5−2 シャンの秘密

 シャンは五歳まで、実の母に育てられた。


 ケルティス人にとって、普通はありえないこと。


 奴隷の赤んぼうは乳離れした一歳半から二歳のあいだに実親から引き離され、新しい里親のもとへ届けられる。だからケルティス人の子どもはいつまでも実の親を恋しがることはないし、里親たちも血のつながりのない里子を我が子のように育てられる。


 この国の産婆はすべて里子省の管理下にあり、生まれた子どもの数を正確に報告しているし、奴隷の所有者にはその数を毎年申告する義務がある。そこに数字の差異があればすみやかに調査が入り、虚偽があれば罰せられる。


 だが、シャンは里子省の役人の目を逃れ、五歳まで実の母とすごした。


 理由は簡単。


 シャンの母親は奴隷ではなかった。


 テリ人だったのだ。


 家内奴隷と恋に落ち、子どもをさずかったテリ人の娘。シャンの祖父母は、家の奥、だれの目にも触れずにすむ座敷牢のような一角に、“ケルティス人の男を愛す気の触れた娘”と“忌まわしい混血の孫”を隠した。


 シャンの父親がどうなったかはわからない。おそらく、母親が白い肌の赤んぼうを産んだあとで、祖父母が奴隷商人に売ってしまったのだろう。あるいは、秘密がもれることを恐れるあまり殺してしまったか。


 とにかく、シャンの記憶のなかに、父親らしき人物の面影は一切登場しない。


 それでも、シャンは覚えている。


 やさしいお母さん。いつも甘やかして、頬ずりしてくれた。シャンをうんと愛して、にこにことして。でも、ときどき泣いていた。なぜ泣いていたのか、シャンにはわからない。両親に閉じこめられているせいか。愛した男を恋しがっていたからか。それとも、シャンを産んでしまった後悔か。


 テリ人とケルティス人の子どもは生まれない。生まれたとしても長生きできない、と言われている。実際、シャンのほかに混血児など見たことがない。


 テリ人はテリ人で、奴隷は奴隷。そうやってこの国はうまくやってきた。ありえないのだ。シャンの存在なんて。許されないのだ。ふたつの民族が混じった人間なんて。


 見た目がケルティス人にしか見えないから、シャンは特別許されたのだろう。


 しかしそれも長くはつづかなかった。


 シャンの祖父母か、それともまわりの人間が密告したか。


 五年も隠し通された混血児はついに通報され、シャンは母親と引き離された。


 そのときはじめて、シャンは家の外に出た。布で窓をおおい隠した馬車に乗せられ、何時間もかけて運ばれた。泣きわめいて、暴れまくって、母親を呼んで叫び通した。いつのまにか眠ってしまったシャンがつぎに目を覚ました場所は、石でかこまれた、冷えびえとした地下牢のようなところだった。


 ものものしい道具がいくつもあった。寝台のようなものもいくつか。格子と、手かせと、むちのようなものが並べられていた。床や壁に飛び散った黒いしみが、なぜだかとてもおそろしかった。テリ人が死者をあの世に送り出すときに使うまじないの像が、四隅にひっそり置かれていたのを覚えている。生臭いにおいがたちこめ、少しいるだけで頭がくらくらした。


 テリ人の大人が何人か、だまってシャンを見張っていた。シャンはふるえて母親を呼んでみたが、ぎろりとにらまれておしまいだった。


 階段をこつこつと降りてくる音がして、シャンは逃げだそうとした。


 なぜあれほどこわかったのかわからない。


 いま思えば、シャンは死をおそれていた。


 あらわれたのは、テリ人の男と老婆だった。


 男のほうはこの中でいちばんえらい人間なのだと、すぐにわかった。男はシャンをひと目見るなり、不機嫌な声でシャンの手かせを外すよう命じた。シャンの手首は赤くはれあがっていて、男は同情したような目をシャンに向けた。


 男は老婆と二、三会話して、引き止める老婆をよそに、シャンの目線に合わせるようにしゃがみこみ、「うちにおいで」とやさしく言った。


「きみをテリ人として育てることはできない。それは、申し訳ない。きみのせいじゃないけれど、ほかにどうしようもないんだ。だが、できるかぎりのことはする。おれの家のケルティス人に、きみの里親になってもらってもいいだろうか」


 シャンにはよくわからなかった。シャンはただ、母親のところに戻りたかっただけだ。


 だが、ほかに選択肢はなかったと、いまならわかる。


 シャンはそのとき、男に――ペトスコスに命を救われたのだ。




 自分の子どもを手放し、新しい里子が割り当てられるのを待っていたノラとエイダンは、はじめ困惑したらしい。


 二歳くらいの子がくるのを待っていたのに、来たのはすっかり育ちきってしまった五歳。それも、「自分はテリ人だ」と言いはり、母親に会いたいと泣いてだだをこねる、わがままで手のつけられない“お嬢さま”だった。


 アズマイラを見ていると、シャンはときどき、無性に腹が立つ。


 わがままで、自分のことだけ考えていればいい、お姫さまみたいな女の子。


 アズマイラはそのままでいてもいい。許される。

 だって見た目がテリ人だから。


 シャンは許されない。

 むりにでも性格を矯正される。生きのびるために。


 ペトスコスは、シャンがテリ人として生きられないことを「きみのせいじゃない」と言ったけれど、いまはそんなもの、うそだとわかる。


 シャンがテリ人として生きられないのは、シャンの見た目のせいだ。シャンの見た目が人びとに「自分はケルティス人です」と否応なく知らしめ、シャンの生き方をせばめている。


 ケルティス人に“見える”なら、シャンは問答無用で“ケルティス人”なのだ。


 だけど本当は、シャンは奴隷ではない。テリ人だ。

 母親とおなじ、テリ人なのだ。


 心の中でどう思うかは自由だ。だれにも邪魔されない。ノラにきびしく注意されても、エイダンに辛抱強くさとされても、胸の内は自由でいられた。どんなにシャンの存在が許されないものだとしても、関係なかった。秘密を守りさえすれば、シャンは見逃してもらえた。


 だけど……。


 王さまは言った。テリ人もケルティス人も、おなじ人間だと。


 ならば、シャンは。


 秘密にしなくても、いいのだろうか。


 アズマイラのように、手のつけられないわがままな女の子のままでいても、許されるのだろうか。

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