6−4 見知らぬ人


 アズマイラはあっという間に涙を引っこめて「ペトスコス!」とさけぶと、玄関に走った。それを、あとからシャンが追いついて「だめ!」と引き止める。アズマイラはむっとしたが、シャンには力でかなわない。


 アズマイラは不満だった。ここ最近、シャンもノラもエイダンも、アズマイラを家から出すことをしぶった。二、三回、公衆浴場に連れて行ってくれたことはある。だが、まわりの目を気にして、そそくさと用だけ済ませて帰ってしまう。


 道を歩いていると、ケルティス人が近づいてきて「なんでその子の世話をしている?」ときいてきたり、テリ人が近づいてきて「その子の親は知っているのか」ときいてきたりする。そのたびいつも、シャンたちはヒヤヒヤした顔で受け答え、急ぎ足で家路を急いだ。


 ある日をさかいに、この家の大人たちは、アズマイラを連れ歩くことがいやになってしまったようだった。外へ出て行くことも、ペトスコスに会いに行くことも、食事に出かけることも、みんな制止されてしまう。


 やっぱりみんな、アズマイラがきらいになったのだ。


 なぜなのか、アズマイラにはわからなかった。


 だが、わからないくらいがちょうど良かったのかもしれない。アズマイラがもうひとつかふたつ歳を食っていたら、おそらく自分がこんな目に遭うのは、みんなとちがって、自分だけがテリ人だからだ、と早合点していたことだろう。


 ある意味、それはかんちがいでもなんでもない。


 アズマイラがテリ人だからこそ、シャンや里親たちはアズマイラのあつかいに慎重になっていたのだから。


「シャン、ドアをあけてくれ。おれだ。エイダンだ」


 ドアの向こうから声がして、シャンがほっとしたようにドアをあけに行く。


 エイダンだとわかると、アズマイラはがっかりしてきびすを返した。


 ペトスコスではないなら、玄関にかけよっていく理由がない。


 だが、ドアの外で待っていたのはエイダンだけではなかった。


 知らないケルティス人が何人も、どやどやと中庭に入ってきた。


「そう、こっちです。敷居に気をつけて」


 アズマイラもシャンも、あんぐりと口をあけて、見知らぬ訪問客を遠巻きにした。大人が十人ちかく。ペトスコスの家に、知らない人がこんなに入ってきたことはない。


 ケルティス人たちは中庭に入りこみ、庭のすみで土をほじりながら歌いつづけるトートをみとめると、「あの子か」と口々にささやきはじめた。


 中でもいちばん大柄のケルティス人が「どうですか?」と笑顔で人びとに問いかけている。まるで自分が狩った獲物を見せびらかすかのように。


「エイダン……?」


 シャンが里親にもの問いたげな顔を向けると、エイダンは「しー」と人差し指を立ててにっこり笑った。


「大丈夫だから」


 大丈夫、とは、どういうことだろう。


 トートを熱心に見つめる大人たちを見て、アズマイラはとても安心できなかった。シャンもおなじだ。ふたりは中庭の壁ぎわに立って、どちらからともなく手をにぎりあい、不安げに彼らを見つめた。


 トートはあいかわらず歌っている。歌声はどんどん大きくなる。


 らんらんらん、らんらんらー。

 らんらんらん、らんらんらー。


 トートも感じているのだ。知らない人間が自分の家へ入りこんだことに。


 そして、自分の中から追い出そうとしている。平坦に、調子っぱずれに、歌いつづけることで人びとを否定している。なのに彼らには伝わっていない。トートがこんなにも拒否しているのに、彼らはなんにも気がついていないのだ。


 むしろ、この頭の空っぽな大人たちは、トートが自分たちの来訪に気がついていないと思いこんでいるらしい。


 トートが声量をあげればあげるほど、その見当外れな思いこみを強めているように、笑みを見かわし、となりあう者とささやきあった。


「おれは、この子こそが予言の子だと思います。間違いない。巫女さまにおあずけするべきだ」


 大柄な男が言った。アズマイラはこの男を知っていた。ペトスコスの職場へ足を運んだとき、べつのえらい人の使い走りをしていたのを見た。背が大きく目立つから、よく覚えている。


「その価値はありそうですね」

「見ろ、完全に自分の世界にいる……」

「ほんとに……すばらしいわ」


 大人たちがささやきあう。大柄な男は満足げな顔だ。エイダンにほほ笑みかけて、エイダンはうれしそうにうなずいている。


 この人たちは何者だろう。

 何しにやって来たのか?


