1−3 命令

「私はうれいてきた。この国のゆく末を。みなが言う。この国は楽園だと。人びとは平等で、不義理なく、自由に生きられると。ならば真実そのようにしたい。私はひとりの取りこぼしもなく、人びとが自由でいられる国をのぞんでいる」


 氏族や廷臣たちは目を見交わし、ほっとため息をもらした。


 よかった。


 王は、これまでどおりの王とおなじような、あたりさわりのない、つまらない命令を国民に与える気でいらっしゃる。


 それでいい。この王には、どうせ長く王位についてもらう気などないのだから。なんとかはやく世継ぎを産ませ、不吉な白い肌を持つ王にはさっさと退場してもらおう。それが国民の大多数の意見にちがいない。


 王とは、簡単にすげ替えられる、かかしの首のようなもの。だがどうせ愚王を演じてもらうなら、せめて力強く、あるいは美しく、大衆が思わず頭をたれたくなるような人間であるにこしたことはない。


「戴冠の石の名において、命令をくだす」


 王は言った。


 廷臣も、神官も、氏族も、召使いも奴隷も市井の人間も、息をつめてそのときを待った。


 人びとは、すべてが終われば王都広場に行って祭り囃子をきき、砂糖をまぶした菓子を食べ、出店で夕餉ゆうげをすませようと楽しみにしていた。戴冠の儀は数十年ぶりのお祭りさわぎで、この日にしか飲めない特別な酒を飲み、囚人は恩赦おんしゃを受け、商売人の借金は国が肩代わりしてくれる、非日常の特別な日なのだ。


 だれもかれも、王の言葉を真実待っていたわけではなかった。ただ、儀式はすませてしまわなければ、区切りがつかないのも事実。人びとは儀式によって見えないものに印をつけ、前に進んではくびきを打つ。そうやって、なにもかもを受け入れることができる。


 王は息をすい、口をひらいた。


 彼もまた、この日のために区切りをもうけながら生きてきた。


 この日のために。


 それだけのために。


 刺しちがえるつもりで。


「テリ人も、ケルティス人も、おなじ人間である。よって、ケルティス人を奴隷として所有することも、むち打つことも、意思に反した労働を与えることも、彼らのいかなるものを不当に搾取することも、今日この瞬間から、一切認めない。テリ人はテリ人に対するようにケルティス人に接し、ケルティス人もテリ人とおなじようにこれに接すること。この国にもはや奴隷は存在しない。王としてこれを禁じ、また王として命令をくだす。これ以降、ケルティス人を不当に差別し、自由をうばい、奴隷のようにあつかう者は、テリ人を不当に差別し、自由をうばい、奴隷のようにあつかう者とおなじように罰せられるだろう。ケルティス人を殺す者は、テリ人を殺す者とおなじように罰せられる。ケルティス人を傷つける者は、テリ人を傷つける者とおなじように罰せられる。ふたつの民族でちがったあつかいをしてはならない。この国に住む者は、だれであろうとこの命令にしたがわねばならない。これが、王としての、私の最初の命令である」


 すべての音がいだ。


 人いきれも、風の音も、広場をいきかう家畜のいななきさえ、神殿の神聖な石にすいこまれて消えてしまったようだった。


 神官の長ははじめて、その顔に感情の色をみせた。彼のうしろには神官たちが戴冠の石につづく階段につらなり、すり鉢状の石段には氏族たちが、廷臣が、役人が、兵士が、学者が、召使いがひかえて息をこらしていた。


 神官の長は、つとめて平静をよそおった。


「それが――王の最初のご命令で?」

「そう言った」


 王はみじかく答えた。神官から目をそらし、伏し目がちに自らの衣装の装飾を見やる。その白いまつげのあいだから赤い瞳がすかし見え、長はぞっとした。


 赤は、最高神である海の神の、双子の姉にして最大の敵である、火の邪神の色。


 神官の長は必死に頭をはたらかせた。


 この、愚にもつかない命令を、効力が発する前に取りさげさせなければ。


「王よ。賢明にして慈悲ぶかきお方」


 神官は低い声で進言した。


 興奮して手のつけられない獣を前にするかのように。


「どうか、私の心苦しさが少しでも王のお心に伝わりますよう。王のみ言葉はだれが発するそれよりも尊きものです。しかしそのご命令が、けがらわしい奴隷についての取りあつかいに尽きることは、なんとももったいなく存じます。どうか、あなたの民にまつわる命令をお与えくださいませ。めでたきこの日にもっともふさわしいお言葉を――」


