3−2 神官の長
王は眠りたかった。
人生でいちばん疲れた日を終えたと思っていたが、実際にはまだ半日もたっていなかった。
いますぐきらびやかで動きにくい絹の衣服をぬいで、髪の結いをとき、寝台にうずまって泥のようにねむりたいというのに、神官たちが押しかけてきたと報告をうけてはそうもいかない。王は重たい頭をもたげ、世話役たちにうなずいて、自らの体に触れることを許した。
テリ人の召使いたちに身なりをととのえられているあいだ、王は所在なく彼らを観察していた。
王に直接手を触れる者の中に、ケルティス人はいない。宮廷で働く小間使いのうち、テリ人のことは召使いと呼び、ケルティス人のことは奴隷と呼んでいる。
このふたつの呼び名にどれだけちがいがあるのか、彼にはさっぱりわからなかった。少なくとも、彼に触れることのできない“けがらわしい”奴隷のほうが、新しい王とは肌の色がちかい。
支度をすませて謁見の間に入っていくと、神官たちがあごをあげたまま整然と並んでいた。王が歩くあいだ、冷たい石像のようにぴくりとも動かない。
神につかえる者というよりは、虐殺も辞さない兵隊のような連中だ、と王は思った。実際、彼らは目的のためならば手段を選ばないだろう。人としての感情を捨て、借りうけた命を最大限使って神の奉仕にささげているのだから。
玉座に座ると、神官がいっせいに頭をたれた。白き王は、そのうしろでひとり浮いた男に気がついた。とたん、陰鬱な心がすっと晴れた。
――また、会える日が来ようとは。
心の奥底で、ほんのかすかにいだいていた希望。それが現実としてかすかに彩りをおびている。だが、王は神官たちとおなじく、感情を消して視線を神官の長にもどした。
「高潔で偉大なるテリの王よ。本日は戴冠の儀につき、誠にお喜び申し上げる。その威光は国のすみずみまで届き、これからの偉業は大陸のその向こうまで――」
王は白い手をあげ、神官の長の口上をとどめた。
「私は疲れている。とてもとても疲れている。これ以上、心にもない言葉をつらねればその首が飛ぶと思え」
神官の長はしばし黙したのち、「では」と頭をさげた。
「おそれながら申しあげる。先の命令の撤回を、いまこの場でなされますよう」
「先の命令というのは――ケルティス人をテリ人とおなじようにあつかう、というあれか?」
白き王はひじかけに手をつき、頭をささえた。いかにも、と神官がうなずく。
「ケルティス人の奴隷を解放するという、あれにございます」
王はみじかく笑った。
なんだ。やろうと思えば、端的で明快な言葉をはけるではないか。
「問題はなかろう」
「すでに国中が混乱しつつあります」
「変化のときにはかならず混乱が生じるものだ。テリがケルティスを制したときも、数々の混乱が生じただろう」
「死人が出ます。王が考えているよりも深刻な数の人間が命を落とすでしょう。それほどに危険な命令だ」
「発想が飛躍しすぎているように思えるな。私はあの場で、ケルティス人を殺すことは罪だと念を押した。それとも、なにか? 自由を手にしたケルティス人がテリ人を殺すとでも?」
王は笑みをうかべた。
「動機がない。ほとんどのケルティス人は自由を手にして喜ぶ。それで終わりだ。この命令でこまるのは、不当にケルティス人を使役して富を得ていたテリ人だけだろう」
王は、冷たい目で神官を見おろした。
「そんな連中は――少しこまればいい」
「なるほど。あくまで王は、ご自分が
王はげんなりした。この国には、肌の白い人間を人と認めることが、おそろしいほど不得意な人間がひしめいている――。
神官の長はふたたび頭を低くさげた。居ならぶ下級神官たちも、動きをそろえて頭をたれる。
「無駄な言葉は差しひかえろとの命令の由、率直におたずねする。王はだれにそそのかされて、あのような考えなしの命令をくだされたのか?」
重いまぶたが、ふっと軽くなった。王はほおづえをついていた手からあごをあげ、背筋を伸ばして神官の長を見おろした。
――この生臭坊主は、なにを言いたい?
「私が――だれぞにあやつられて、あのような命令をしたと?」
「そうなのでしょう? 王はだれかしらに入れ知恵をされて、国を混乱におとしいれるような命令をくだされた。ですが、お気づきください。その考えの大元には、かならずこの国を転覆させんとする黒幕がおります。豊かなこの国をうばわんとする大陸の人間か、あるいはケルティス人の地下組織か――」
それまで、王は決して怒りを表にあらわさなかった。
数ある感情の中でも、権力のある者のいかりほど人びとを萎縮させるものはない。怒りは、かんしゃくは、怒声は、暴力は、王の敵を増やし、にくしみをあおるだけの無用の長物。
しかし、王はそれをおさえることに難しさを覚えた。華美な装飾のほどこされたひじかけの布をにぎり、前のめりになって、神官の長をきつくにらんだ。
「私がそのような連中に……いいように使われていると?」
ひと言ひと言を、しずかに、はっきりと口にする。なんとか怒りをおさえ、王としての責務をはたすために。だが、神官の長は毅然とした態度でうなずいた。
「王はまだお若い。はっきり申しあげます。あなたはまだ、未熟な子どもだ」
謁見の間にいた王の側近たちが、音もなく息をのんだ。
神官の長は真実を述べていた。この国では十三より成人として認められる。だが、老人たちが若者だった時分、成人は十六よりと定められていた。いまもってなお、十三歳の人間を本当の意味で大人あつかいする者はいない。
白き王のように、十五歳であれば、おなじこと。
「若き王よ。冷静になっていま一度お考えなおしください。王があの命令をくだすまでのあいだ、いったいどのような者と出会い、どのような言葉と出会ってその判断にいたったのか。物事には、かならずや表と裏の面があるものです。ことわりは善意だけで動くものではない。とりわけ王には敵が多い。これは世の常。王が自滅の道を選ぶことで得をする人間がどれだけいるか、あなたはまだわかっておられない。どうか耳をお貸しください。私たちは神の代理であるあなたをお守りしたいだけだ」
王は目を細めた。長い背もたれによりかかり、ふっと息をはきだして笑う。
守りたいだけ。笑わせる。
ほかに王としてふさわしい者がいれば、自分にはさっさと毒を盛るだろうに。
「善意だけでは動かない……たしかに、そのとおりなのだろう」
王はしずかに言った。
「テリ人とケルティス人を対等に。たったそれだけ命じただけで、あらぬ妄想がとめどなくあふれ出てくる。おそらくおまえには、想像もつかないのだろうな。世の中を良くしたいと考える者がいれば、その裏にかならず陰謀が見えてしまうのだから」
「私は真剣に申しあげているのです、王」
「それが問題なのだ。そのねじまがった根性が。まあ――それでも陰謀をたくらむ者がいると言いはるのなら、ちょうど良い。まさにその首謀者がここに居合わせている」
白き王はくっと笑い、ふたたびほおづえをついて神官たちをながめた。その奥にいる、聖職者とはちがう服をまとった男に目を留める。その男は、王と神官の長の会話をきいて、ずっと苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「前へ出て、発言せよ。おまえに陰謀の嫌疑がかけられているぞ」
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