 アズマイラはぎゅっとシャンの服をつかみ、シャンもアズマイラをだきよせた。


「これはなんのさわぎなの?」


 つきさすような声がひびいて、そこにいた全員が――トート以外が――ふり返った。


 ノラだった。


 虫の知らせが届いたのか、力のかぎり走ってきたらしい。息をはずませ、肩をいからせて中庭に踏み入ると、まっすぐにトートのもとにかけより、しゃがんで腕を伸ばした。


 それまで完全に大人たちを無視していたトートは歌うのをやめ、ノラにだきついてだまりこんだ。ノラが、きっと夫をにらみあげる。


 はじめに口をひらいたのは、あの大柄な男だった。


「ノラ、これにはわけが――」


「出て行って、ケルヌン。あんたのうわさはきいてるわ。うちの子はだれひとり連れて行かせない」


「ノラ。これは名誉なことなんだぜ? もしも巫女さまが――」

「ききたくない。全員よ。いますぐ出て行って。さあ!」


 ノラは玄関を指さした。


 ケルティス人たちは顔を見合わせ、ひそひそと耳打ちしてから、ぞろぞろと中庭を出て行った。出て行きながら、何人かがアズマイラを見た。


 気味の悪い、石の裏をはいずっている虫かなにかを見る目つきで。


「またな、エイダン。また話そう」


 最後尾にいたケルヌンがよく通る声で言って、みずからドアをしめた。


 しんと、沈黙が支配した。


 ノラはトートをだきしめたまま動かなかった。


 エイダンは氷漬けにされたかのように、つったったまま動かない。


 アズマイラがシャンのすそをとんとんと引っぱって「あの人たち、なんだったの?」とたずねた。シャンはかすかに首をふった。


「知らない」


「もう二度と来ない人たちよ」


 ノラがきっぱりと言った。

 エイダンをにらみつけ、そうよね? と、もう一度言う。


「もう二度と来ない人たちよね、エイダン?」


 エイダンは目をふせ、「どうだろう……」と答えにならない返事をした。ノラが怒りにふるえている。「トートは」と、ますます強くだきしめながら言う。


「私たちの子よ。手放したりしない。そうでしょう?」

「……ノラ。トートは、里子だよ」


 エイダンはぽりぽりと頭をかき、困ったように笑いながら言った。ノラが口をあんぐりとあけると、あわてて「いや、悪い意味じゃなくて」と手をふる。


「おれたちだけの子どもじゃないって意味だ。わかるだろ? 子どもはみんなの子どもだよ。おれたちはテリ人じゃないんだから。里子を自分だけの所有物みたいにあつかうなんて、テリ人みたいだぜ、ノラ」


「都合がいいのね、あなたは」


 ノラはぶるぶるふるえながら、怒りをおさえるように、ふーっと息を吐いた。エイダンが顔をしかめ、ノラを見おろす。


「都合がいいって、どういうことだよ」


「このあいだは、テリ人みたいに生きたいって言ったじゃない。実の子どもと暮らそうって」

「あれは……王さまの命令が出たばかりで……」


 はっと、ノラは笑い飛ばした。


 馬鹿馬鹿しい。話しあう価値もない。

 そんなふうにも受け取れる笑い方だった。


 エイダンは傷ついた。不公平だと思った。

 それで、妻に冷たい言葉を浴びせた。


「おまえだっておなじだろ、ノラ」

「なにがよ。なにがおなじなの?」


「おまえだって、都合よくおれを手に入れた。テリ人の奴隷制を利用して、ペトスコスにおれを買わせた。そうだっただろ、ノラ」


 夫をにらみつけていたノラの目から、ゆっくりと光が失われた。


 エイダンは話しているあいだにも、自分が取り返しのつかない言葉を吐いたことに気づいていた。だが、彼は取りつくろわなかった。首をふり、きびすを返して玄関に向かった。


 シャンやアズマイラは、里親がひらいたままのドアにカギをかけに行ったのだろうと思った。だが、エイダンはそのまま外へ出て、外側からカギをかけた。彼の足音が遠ざかり、きこえなくなるのをそこにいた全員がきいていた。


 シャンは何が起こっているのかわからなかった。

 アズマイラにもわからなかった。


 ただ、ノラにかけよって、トートもろともだきしめた。


 ノラはぼう然としていた。


 ぼう然として、声も出さずに泣いていた。

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