3 謁見

3−1 奇人

 城下町に居をかまえ、影でうわさされようが平然とする官吏かんりがいた。


 娘と四人のケルティス人とともに暮らす男。彼の名前はペトスコスといった。


 ペトスコスは家族を守るよう家内かない奴隷に伝え、自分は宮廷にそいでいた。


 エイダンはきっとうまくやるだろう。人のあいだをすりぬけながら人をさがすのは得意だから、家族を見つけて家に帰るのはわけない。だから娘のことはあいつにまかせて、いまはやるべきことに集中しろ、と彼は自分に言いきかせた。


 まさかこんなことになるとは。


 彼はあせっていた。気をぬくと手がふるえ、ひざから力が落ちるようだ。混乱する人びとのあいだをかけぬけながら、最悪の事態を考えまいとする。いや、考えたほうがいいかもしれない。だからこそ、それを阻止するために全力でことにあたれる。


 いますぐにでも、王と謁見えっけんしなければ。


 とはいえ、宮廷の奥に押しこまれた王子ならともかく、いまや一国の王に、はたしてお目どおりがかなうかどうか――ペトスコスは、自分がそれに値する人間だと思うほど楽観的ではなかった。


 省の長とはいえ、一介の役人。高貴な血が流れているわけでもなく、親戚すじに氏族が名をつらねているわけでもない。しかし、それでも試みなければ。たとえ自分の立場があやうくなろうとも。


 宮廷に近づくにつれ、王に陳情を求める人間がほかにも大勢いることがわかった。


 この国の繁栄はケルティス人の奴隷労働でまかなわれているようなもの。奴隷が使えないとなれば、経済活動がとどこおることは容易に想像できた。


 ほとんど奴隷だけでまわしている農場はどうなる。造船所は、石切場は、鉱山は、建築現場は、公衆浴場は、漁は、はた織りは。


 国民をまかなうだけの食物も、大陸への航海が可能な大型船も、上質の絹も、鉄や青銅でできた武器も、ほとんどすべて奴隷の手で作りだされている。舗装された道路も、敵襲にそなえた港も、奴隷ありきで均衡をたもっている。


 平均的なテリ人の家庭にはひとりかふたりは家内奴隷がいるし、鉱山には犯罪をおかした奴隷に刑務が科され、昼夜を問わず働かされている。


 奴隷とひと口にいっても、その意味あいも役割も、多岐にわたる。


 単純労働だけではない。学のある奴隷は主人の手紙の代読と代筆をおこない、子どもたちの家庭教師をうけおい、テリ人の石工と肩を並べて寸法を割りだし、主人の名を汚さぬためにと、形ばかり自由の身となり、自らの名義で金貸しや娼館を営む者もいる。


 彼らをすべて一緒くたにあつかって、王の命令ひとつで解放する?


 そしてそのあとは?


 テリ人の多くが、此度こたびの命令をとんでもない愚策だと考えていた。


 戴冠の石の伝説?

 一度くだした命令は撤回できない?


 ざれ言を。


 まつりごとはあとからいくらでも修正できる。だからこそ、つねに最善を模索しつづけなければならない。それが為政者の責任というものではないか?


 宮廷は、ペトスコスのつとめる官邸と隣接していた。敷地内には街のそれよりも白くなめらかな石畳が広がり、水路や木々が整然と配置され、この世に借りものの生を受けた王を、神の代理として守りたたえている。


 その中央に、美しくきらびやかな王の住まいが建っている。三階建ての壁は波打つ青と緑のタイルで輝き、窓枠や白い石の柱にはめこまれた金細工が幾何学模様を描いていた。


 先王が血も涙もない人物であったことから、宮廷の中はいつでもしずかで、足音ひとつ、笑い声ひとつ立てる者はついぞいなかった。王の許可なしには、言葉を発することも笑うことも楽しむことも許されなかった。


 白き王がどれほど父王の冷酷さを継承する気なのかはまだ判然としないが、宮廷の人間たちは無難な策として、ひきづつき静寂を守っているらしい。


 しかしひとたび宮廷の外へ出れば、命知らずな人間たちによる喧噪にまみれていた。背の高い格子の門の、その先へ乗りこもうと、無粋な連中が集結し、その群れはふくらみつづけていた。


