2−2 はじまり

 四人はつれだって王都広場へ歩いていった。


 王都と城下町にはなめらかな石畳がつづき、ひび割れや段差ができればすぐに補修される。その道の両側からせり上がるように建つイスラ。木をあみこんだかこいの中で、売られるのを待つニワトリやウサギたち。等間隔に植えられた果樹は枝を広げて人びとに木かげを与え、人びとが井戸端会議に花を咲かせる。


 商店にずらりと並んだくだものは新鮮なもの、干したもの、砂糖漬けにしたものまでさまざま並び、売り子が背おう魚の日干しや肉の腸づめ、家族がひと月かけて食べるパンが香りをただよわせる。イスラの一階にかまえた食堂や軽食屋には人があふれ、その場で食べたり弁当にして持ち帰ったり。道ばたのそこかしこで、大人たちがトンバを飲みかわして笑っている。


 トンバはテリ人が持ちこんだアワの酒だ。発酵させたアワの実に湯をそそぎ、少し待つとアルコールが染み出てくる。それを、先をつぶした木製のストローで飲む。湯は数度にわたってつぎ足され、味がなくなってくるとアワを取りかえる。


 シャンは、大人がもう捨てる、四度目のトンバを飲むのが好きだった。ほとんどお湯の味しかしないが、それでも独特の香りがあって、ふとしたときに思い出しては飲みたくなる。


「ねえ、ノラ。今日は三度目のトンバを飲んでもいい?」


 歩きながら、里親にそっと問いかける。ノラはどうしようか、という顔でシャンをちらりと見た。トンバは子どもには強すぎる。だが、シャンの少しおびえた顔を見て、思わず笑ってしまった。


「いいよ、三度目なら。お祝いだし」

「ほんと?」

「シャンも、あと二年で十三歳だもんね」


 それはそれで、シャンには複雑なものがあった。


 十三歳。つまり成人になれば、いいこともたくさんある。ひとりで行ける場所も増えるし、酒も楽しめる。けれど、かわりに責任も増えることを、シャンは知っている。奴隷の女なら、なおさら。


 城下町には庶民のにぎわいがあった。とくに今日は人出が多い。一年をとおしてもっとも過ごしやすい初夏というのもあるが、王の戴冠式を見物しようと、国中の人びとがあつまっているのだ。テリ人もケルティス人もいれば、大陸から来ただろう旅人もちらほら見かける。


 シャンは外国人を見るたびに誇らしい気持ちになった。自分はちっとも大陸へ行こうなどとは思わない。けれど彼らは、高い旅費を払い、危険な船旅をしてでも、この島国をひと目見ようとやって来る。自分の国がいかにすばらしいか、彼らが身をもって教えてくれるようなものだった。


 王都へつづく巨大な橋には、そこかしこに屋台が立ち、芸人がおどったり歌をうたったりして投げ銭を求めていた。アズマイラとトートは立ち止まって見たがったが、ノラがせかした。


「王都広場でお父さまがお待ちですよ、アズマイラさま。のんびりできません」


 好奇心旺盛な子どもをふたりも連れて歩くのは、目的地まで迅速にたどり着くことと相性が悪い。それでもノラとシャンは協力してうつり気な子どもたちをなんとか歩かせた。


 シャンは、アズマイラがこめかみに着けている魔よけの飾りをありがたく思った。馬の目につけて前だけに集中させる遮眼帯とおなじだ。ケルティス人だからと言わず、トートにも用意してやればよかった。


 戴冠石のある神殿は、いつもならあまりひと気のない神殿だ。建物自体は立派だが、改宗させたとはいえ、もともとボルグの神が祀られているものだし、かようには道のりがけわしすぎる。段丘をひとつのぼるごとに、とおく離れた斜路と階段を歩き、まわり道していかねばならない。王宮からは一本道の空中通路がかかっていると聞くが、市井の一般人は遠まわりをさせられる。


 ようやっと王都広場に着いたとき、すでに奥の神殿からは、並ならぬ緊張感が伝わってきた。平時ならば観光客しかいない閑散とした広場には、城下町の大通りと見まごうほどの人だかりができていた。


