3−3 再会

 神官たちは、さっと背後の男に視線をそそいだ。


 ほんの一瞬、男はぼう然としたように座りつくしていたが、よろけながら立ちあがった。男は緊張した面持ちで前へ出ると、正しい手順で頭をたれた。そこでは場違いといえ、省の長をつとめる官吏。王に対してふさわしいふるまいはわきまえている。


 神官の長が目を細めて男に目をやったが、教義にもとづいて感情をかくした。


「里子省の、ペトスコスと申します。このたびは、ご即位まことにおめでとうございます」

「ああ。おまえの名前が知れてよかった」


 白き王は満足げにほほ笑んだ。


 かつて幼い王子だったとき。まだ政略結婚もさせられず、宮廷の奥にかくされ、きびしくしつけられ、あわれみと嫌悪の目にかこまれ、育てられていた時代。


 偶然が生んだ、みじかい邂逅かいこうだった。

 王子は宮廷と官邸の境界で、彼に出会った。


 この白い肌を見てもおそれず、まゆをひそめなかった政府の役人。王子がその男とかわした言葉は、それほど多くはなかった。だが、王子はたしかに、そのとき多くのものを彼からうけとっていた。


 白き王は神官に目をうつした。


「なぜこの男がおまえたちに同行しているかは知らないが、おまえが言う、私をそそのかしたという犯人はこの男だ。この男が、私にべつのものの見方を教えてくれた。テリ人とケルティス人。どちらも人の子にはちがいなく、肌の色など些末さまつな問題にすぎないということを」


「……さようでございましたか」


 神官の長はペトスコスをにらんだ。

 ペトスコスは口を真一文字に結び、微動だにしない。


「そうとは知らず」


 神官の長は深く頭をたれ、そして思った。


 この王は、やはり目も当てられぬほど大馬鹿者であるらしい。


 テリ人とケルティス人がおなじ人間だなどということは、神官らも重々承知している。ただ、肌の色がちがうだけ。ただ、文化がちがうだけ。ただ、信じる神がちがうだけ。そんなことは奇人変人の役人に教えられるまでもなく、ある程度頭が足りていればおのずとわかること。


 だが、ふたつの民族はまったくべつの種族なのだということにしておかなければならぬのだ。便宜べんぎ上わけておかねば、国に、民に、倫理に混乱が生じる。


 たったそれだけのことが、なぜわからない。


「……私が神官のみなさまとここにまいったのは、私が強く希望したからです」


 ペトスコスは必死に言葉を選んだ。


 ひとつ間違えれば、ひとつかけちがえれば、彼は非常にあやうい立場となる。いや、すでに彼はあやうい立場にいた。たとえこの場を切りぬけたとしても、神官たちはペトスコスをしっかり覚えておくだろう。王がここでペトスコスをどうあつかうかはわからないが、彼の今後を保障するものはなにもない。


 それに対し、王はすっかり打ちとけた様子でペトスコスにほほ笑みかけた。


「なにか、私に言っておくべきことがあるのであろう?」


 かつての自分をはげまし、その存在を認めてくれた者。生きることを肯定し、心のささえとなった者。その人物が、いま、王の目の前にいる。


 彼はもちろん、ほかの者とちがい、王を心から賞賛するだろう。此度の命令を支持し、いかなる場合も王につかえることを誓うだろう。そして王は、はじめてみずから選んだ家臣をここで取りたてることになる。もしかすると、石が叫んだあの瞬間から、王はひそかに心の内で期待していたのかもしれない。忠誠を誓い、志をおなじくする、本物の家臣。それを手に入れることを。


 だが、それは危険な感情だった。


 期待や希望は、失望したときの反動がそれだけ大きくなる。裏切られた魂は怒りと焦燥しょうそうにかられ、王をたやすく失脚へみちびく。


 そうであるのに、王は希望をいだいた。自分でも知らないうちに、ペトスコスに期待してしまった。


 それが悪かった。


「私は……ここにいる神官のみなさんとおなじ思いです。王、あなたのくだした命令はあまりにも性急だ。できるものならいますぐ撤回しなければ、この国はたいへんなことになる」