 門の外にはテリ人の憲兵がずらりと並び、これらの人間を無表情に押しかえしていた。


 どれほど不遜なやからであろうと、憲兵は彼らにかすり傷ひとつつけなかった。


 国民はひとり残らず国王の持ちものであり、王の許可なしに傷つけ、死なせることは、王の財産を傷つけ、壊すことと同義とみなされる。だからこそ、この国では傷害は重くとらえられ、殺人はもっとも罪深い犯罪だった。


 宮廷の門前にあつまって命令の撤回を求める人びとの中には、テリ人だけでなく、ケルティス人たちも少なくない数まじっている。奴隷が解放されてこまる人間が、奴隷の中にもいるということだ。


 ペトスコスはこれを見てもおどろかなかった。自分の所有物が突然手元から逃げだせば、まずうらむのは自由を与えた王ではなく、わかりやすい裏切り者だ。


 ペトスコスはわめく人びとをかき分けて前に出ると、門の前に立つ憲兵に向かって、宮廷の人間がする、もっとも丁寧な礼をした。


 それまで義務的に庶民を押しかえしていたテリ人の憲兵が、ペトスコスに注意を向ける。それを確認して、ペトスコスは口火を切った。


「新王の誕生に心よりよろこびの意を表したい。里子省のペトスコスが王に謁見を求めたく。今後のケルティス人の取りあつかいについて、至急申しあげたきことがあると伝えられよ」


「本日は祝いの日だ。王はいかなる公務も免除されている」


 門を守る憲兵は、すでに何百回くりかえしたであろう言葉を大儀そうにふたたびとなえた。相手が役人であろうが省庁の長であろうが、王の直接の配下である憲兵は、簡単にとおしはしない。


 憲兵は門を乗り越えようとする不届き者の足をすくって、転ぶ直前にその背を受けとめ、前へ押しやった。それから何事もなかったようにふたたびペトスコスへ目線をむける。


「貴殿も公務は忘れ、本日中は祝われてはどうか?」

「そう言うあんたはどうなんだ? この祝いの日に、遊びもしないで門を守っちゃってていいのかい?」


 憲兵は面くらい、ついでまゆをひそめた。

 いまのペトスコスの言葉づかいは、学のない奴隷のそれそのもの。


 憲兵は、ははあと思いあたったような顔をした。


 里子省のペトスコス。


 うわさに悪名高い奇人が、目の前の男だということに気がついたのだ。


 政はいくつかの省にわけられている。治安、福祉、軍事、外交、神事――里子省はそれらに比べると小さい役所かもしれないが、立派な省のひとつであり、ペトスコスはその長だった。だが彼には、ケルティス人に甘く、奴隷の文化に興味津々の変人だという悪評があり、官邸の汚点のひとつとささやく者もいた。


 人びとはうわさした。ペトスコスのような人間が、現在の地位を得ていることがおどろきだ、と。


 妙な思想を持つ人間はいつの時代にもいる。だがそうした人間は、たやすくまわりと軋轢あつれきを生む。少なくとも政府機関とは距離をあけてしかるべき存在だ。


「申し訳ないが、本日のところはお引き取り願う」


 憲兵は不快感をかくしもせずに答えた。


 ペトスコスがくっと笑う。憲兵はまゆをひそめた。


「なにがおかしい?」

「いや、べつに」


 しかし、ペトスコスはにやにやと笑いつづける。


 憲兵をわらい、自分だけは物事をわきまえている、とでもいわんばかりに。


 憲兵はいかりをおさえるのに苦労した。ペトスコスのような人間を、憲兵も知っていた。


 彼の妻の親戚に、ひとりいたのだ。奴隷とことさら打ちとけたようにふるまい、それを誇りにするような人間が。


 彼女はほかのテリ人たちを迂遠うえんにけなしては、まわりをあきれさせていた。彼女は奴隷たちの輪に入りたがり、食事をともにしてはそれを自慢げに話した。


 ケルティス人の奴隷たちは、テリ人である彼女を不機嫌にさせぬよう、あえて仲のいいふりをしてやっていた。彼女は奴隷たちに煙たがられているとは思わず、むしろ自分はうまく彼らと関係をきずいていると信じていた。


 そうやって、彼女は自分こそが偏見のない、女神のような魂の持ち主だと信じこみ、そうふるまっていた。実際は、弱者であるケルティス人を都合よく利用し、したがわせ、無邪気に彼らの尊厳をふみつけているというのに。