 だが、やけにしずまりかえっていて、大人たちは神殿を見つめて立ちつくし、子どもをしっかりつかんだり、つれあいと目を見かわしたりしている。


「なにかあったの、ノラ?」


 ぼう然とする人びとをさけて進みながら、シャンは里親に問いかけた。ノラは困惑した顔で首を伸ばしているが、よく見えないらしい。


「わからない。いま、戴冠しているのかも!」

「ええっ。まにあわなかったの?」

「戴冠なんて見なくたっていいのよ。大事なのはそのあとのお祭りなんだから。でも、困ったな。この人ごみじゃ、エイダンがどこにいるのかわからない」


 シャンの里親のもう一方でもあり、ノラの夫であるエイダンは、主人を助けるため先に来ているはずだった。省長であるアズマイラの父親は、いままさに神殿内のすり鉢状の石段に座り、儀式に立ち会っている。エイダンはテリの庶民文字を少しばかり書けたので、アズマイラの父は彼を伝達役として重宝していた。


「とにかく、前のほうへ行きましょ。戴冠式が終わって王さまが宮廷に戻ったら、みんなで落ちあうことになってるから。さ、アズマイラさま、気をつけて」


 落ちつきのないトートをつかまえてだきかかえ、アズマイラとしっかり手をつないで、ノラは人をかきわけるように進んだ。シャンはアズマイラの反対側の手をつなぐ。とたんにアズマイラはふざけて体の力をぬいた。


 子どもはいつもこうだ。大人が両側から手をつないでくれたとたん、ブランコみたいに遊んでくれると思って歩くのをやめてしまう。


「いまはダメ! エイダンと一緒のときにして」


 シャンがおこると、アズマイラはほっぺたをぷくっとふくらませて「シャンって、力が弱くて持ちあげられないもんね!」と言いかえした。


「そうじゃなくて、こんなに人が多いんだから――」

「シャン、いい年してアズマイラさまとケンカしないで」


 ノラにぴしゃりと言われて、シャンは恥ずかしさでまっ赤になった。アズマイラがくすくす笑っている。


 まったく! シャンが奴隷じゃなかったら、そのほっぺたをつねってやったのに!


 私が奴隷じゃなかったら。


 でも――私は本当に、奴隷じゃないのに。


 ノラが立ち止まった。アズマイラとシャンも立ち止まる。そのころには、シャンも広場の緊張をいやでも感じとっていた。


 大人たちがざわめき、ある人は走りだし、ある人は怒りで地面をふみにじり、ある人は不安げにささやきあっている。シャンにはききとれなかったが、ノラはなにかきいたらしい。ぴりりと緊張した面持ちになった。ノラはトートをだきなおし、アズマイラの手をシャンにたくして近くのケルティス人に話しかけた。


「もし。それ、どういうことです?」

「おれだって知るかよ。だけど王の命令が本当なら――」


 アズマイラはちょんちょんとシャンを引っぱった。


「みんな、なんの話をしてるの?」

「わからない」


 けれど、恐怖は感じた。シャンはアズマイラの後ろに立って、守るように両手をクロスさせてアズマイラの胸を押さえた。アズマイラも、おそれをなしたようにシャンの腕をしっかりつかんでいる。ふたりは、真剣な顔で話しこむ大人たちをじっと見ていた。すると、どん、とシャンの背中にだれかがぶつかってきた。


 シャンがふりむくと、テリ人とケルティス人が言いあっていた。若いケルティス人が、眉間にしわをよせて主人に刃向かっている。


 シャンはひやりとした。


 ――この人、どうしちゃったの?


「早くしろって言ってんだ。きいただろ? 王さまの命令だぞ!」

「ま、まて。まだどういうことなのか、当局からはなにも――」

「当局? それは王さまよりも偉いのか? あんた、王さまに逆らう気かよ」


「王が発言したからといって、すぐに法が適用されるわけじゃない。もう少しだけ待てと言ってるんだ。これはなにかの間違いかもしれないんだから――」


「いいや、間違いなんかじゃないね。みんな聞いてたんだぜ。なあおい、そうだろ。王さま万歳! おれは前からあんたが大きらいだったんだ。いますぐおれを解放しないと――」


「シャン。行くよ」


 ノラがふたりの手を引き、いそいでそこを離れた。


 先ほどまであんなに楽しげな雰囲気だったのに、突然べつの日になってしまったようだった。あちらでもこちらでも、言いあい、ののしりあう大人たちがいる。足早に広場を去る人、逆に目をらんらんと光らせてケンカに乗りこんでくる人、仲裁する人、ただ泣く人、笑う人、王をほめたたえて叫ぶ人――。


