すんごいなあ。お父ちゃんはすんごいなあ」

 ロリっ子の再意識化が進んでいた。それまでは反射的で衝動的な行動が主だったが、最近は、それなりに考えるようになって無茶なことをしなくなっていた。言葉も、いくぶんかは話せるようになっている。なぜか中年ゾンビになつき、父親と誤認していた。

「ウソばっか。バカじゃないの」

 ツルハシ女は憤慨していたが、中年ゾンビと言い争う気はないようだ。ロリっ子の様子をチラ見している。

「ねえねえ、警備員さん。あたしたちを襲ってくる人間たちについて教えてよ」

 肝心の話題となった。

「そうですね。それが最も知りたいところです」

「とにかくよう、武器と人数を教えろや」

 几帳面なハッキリ君はノートを用意していた。粗野な赤シャツはライフルを構えている。

「人数は三十人ほどでしょうか。全員が男です。催涙銃に警棒があります。ライフルはH&K PSG1、狙撃銃はアキュラシー・インターナショナルのL96A1、サブマシンガンは新型のMP7、拳銃はSIG P226、グロッグ19、ニューナンブといったところでしょうか。あと閃光手榴弾もありますよ」

「重武装だな、おい。338ラプアマグダム弾の狙撃なら、威力も射程も強力だ。ヘタに出ていかなくて正解だ」

「きっと、それらの武器類は警察署に放置されていたんでしょう」

「こっちはボルトアクションのライフル一丁だぜ。どうにも勝負にならねえや」

「そのようですね。人数も思った以上に多いようです」

 ハッキリ君が、のっそりと立ち上がった。

「皆さん、警備員さんの情報では敵の数は多く、武器も強大です。ここを出ないほうがいいでしょう。もし攻めてきても防戦に徹するべきです。それと人間たちは狙撃用のライフルも持っています。前にもまして、窓には近づかないように」

 一息ついてから、余裕をもって着席した。

「いいか、ロリや。窓には絶対に近づいてはダメだよ。もし人間が入ってきたら、父ちゃんに知らせるんだ」

 うん、とロリっ子が頷いた。

「あなたは、この子の父親なんですか」

 警備員ゾンビが不思議そうに訊いた。父と娘には見えないのだろう。

「こいつはただのロリコンよ。ドウテイなのに、父親なわけないじゃないの」

 投げつけるように答えたのはツルハシ女だ。さらに悪態が続く。

「たまに子供になつかれたから親子ゴッコしてるだけよ。すぐに飽きて、そのうちイヤらしいことでもするんでしょ」

「まあまあ、ツルハシ姉さん。落ち着いて」

 場の雰囲気が険悪にならないように、セーラー服がなだめなる。中年ゾンビは、さほど気にしていない様子だった。

「これは人間たちの噂なんですが」

 警備員ゾンビが話を続ける。ハッキリ君が、{ん?}とした表情だ。

「ここからずっと北に行った、さらにその先にゾンビたちだけの街があるということです」

「ゾンビたちの街って、そもそも世界中がゾンビだらけになってんだから当然だろう。南に行っても東に行ってもゾンビの街だべや」

「そういう意味じゃないです」

「どういう意味だってんだっ、っのヤロウ」

 赤シャツの語気がやや強くなる。

「自立したゾンビたちがいるんです」

「自立したゾンビって、なんだよ」

「つまり、ここにいる皆さんみたいなゾンビです。ちゃんと考えて行動ができる大人のゾンビというか」

「じゃあ、ロリっ子がゾンビじゃないというのか。それは児童差別じゃないか」

 中年ゾンビが、やや見当はずれな方向に口を出してきた。

「いや、そういう意味じゃないです」

「じゃあ、どういう意味だよ。この子は、こう見えても立派なゾンビなんだよ。君がゾンビになれたのだって、もとはといえばロリっ子が外に出たおかげなんだ。感謝してもしきれないんだよ。感謝感謝の大セールスだよ。閉店セールが半年間だ。セーラー服さんだってそう思うだろう」