 そのくせ、ほかのテリ人たちを、冷酷で残忍な人間だと非難する。ケルティス人は奴隷として生きるかわいそうな人たちなのだから、テリ人から歩みよってやらねばならぬのだと、高説をぶつ。


 ペトスコスもそれなのだろう、と憲兵は即座に察した。


 自分がペトスコスに対してあらわした不快感を、ケルティス人への嫌悪とみなし、この程度かと嗤っている。この国のテリ人はみな奴隷に対して差別的なのだ、だが、自分はちがうのだと、この傲慢な男は思っているにちがいない。


 あわれな男だ、と憲兵は苦々しく思った。


「里子省のペトスコス殿。心中おだやかではいられないでしょうな。ケルティス人をテリ人とおなじくあつかうと決まったいま、里子省は解体されるのでは?」


 不敵に笑ってそう投げると、ペトスコスはすっと真顔にもどった。


「そうならぬよう、王に謁見を求めている」


 やはり。憲兵は軽蔑した。


 ケルティスのためだなんだと言いながら、この男はけっきょくのところ、奴隷を必要としているではないか。


 そもそも、里子省は奴隷の団結をふせぐための政策から生まれている。生まれた我が子を親から引きはなし、ケルティス人同士の血縁を見えなくさせる――それをつづけさせたい男が、ケルティス人かぶれ?


 冷酷とおそれられた先王のほうが、よほど道徳心にあふれた義人に見える。


「申し訳ないが、本日中のところはどうぞお引き取りを――」


 そのとき、宮廷の門にあつまる人びとからどよめきがあがった。ペトスコスがはっとふりむくと、人びとを左右に押しやりながら、表情を消した神官の一団がすべるように憲兵の前へ進みでた。


 ざっと五十人以上いる神官たちは、三人ひと組で長い列を作って、宮廷の門前に整然と立った。


「王に謁見を求める。門をあけよ」


 ペトスコスをいなした憲兵は、今度ばかりは言葉をうしないかけた。神官たちの先頭に立つ長は冷たい目で宮殿を見すえている。すでに憲兵など眼中にもない。


「せ――僭越せんえつながら」


 言葉を発することを思い出したように、憲兵は答えた。


「戴冠の儀の日は、祝いの日であります。王はいかなる公務も免除されて――」

「そもそも戴冠の儀の日に公務を免除したのは、神の取りはからいである。新たな神託をたずさえての王の謁見を引き止める権限が貴殿におありか」


 憲兵はごくりとのどをならし、「いえ」とみじかく答え、同僚に叫んだ。


「開門!」


 神官たちはじっと前だけ見すえて門がひらくのを待っていた。


 ペトスコスは迷った。


 この連中が王の味方でないことはたしかだ。先の戴冠式において、ペトスコスは神殿の奥まった場所でその顛末てんまつを見ていた。けして腹のうちを明かさない不気味な神官たち。彼らにかかれば、王の権力をそぎ落とすことも、その正当性をゆらがせることも指先ひとつ。


「神官殿。私もご同行させてはいただけまいか?」


 気づくとペトスコスは低頭しながらそう口走っていた。神官の長がしわの深い目尻を動かし、ペトスコスを一瞥いちべつする。


 あまりにもおそれ多いことをしていた。


 わかっていたが、なおも口から言葉がするすると出てくる。


「私は里子省のペトスコスと申します。ケルティス人のあつかいにおいては専門家といっていいでしょう。此度の王の命令においてこれからなにが起こりえるか、私の知識はおおいに参考になるはず」


 ペトスコスが早口に言うあいだに、格子の門がひらき、憲兵が低頭した。数十の連なる神官の列の、先頭に立つ長が、ペトスコスから目をそらして歩みを進める。さらさらと衣擦れの音だけひびかせて、顔のない行列がペトスコスの前をとおりすぎてゆく。


 だめか――ペトスコスが落胆しかけたとき、最後尾の下級神官が立ち止まり、ペトスコスにうなずいた。


「長からの許しが出ました。ともにまいりましょう」


 あいかわらず、神官たちは無表情で足音ひとつ立てない。いつのまに意思疎通をとったのかとペトスコスはかんぐったが、いまはともかく、迷っているひまなどない。


「じゃ、行くよ」


 ペトスコスは憲兵に笑いかけると、下級神官のとなりに立って宮廷に入りこんだ。

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