「ノラ。どうしたの? なにがあったの?」

「――わからない」

「おねがい、教えて」

「本当に、わからないのよ!」


 そんなことがあるものかとシャンは思った。ノラはちゃんと知っているくせに、教えてくれないだけにちがいない。


 大人はいつもこうだ。子どもには耐えられないだろうと勝手に決めつけて、教えてくれることと教えてくれないことを分けてしまう。


 だけど自分はもう十一歳なのだ。もう少しで十二になるし、すぐにトンバだって飲めるようになる。アズマイラやトートとおなじあつかいをされては困る。


 シャンは耳を大きくして歩いた。大人たちの言葉がつぎつぎ耳に入ってくる。「奴隷じゃない」「王の命令」「戴冠石が認めた」「ケルティス人は自由だ」――。


「ノラ!」


 神殿へむけて人をかきわけていると、横から背の高いケルティス人がにゅっと出てきてノラの肩をつかんだ。ノラとシャンははっとして、相手がだれだかわかると安堵の息をもらした。


 うねる髪を頭の上でひっつめたエイダンは、「よかった」と言ってトートごとノラをだきしめると、さっと妻にキスをした。身をよじっておとなしくしてくれないトートをあずかり、シャンとアズマイラにうなずきかける。


「みんないっしょか。よかった。怖かっただろ。がんばったな」


 シャンはアズマイラをきゅっとひきよせてうなずいた。アズマイラはシャンにつかまって「怖くないもん」と強がった。エイダンは「あ、それは失礼しました、お嬢さま」とおどけて笑う。


 いつもとおなじふわりとしたエイダンの調子に、シャンはほっとした。なんとなしに恐ろしい空気を感じとってピリピリしていたけれど、エイダンにはそれを壊すほがらかさがあった。


「なにがあったの? エイダン」

「くわしいことはあとだ。それより、家に帰ろう。ここはあぶない」

「あぶないって――テリ人の神殿の、目の前なのに?」


 その言い方に、シャンはちくりと違和感を覚えた。


 いままで、ノラが神殿のことを話すとき、「テリ人の」と付け加えることはなかった。神殿はただの神殿で、それ以上でもそれ以下でもなかったはずだ。しかし急に、それは自分たちとはちがう民族の建造物だと、ノラが無意識に意識しはじめたらしい。


「だけど、すでにあぶなっかしい雰囲気だろ」


 エイダンはみじかく答え、ノラに目で合図した。ノラはあわててアズマイラをだきかかえ、エイダンはシャンの手を取った。


「なるべく人の少ない道を行こう。こっちだ」


 手のかかる子どもをなだめすかしながら歩いてきた往路を、里親たちは倍のはやさで戻っていった。


 おだやかで豊かであることが自慢の王都には、そこかしこに怒声と混乱がうずまいていた。ふたたびおそろしくなってきたシャンはエイダンの手をぎゅっとつかみ、もう一方の手では、ノラがだくアズマイラの上衣をつかんだ。


帰る家はひとつで、それぞれ道は心得ている。それでも、手を離したらばらばらになってしまいそうでこわかった。


 シャンは急に、アズマイラがふびんに思えてきた。自分やトートはまだいい。混乱の中でも方向を指し示し、先頭に立って歩いてくれる親がいる。けれど、まだ彼女の父親はあの神殿の中にいて、この混乱の元になったなにかと対峙しているにちがいないのだ。


「解放された! 解放された!」


 叫びながら走りまわるケルティス人の横を、里親たちは伏し目がちにとおりすぎていった。シャンは小走りになりながら、涙を流して喜ぶケルティス人をじっと目で追った。


 なにかが変わりかけている。家に帰るまでに、シャンはいやでも理解した。王がなにかを命じたことも。そのおかげで、ケルティス人たちが奴隷ではなくなったらしいということも。けれど、まだどこかぴんとこないでいる。


 奴隷でなくなったのなら、ケルティス人は、いったい何になったのだろう?


 私は、今度は何になったの?


 それはまだだれも教えてくれない。だけど大人ならきっと知っているはずだ。いつだってそうなのだから。万に一つも、大人がなにもわからないなんてことは、ありえない。


 あとは里親たちが、シャンに教える気になってくれるのを期待するばかりだ。

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