「いや、まあ、閉店セールスのことはわかんないけど、でもちょっと違うんじゃねえかなあ」

「教授は黙ってなさいよ。話がすすまないじゃないのさ」

「いやいや、ぼくにだって発言権はあるんだよ。子を持つ親として、この国の将来に責任があるんだ」

「ロリちゃんは、あんたの子じゃないでしょう。女を抱いたこともないのに、どうやって子供を作るのよ」

「想像妊娠だよ。ぼくには類まれなイマジネーションがあるんだもん」

「ほんっとにバカね。想像するだけで子供ができるわけないじゃないの。そういう無責任なことは、教授を産んだバカ母親にでも言ってやりなさいよ」

「ああー、母ちゃんの悪口を言ったなー。家族への侮辱は宣戦布告に等しいんだぞ。そうやって世界大戦になっちゃうんだ」

 汚らしい唾を撒き散らしながらの言い合いである。その場の空気がよどんでしまい、「なんか臭いっす」と警備員ゾンビがつぶやいた。

「まあまあ、皆さん。落ち着きましょう。警備員さんの話は具体性に欠けたウワサでしかありません。我々は今まで通りの生活を続けていればよいのです。食事も終わりましたし、そろそろ就寝しましょうか」

 ハッキリ君が、この話題の収束を図る。少し急いでいるきらいがあった。

「ねえ、ハッキリさん。わたしにちょっと考えがあるんだけど」

「ええーっと、なんでしょう」

「ちょっとさあ、みんなも聞いてほしいんだけど」

 ツルハシ女が皆に注目を促した。

「わたしは、わたしたちがいつまでもここにいるべきじゃないと思っているの。食料が乏しくなってきたし、人間たちに狩られる心配で、おちおちと寝てはいられないでしょう。同じ場所に立てこもっていると、そう遠くない未来にジリ貧となるわ。もしゾンビが安心して暮らせる場所があるんだったら、そこに行くのもアリじゃないかと思う」

 水を打ったように、その場がシーンと静まった。なにかとざわついているゾンビたちには、珍しいことである。

「ツルハシさん、ここに残ることは前からの約束事ですよ。警備員さんがきてもそれは変わりません」

「でも、食べ物はもうじきなくなるでしょう。外にいるハンターたちは強力な武器があって人数も多い。ここに残ったって自滅を待つだけよ」

「でもよう、やっこさんたちは重武装なのに、こちとらこのライフル一丁だ。あいつらは恒温動物だから素早く動けるが、俺たちは基本スローだからな。脱出をしようにもすぐに撃ち殺されるか、脳みそを叩き割られて終わりじゃねえか」

「そうですよ。ヘタに出ていくと格好の標的です。それにこちらは子連れなのです。ふつうに不利です」

「女どもがいるしな」

 厭味ったらしく赤シャツがニヤリと笑うと、セーラー服がベロを出した。

「この前はうまくいったじゃないの。わたしとセーラー服ちゃんがあのまま遠くへ逃げていたら大丈夫だったし、人間側も四六時中見張ってるわけではないでしょう」

「三人の人間が襲ってきたじゃねえか。コイツはそのうちの一人だったし、たまたま見張りが間抜けだったから殺されずにすんだんだべや」

 警備員は、なんともバツが悪そうだった。

「食べ物がなくなってきているのよ」

「ツルハシさん、そもそも私たちは食べなくても死にはしませんよ。そういう渇望があるだけで、飢え死にしたりはしないのです」

 エンドルフィンに似た化学物質が脳内に大量分泌しているせいだと、責任者はムダな説明を付け加えた。

「みんなはどうなの。こんな廃墟になったゲームセンターで、肉が腐っていくのをただ待っているわけ。運命に抗おうと思わないの」

「これは運命とかではないのです。抗いようのない現実への正しい対処でしかありません」

「わたしはハッキリさんには訊いていません。みんなに問うているの」

 いつになく強い態度だった。なにか言おうとしたハッキリ君が口ごもってしまう。

「俺は、うかつに出ていかねえほうがいいと思うぜ。サブマシンガンでも致命的なのに、狙撃銃まで手配してやがる。動きがトロいゾンビはネギを肛門にぶっ刺したカモだ。脳ミソをふっ飛ばされて終わりだ」

 赤シャツの意見に、ハッキリ君はウンウンと頷いていた。

「セーラーちゃんはどうなの。一生ここに残りたい?」

「そういわれると、一生はイヤかな。でも、出て行ってもどこかで狩られちゃうのはイヤ。あたしさあ、まだJKなんだよね。死にたくないのだけど、まあ、なんつうか、わかんない」