 戴冠の儀はまだ終わっていなかった。王が命令をくだし、その石の上をしりぞいたときに、はじめて命令は効力を発揮する。


 だれもそんな伝説など信じてはいなかった。が、神官の長はいまはじめて、戴冠の石の言い伝えを心の底から信じ、おそれをなした。


「一度口から出た言葉はけっして戻らない」


 まだどこかにあどけなさの残る王は、血の色の瞳で神官を見おろした。神官はいかりに燃えたが、表面ではほほ笑みを浮かべ、頭をたれた。


「偉大にして公平無私なる王。あなたさまは多くの歴史に精通していらっしゃるはず。軽はずみな命令で、自身が後悔するほどの罪をおかした王が数多いたことか。どうぞご決断は先送りに。我々神官と心ゆくまで議論されたあとでも遅くはございますまい。その命令によってどのような不都合があり、どのような弊害があるか、まだだれも真剣に考えたことがないのです。良いことも悪いことも、すべて把握し、納得されたあとで命令をくだしたとしても、王の命はかならずやこの国のすみずみにまで行きわたりましょう。寛大にして聡明なる王。王自身のためにこそ、慎重なご判断をくだされますよう」


 顔をあげた神官は、不覚にもふたたび感情を表に出してしまった。


 王が笑みを浮かべて自分を見つめていたからだ。


 これが、自分たちのつかえる王なのだろうか。

 偉大なる海の神の血をひくお方?


 いいや、ちがう。


 これは邪神の落とし子だ。


 白き王は身を乗り出し、神官だけにきこえる声でささやいた。


「欲深で抜け目のなかった先王が、それとは知らず傀儡かいらいを演じて死んでいっただけはある。だが、私は父のようにはいかぬぞ」


「――――」


 年老いた神官は目を細めて王を見つめた。白き王は背もたれによりかかり、小首をかしげて神官を見かえしている。その口角を、くすりとあげて。


 ――小童が。


「唯一無二なる最上の王、どうかお考え直しを。かの命令は、国民の所有物を解放するということです。あまりにも横暴では――」


「言葉に気をつけよ。王がなすことに、『横暴』という言葉は使われない」


 白き王は淡々と答えた。


「そもそも、この国のものはすべて、王である私のものだ。宮殿も神殿も街も港も兵士も人も。深い森も、遠い山の峰も、家畜も飛ぶ鳥も、すべて私が神から借り受けたものであるはず。ならばケルティス人も、ひとり残らず私のものだ。私のものなれば、私の好きにさせてもらう」


 神官はいらだった。たしかにそうだ。そういうことになっている。国のすべては王のもの。しかしそれは言葉のあやだ。


 実際は、王はなにひとつ持ち得ない。王が所有しているように見えるもの、すべてが神ではなく、国民から取り立てた借りものにすぎない。


 だが、神官は反論できなかった。

 真実を口にすれば、不遜の罪で極刑に処されるだろう。


 王はゆっくりと立ち上がり、神官のすぐわきを横ぎり、下級神官の横もとおりすぎていった。戴冠の石から神殿の柱廊へまっすぐかけられた斜路を、そこに敷かれた群青の絹をふみつけながら進んでいく。


 だれにも王をとどめることはできなかった。すり鉢の周縁、通路の終わりに足をかけたとき、王はふりかえり、戴冠の石の上でぼう然とする神官を見つめたが、そのまま無言でその場を去った。王とその取りまきだけがとおることを許される、戴冠の石の神殿と宮廷をつなぐ特別な空中通路を使って。


 表情を変えぬようにつとめていた神官たちは思わず目をむき、廷臣たちは言葉も出ず、氏族たちはぼう然とし、召使いたちは顔を見あわせた。戴冠の石の広場にあつまっていた市井の人びとは、テリ人もケルティス人もいたが、あっけにとられ、ただ白き王が宮廷に戻っていくのを見送るばかりだった。


 その場にいたケルティス人たちは、自らの首にはめられた青銅の首輪を外すよう、となりにいた主人に求めはじめた。その首輪は、彼らが奴隷である証であり、彼らの所有者がだれであるかを示すものだった。


 主人にそのような要求をすれば、数分前であればしたたか怒鳴られ、むち打たれていただろう。だが、テリの主人たちはだれもそうしなかった。正確には、だれひとり、奴隷に手をあげることができなくなっていた。


 戴冠石の魔力によって、王の言葉が効力をもち、この国全体を支配していた。

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