 白き王はぼう然と目の前の男を見つめた。


 一瞬、彼がなにを言ったか、頭で理解することができなかった。


 ようやっとその言葉の意味をとらえ、そして……困惑した。


「……なぜ、おまえがそれを言う?」


 王は返事など期待していなかった。ほとんど独り言として、自らの困惑を霧散むさんさせるために、ただ言葉を発しただけだった。


 だが、ペトスコスはそれと気づかず、おろかにも返答した。


「正しいと思ったことを伝えるためです。王、どうか私があなたの味方だということは間違いなく信じていただきたい。ですが、物事には順番がある。前提をすっ飛ばしても理解が得られるほど、人びとの心は単純ではない」


 白き王は平静を装うために全神経を集中させた。だが、戴冠の儀でその集中力は切れかけていた。ペトスコスの進言を冷静に受け止められるようになるためには、彼には余裕も経験もなかった。


「なるほど……そうか」


 白き王はよろけるように、玉座から立ちあがった。


「……そうなのか」


「王、きいてください。テリ人とケルティス人はそもそもまったくちがう……」

「だまれ。ききたくない」


 ペトスコスは恐怖から口をとざした。平素から人の目を気にしない彼でさえ、たったいま、自分が言葉を間違えたことに気がついた。


 ――順番を、間違えた。


 王はペトスコスから目をそむけた。


 忠実なる王の臣下になるはずだった者。


 いや。そうではない。


 はじめからそんな未来はどこにもなかった。


 王が、あさはかにも期待しただけだ。いつか忠誠を誓ってくれる者があらわれるだろうなどと。彼を心からささえてくれる者がいてくれるはずだろうなどと。


 おろかだった。


 王はしばしそこで立ちつくくした。形ばかり忠実な家来たちも、形ばかり自分の身を案ずる神官らも、奇跡を使ってここまでたどり着いたペトスコスでさえ、静寂を守って頭をたれる。彼らは王をほめそやし、おそれ、かしずく。


 だが、王は独りだった。


 いつもどおりに。


 ――いまはとにかく眠りたい。それに、信じられないほど空腹だ。


 王はすっとあごをあげた。

 その場にいる者を見おろし、冷たい双眸そうぼうでとらえる。


「神官の長と、里子省の役人を牢に入れよ。二度と日の光を浴びさせるな。このふたりの大罪人を、決してふたたび私の前に出さぬように」


 神官の長はだまっていた。彼はことのなりゆきを覚悟してここへ来ていた。後進の者にはすでに自分の教えを説いてある。いま首を取られても、彼はかまわなかった。


 だが、ペトスコスはべつだった。そもそも、王に進言すべきことの半分も、発言できていない。


「王! どうか私の話をきいてください。私もケルティス人のあつかいには心を痛めております。彼らは解放されるべきだ! 私の娘は――」


 しかし、ペトスコスは憲兵に取りおさえられ、両側から引きずられていった。神官の長はだまって自分の足で歩いたが、ペトスコスはずっとわめきつづけたために、したたか殴られ、だまらされた。


 彼は宮殿の外へつれだされ、引きずられ、王にたてついた犯罪者が暮らす建物の地下牢に引っ立てられた。この建物には、長いあいだ住人はいなかった。ここ百年、王にたてついた時点でだれもが首を切られていたからだ。


 新しい王は極刑を好まないようだった。それは宮廷に働く者たちを安堵させたが、同時におそろしくもさせた。王にたてついた者は、これからは生かさず殺さず、地下牢で死ぬまで飼い殺しにされるとわかったからだ。



 白き王はすっかりくたびれて自分の住まいにもどった。


 かつて自分を勇気づけ、はげましを与えてくれた者ですら、遠く理想におよばない。


 ならば、人の言葉には耳をふさぎ、信じるものを押し進めるほかないではないか?


 戴冠の儀のための美麗な服をぬぎ、複雑に編みこまれた髪をといてやっと、王は自室にもどった。妻や妾の入室を禁じ、王は寝台に横たわった。


 彼はそのまま泥のように眠り、夢も見なかった。

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