 女子高生ゾンビはあいまいである。いまのところ脱出派はツルハシ女だけで、ほかは残留だった。

「ツルハシさん、一時の感情で物事を判断すべきではないのです。簡単にやり遂げそうに思えても、現実は容赦なく襲ってきます。私がここに残るというのは、ちゃんとした理由があるのですよ」

 ハッキリ君の言い方は穏やかだが、公の場で反論されたことに対して多少の棘を含んでいた。

「ま、そういうわけだな」

「ここにいるしかないよ。しかたないようねえ」

 赤シャツはもともとだが、セーラー服までもが追随した。責任者は表情を変えないが、内心は満足していた。

「じゃあ、そういうことで決まりですね。皆さん、窓はなるべく開けないようにしましょう。我々は空気が多少汚れていても平気です」

「俺たちのほうが空気より汚えからな」

「そうそう」

 いつものように和やかな雰囲気のまま解散・就寝、とはならなかった。

「いや、ぼくはここを離れるべきだと思うよ」

 突然発言したのは、それまで静かだった中年ゾンビだった。

「たしかに外の人間たちは残虐だし武器も強力だけど、だからってこんなところに引きこもっているのは、ゾンビとしてどうかと思う」

「教授、もう結論が出ていますので蒸し返されると困ります。ロリっ子も眠そうにしていますので、もう止めましょう」

「いいや、止めない。まだ、ぼくの意見を表明してないからね。これは基本的人権の公民権なんだから」

「今日はもう終わりです」

 ハッキリ君は、手を振って中年ゾンビの発言を遮ろうとした。

「しゃべらせてやれよ。どうせアホなことしか言わねえんだから」

「まあ微妙だとおもうけど、意見ぐらいはいいんじぇね」

 赤シャツとセーラー服は、中年ゾンビにほんの少し同情的だった。

「ダメです。もうこの話はナシにします。さあ、早く寝てください。責任者として言いましたよ」

 通常ならハッキリ君の指示は厳命として認識され、それに沿った行動となるのだが、この時は効果のほどが鈍かった。 

「ハッキリさんは、いつから独裁者になったのかしら」

 腕を組んだツルハシ女は、さも軽蔑するような冷たい目線であった。

「私は独裁者ではないですよ。この施設に関しては責任ある立場にあります。だから、いつものようにしただけです」

「そうかしら。とても偉そうに見えますけどね」

「だから、私は」

「しゃべらせてやりゃあいいんだって。それで終いだ。教授のたわ言をきいて、あとは寝りゃあいんだよ」

 なにかと強面な赤シャツに言われると反論するのに骨が折れる。ハッキリ君は数秒間沈黙してから答えを出した。

「わかりました。では教授、手短にお願いします」

「ふむ」

 中年ゾンビがもったいぶったように立ち上がった。赤シャツは白けた表情で、セーラー服はどうでもいいという顔で、ハッキリ君は多少のいら立ちを見せて、ツルハシ女は射抜くような目線である。なお警備員は傍観者を気取り、ただ一人熱烈な視線を送っているのはロリっ子だった。

「ぼくはね、ニートだったんだよ。中学からずっと部屋に引きこもって母親に食べさせてもらってたんだ」

「教授、ご自身の歴史を振り返るのは今晩じゃなくていいでしょう」

「しっ、まだ続きがあるのよ」

 ツルハシ女に叱咤されて、責任者は降参するように両手をあげた。

「ネットばっかりの無為な人生だったんだ。なんの価値もない人生なんだよ。だけど、たまたまゾンビが世界中を襲い、ぼくは外に出なければならなかった。久しぶりの外界を堪能する暇もなくゾンビに襲われて、ゾンビになってしまった。母さんもゾンビになったけど、トラックに潰されてしまったよ」

「まあ、いろんな人生があるわな」

 もぞもぞと尻を動かした赤シャツは、ちょっとばかり背筋を伸ばした。

「なにが言いたいのかというと、引きこもっていてはダメだということなんだ。いくら完璧に隠れたつもりでも、災いの目からは逃れられないんだ。ここは安全だけれども、未来永劫というわけにはいかないよ。そう遠くない未来に狩られてしまう。ほんとに生き残りたいのであれば、危険を冒してでも出ていかなくてはならないんだ」

 元ニートの中年ゾンビらしからぬ力を込めた演説だった。

「わたしも同意見だけど、教授らしくないわね。いつもはトンチンカンなのに、どうしちゃったのさ」

 さっきまで悪口しか言ってなかったツルハシ女の、声のトーンが丸くなっていた。

「ツルハシ君、ぼくには家族がいるんだよ」

「わたしたちのことでしょう」

「それもあるけど、じつはもっと重要な家族だよ」

 そう言って、そばにいる少女の頭を撫でた。

「この子だよ」

「ロリちゃんのこと」

「そうだ。ニートいえども、ぼくは四十年も生きた。幸か不幸かゾンビになって死んだまま生きているけど、ロリの人生はこれからなんだよ。ハンターどもに頭をたたき割られたり、撃ち抜かれたりするのは不憫でならないんだ。ゾンビでも安心して暮らせるコミュニティーがあるのなら、そこで暮らさせてやりたいと思うのが親心だよ」

「その子は、教授となんの血縁もないのですよ。親子ではありえません」

 責任者の発言が厭味ったらしく聞こえた。

「ハッキリ君、親子とはそういうものじゃないんだよ。血がつながっているというのは方便の一つでしかないんだ。肝心なのは、どれほど情が通っているのかってことだよ」

「いや、でもですね、親子というものは」

「ハッキリさんさあ、重要なの、そこじゃないんじゃね。二人が親子って言うのなら、それでいいっしょ」

 セーラー服が中年ゾンビへ傾いている。父と子の親子関係というフレーズに心が動かされたようだ。

「まあ、親子とか俺っちにはよう、どうでもいいんだけど、教授の話も一理あるぜ。三十人の重武装なハンターたちに囲まれてんだ。いつ踏み込まれてもおかしくはねえやな」

「今晩にも来るんじゃないの」

 そこで話が途切れた。どことなく気まずくなり、次の発言が憚られる空気があった。

「ねえ、警備員さん。その北のほうにあるゾンビの街について、もっと情報ないの」

 久しぶりに話をフラれて、警備員ゾンビは腐った魚のような目玉を輝かせた。

「もちろんありますよ」

「なんだよ、あるんか、さっさと言えよな」

「その街は、ゾンビパーク・ヨダと言われています。まだ噂の範疇ですけど」

「なんじゃそれは」

「ヨダという、年寄りで賢くて耳から毛の生えたゾンビが首相をやっているということです」

「ねえ、それって宇宙の剣士のことだよね」

「ああ、ソースをかけろ、ってやつか」

「フォースを使え、じゃないのさ」

 めいめいが怪しげな知識を披露したところで、警備員が再び話し出した。

「ゾンビパーク・ヨダは噂でしかないのだけど、信ぴょう性はあります」

「その根拠は」責任者は訝しそうな表情だ。

「知り合いの知り合いがはるばる偵察に行きまして、別の知り合いがその知り合いから知り合いを通して知り合いの話を聞いたんです」

「知り合いばかりで、なにがなんだかわかんねえぞ。ようするに、どういうこっちゃ」

「ゾンビパーク・ヨダは実在し、多くのゾンビたちがそこで平穏に暮らしている、という噂があるってことです」

 警備員ゾンビが偉そうに胸を張る。

「しかも、そこは社会インフラを整備して、街として機能するようになっているんです。しっかりとした文明社会があるのです」

 どうだと言わんばかりの表情であった。

「もしそれが本当の話だったら、すごいことじゃないの」

「約束の地ってやつだよ。きっと学校や病院や給食センターもあるんだ」中年ゾンビがロリっ子を見た。

「給食センターは重要じゃあねえだろう。競馬とパチンコ屋があればなあ」

「ねえねえ、ゾンビがやる給食センターって、どんなのかなあ。人間を連れてきて、生きたままマチューテでバラバラにするとかかなあ。すんごい残虐でスプラッターなんだけどさ、美味しそうだよね」

 セーラー服が、口の端からたれている粘っこいヨダレをじゅるりと啜る。

「あのね、給食センターってのは子供にとって大切なんですよ。衣食住が足りての教育ですからね。グロはなしですよ、グロは」

 今日の教授は、あくまでも教育者であった。

「ねえねえ、これって希望があるんじゃないの。その{ヅラランド・ハゲ}に行ったら、わたしたちも、健康で文化的な最低限度の生活ってやつができるのよ」

 ツルハシ女が色めき立つ。

「{ヅラランド・ハゲ}ではなくて、ゾンビパーク・ヨダです。用語は正しく使ってください。言葉が危ういです。全然似ていませんし、どうやったら言い間違えられるんですか。アホですか」

 警備員はくどくどと言うが、ツルハシ女は聞いていなかった。両手をあげて左右に振り振りし、ついでに腐ったバストをたいがいに揺らせて喜びを露にしている。

「まあ、名まえはどうでもいいや。この世知辛いご時世に、そんなところがあるっつうのは面白そうだな」

「そうそう。その{ヅラランド・ピカ}って、どんなとこなんだろう。めっちゃ興味でてきてヤバい」

「だから、ゾンビパーク・ヨダです。ヅラランドから離れてくれませんか」

「将来ヅラになったらお金がかかるなあ。父親がヅラだとバレて、この子がいじめられないか心配だよ」

「ですから、ゾンビパークですよ。ヅラランドは忘れてください。ここの皆さんは頭髪にトラウマがあるのですか」

 ゾンビが安心して社会生活できる街、という存在に期待が集まっていた。

「ロリっ子ちゃんなら大丈夫よ。可愛いし きっとクラスの人気者になるよ」

 ツルハシ女にそう言われて、中年ゾンビがニヤリと頷く。

「ねえ、行ってみましょうよ。ダメなら戻ってくればいいだけの話でしょ」

「そうだなあ、悪くはねえ話か」

「持てるだけの缶詰をリュックに詰めればいいんじゃね。一週間はいけるっしょ」 

 巣立ちの心構えが醸成しつつあった。だが熱気はすぐに冷やされることになる。

「行きませんよ」

 かなり大きな声だった。その場の雰囲気が一瞬で固くなった。

「ハッキリさん、いまなんて言ったの」

「聞こえませんでしたか、ツルハシさん。そんな場所には行かないと言っているんです」

 ハッキリ君の充血した目玉の上に、赤黒い瞼が厚く覆いかぶさっていた。目力というか、眼圧が上がっているのがわかる。

「ええーっと、あたし的にもさあ、いまの話は悪くないと思うんだけど」

「ちょっと黙っててください、いまから説明しますから」

 セーラー服が黙るが、不服そうに頬を膨らませた。

「皆さん、端的にいって浮かれすぎです。たくさんのゾンビが人間みたく生活する街なんて、そんな夢みたい話に信ぴょう性はありません。ここから出て行って、三十人のハンターたちに殺されない保証はありますか。スローな我々が重武装の狩人たちの間をどうやってすり抜けるのですか」

 ハッキリ君の語気には力が入っていた。

「でもさ、ゾンビが街を建設しているのなら、早めに行って手伝ったほうがいいよ。新参者は、なにかと煙たがられるからさ。この子が学園カーストの上位になれないよ」

「教授、そんな街がなかった場合を考えていますか。警備員さんの話は、知り合いの、そのまた知り合いからの伝聞で噂のレベルを超えていません。喜び勇んで行ってしまって、なにもなかったらどうします。それこそロリっ子を危険な目に合わせてしまうのですよ」

「まあ、でもよう、ハッキリさん。たしかめてみる価値はあるんじゃねえか。とりあえず、誰かが行って確認してくればいいだろうよ」

「そうよ。頭っから否定したら、なんにもできないでしょう」

「そうそう、そうだよねえ」

 大方の意見は偵察に賛成だが、ハッキリ君はわざとらしく首を振って否の姿勢を堅持する。

「あのう」

 警備員ゾンビがすまなさそうに手を上げた。

「なんですかっ」

 いちおう、責任者から発言の機会は与えられたが、可及的速やかに行われることを求められた。

「ええーっと、僕が行きましょうか。言い出しっぺですし、だいたいの場所は見当がつくんで」

「そりゃあいいな」

「ねえ、警備員さん。{ゾンビホール・アナ}って、ここからどのくらいの距離なの」

「車だと日帰りがギリギリですね。徒歩でしたら、けっこうかかります。それとゾンビパーク・ヨダです。いい加減におぼえてください。わざとですか」

「だったら車で行けよ。どこかに鍵のついたのが放置されてるだろう」

「ああ、でも、僕は運転免許持ってないんですよ」

「そんなの気にしなくていいの。警察官だってゾンビになってるんだから。逮捕されたりしないから大丈夫よ」

「運転免許の問題じゃなくて、運転自体ができないんです」

「なんだ、おめえ、運転もできねえのか。それでも警備員かよ」

「ええ」

 すみませんと頭を下げた。

「だったら、違うやつが行くしかねえなあ」

「ぼくも運転は無理ですな。ゲームじゃあ、すごいんだけどさ。ちなみにF1チャンピンオンを三回です」

「まあ、教授は論外だっつうの」

 中年ゾンビは、そもそも期待されていなかった。

「わたしは免許あるけど、ペーパーだから無理っぽい」

 ツルハシ女も候補者から脱落である。

「あたし、原チャリだったらいいよ。無免でよく乗ってたし」

 セーラー服が志願するが、皆の視線を受けることはなかった。

「仕方ねえな。俺が行くか」

 結局、赤シャツが行くと決心する。

「やるのは皆さんの勝手ですが、この施設は私の管轄下にあります。もし出ていくのであれば、私物をまとめて持って行ってください。ここには二度と入れませんから」

 沈黙していたハッキリ君が言い放った。

「おいおい、そんな言い方はねえだろう。ただちょっと偵察に行くだけなんだからよう」

「そうよ、なに意固地になっちゃってんの。みっともない」

 ツルハシ女が嘲るように言った。ハッキリ君は聞こえていないフリをして話しを続ける。

「私は一人でここにいることも出来ました。そのほうが煩わしくなくていいくらいです。でも、あえて皆さんをここに連れてきたのです」

 責任者は声を荒げるわけでもなく、淡々と話していた。

「赤シャツさんは火炎放射にやられて身体が燃えていましたが、私がタックルして川に飛び込みました。プロパンボンベを改良した火炎放射器でしたが、すごく強力で危険極まりない武器でした」

 なにか言おうとした赤シャツが言葉を飲み込んだ。古傷が痒いのか、わき腹のあたりをボリボリと掻いている。

「セーラー服さんはラブホの前で、壁に向かってひたすら歩いていました。当然ですけど、一日かけても一歩も進みませんでしたよ。ゾンビ狩りが一番激しかった近辺です。私が連れてこなかったら、一晩と持たなかったでしょうね」

 セーラー服が、アハハと苦笑いする。

「そして、ツルハシさんとロリっ子はビルの工事現場にました。泥だらけで、それはもう惨めなゾンビでしたよ」

 どこか楽しそうであり、嘲笑しているような言い方であった。

「ツルハシさんはひたすら地面を掘っていましたね。あなたのような細身な女性が、ツルハシを振り回して硬い地面を引っかいているのは滑稽でしたよ」

「女の身体のことをあれこれ言うのはセクハラじゃないのさ。わたしが何しようが勝手じゃないの」

「これは失礼しました」

 当人に注意されても、ハッキリ君は悪びれることなく続けた。

「私が皆さんを連れてこなければ、こうやって元気なゾンビでいられなかったわけです。いまごろ、タチの悪い人間たちに頭蓋を粉々にされていたでしょう」

「まあ、それはそうだけど」

 セーラー服がそう言うと、ツルハシ女がキッと睨んだ。

「わかりませんか。再意識化したのは、ここにいるからなのですよ。この場所には人知を越えた奇跡が起こる何かがあると思います。長時間離れてしまえば、またバカで徘徊するしか能のないただのゾンビに逆戻りです。まあ、ふつうに狩られるでしょう。脳みそをぶちまけて命が終わりです」

 ロリっ子を見ながら、ゆっくりとした口調だった。

「ま、ま、ハッキリ君の言っていることも一理あるかな。もう少し様子を見たほうがいいのかも」

「教授、どっちなのよっ」

 ツルハシ女に怒鳴られて、中年ゾンビの目線がさがる。

「今日のところは、とりあえずお開きにしようや。なんだかよう、疲れたぜ」

「それはいいね。ほら、ロリっ子も眠そうにしてるし」

「わたしはまだ話し続けたいけど」

「ツルハシ姉さん。明日にしようよ。一晩寝たらいいことあるって」

 ロリっ子が大あくびをした。ハッキリ君は腕を組んだまま何も言わない。

「よく考えてみたら、ゾンビパーク・ヨダについてあやふやな記憶があるような気がしてきました」 

「なにをいまさら、もう」

 警備員は再意識化してまだ間もないが、空気を読む程度に回復していた。

「では、寝ますか」責任者が宣言した。

 ようやく解散となった。

 ツルハシ女がもっとも疲れていたが、最後にテーブルを離れた。

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