1−2 予言

 その予言は古ボルグ語でなされた。


 市井の人びとは、開け放たれた神殿の扉の外で、石の予言をきいていた。


 老人がすり足で歩いても決してつまづくことのないなめらかな石畳の広場には、国中からあつまった人びとがひしめきあい、儀式が終わるのを待っていた。


 神殿の外壁は水色と青と群青のタイルでおおわれ、海のようにうねり輝き、日の光にきらめいている。大きく開け放たれた扉から中をのぞくと、すり鉢の真ん中に置かれたように、巨大な石が半分顔をのぞかせていた。戴冠石の上の黒い玉座には、八角形の窓からおりた光に照らされて、王が神々しく光り輝いている。


 人より白い肌が、王を輝かせてみせたのだ。


 石の予言をきいた人びとは、言葉の意味を理解することができなかった。


 人びとは、神官たちが趣向を変えて、より神秘的な演出を考えたのだろうかとささやきあった。あるいは、今後の自身の身を案じた吟遊詩人が、恐怖のあまりわけのわからぬことをわめいているのだろうかと。


 当の神官たちは心の底からおどろき、おびえていたが、それを表には一切出さなかったので、はた目には落ちついて見えた。


 人よりも神に近いことを示す化粧――目の周りとくちびるを漆黒で塗りつぶしている――をほどこした彼らは、自分たちすら知らない古い言葉――ケルティス語を学ぶ者はまれにいたが、それすら死んだ言葉になりつつあった――を解明するため、すぐに言語学者を呼びにやった。


 仕込んでいた吟遊詩人はかけつけた下級の神官に問いただされてなお、ぼう然自失としている。そのあいだ、王に戴冠した神官の長は、おだやかな笑みも、あつく塗られた黒い化粧も、一切くずさなかった。


 なんにせよ、祝福の意を示さねばならない。戴冠の石が沈黙をやぶって、王を――真偽のあやしい記録によれば、じつに三百年ぶりに――認めたのだから。


 新しき王は、廷臣たちが走りまわり、学者や神官が予言の言葉を解釈するあいだ、戴冠の石の上でじっとしていた。玉座の背もたれに身をあずけ、ひじかけにもたれて頭を手でささえ、ことが進むのをしずかに待った。


 年若い王は、まわりの人間をせかしたり、おどしつけたり、命令をくだすほど、傲慢でもおろかでもなかった。


 彼は幼少のときよりきびしくしつけられ、言葉の重みをだれより気づかうことをくり返し学んでいた。人びとを混乱させる言葉は軽々しく口に出すべきではなく、人びとに敵意をいだかせる言動もすべきではない。言葉を間違えれば彼は有無をいわさずむち打たれ、選択を間違えればただちに責を負わされてきた。


 普通、王子や王女は甘やかされて育つ。どんなにきびしくしつけようと王や女王が意気込んでも、けっきょくは位の低い家来や召使いたちによって、甘く育てられてしまうものだ。


 人の心は自分に甘い。いまは無力な子どもでも、いずれ権力を得るとわかっていれば、まわりはちやほやせずにはいられない。


 きびしく当たれば王子や王女はそのことをしっかりと覚えていて、大人になってから復讐されるかもしれない。逆に自分を味方だと思わせておけば、いざえらくなったとき、出世させてくれるやもしれない。そうすれば、家族のみならず、一族もろとも楽にしてやれる。


 だが、白き王子の世話役をまかせられた者たちは、見るからに病弱な子どもが王位を継承するほど生きながらえるとは、ついぞ思っていなかった。


 父王が息子をうとみ、他人に絶対服従する人間に育てよときつく命じていたせいもある。だが真実は、世話係をあてられた彼ら自身が、王子の肌の色をおそれて――あるいは、忌みきらって――いたのだ。


 王子は、ほとんどさげすまれて生きてきた。


 いまも状況はあまり変わっていない。


 白き王はだれよりも権力を手にしていたが、同時にだれよりも不自由だった。


 彼は生まれたときから職業選択の自由もなく、結婚の自由もなく、わがままにふるまうことも、生きているうちに地位を放棄することも許されず、国民のためだけに生きることを義務づけられていた。その意味では、王は国の奴隷だった。


 ぜいたくな暮らしとかしずく家来たち……だが、彼を真にうやまい、忠誠を誓う者はひとりもいない。


 王は自分が孤独で、煙たがられ、さっさと王位をしりぞくこと――それはつまり、死を意味する――を望まれていると知っていたが、その事実を認める者はひとりとしていなかった。


 真実を口にした者はだれであれ、不遜の罪を問われて極刑に処される。


 王都学園の言語学者が呼ばれ、予言について問いただされた。


 神官たちはああでもないこうでもないと議論を戦わせ、王の肌の色をちらりと見て、小さくため息をつきつつ、戴冠の石が叫び声をあげたこと、また本物の予言をしたことはもう疑いないことがはっきりした。


 神官の長がうやうやしく王に頭をたれ、祝福とますますの繁栄を祈った。


 神官の肌の色は褐色だった。氏族も、廷臣も、役人も、兵士も、学者も、召使いも、建築家、芸術家、吟遊詩人、書記官、商人、職人、学生、そのほか市井のテリ人も、美しい黒髪と、なめらかな褐色の肌、黒い瞳を持つ。


 この国において、白い肌と明るい髪の色、暗くない瞳の色は、彼らにとっての敵を連想させる――ケルティス人、すなわち彼らの奴隷を。


 人びとは白き王を直視せず、目を伏せて、これは何かの間違いではないかと胸の内で問うた。


 だれがてっぺんになったとてかまわない。人びとの暮らしは昨日とおなじくつづくだろう。だが、よりにもよって、三百年ぶりに戴冠の石に認められた王が、奴隷のように白いだなどと、いったいだれが予想したろうか?


「石はなんと予言した?」


 ようやく王が口を開いた。神官の長が話しはじめるのを押しとどめ、王は背後にひかえている学者にまっすぐ問いかけた。自分のつぎに地位の高い者ではなく、より知識があるだろう学者に目を向けて。


「おそれながら」


 言語学者はふるえながら言葉を発した。


 王と目をあわせることはできなかった。自分がこれから口にする言葉によって、王の怒りにふれて殺されるのではないかとおそろしかった。


「古ボルグ語には、ひとつの単語に複数の意味がこめられることが多々ございます。石が語った言葉は三つの単語でございました。こみいった文章であれば文意からその本意を読みとれますが、たった三つの単語の組みあわせとなると、その意味する選択肢は数えきれず――」


「ただ、答えればよい。石は私のことをなんと言った?」


 学者は棒のようにひょろりとして頼りなく、嵐の日のかかしのように、いまにも吹きとばされそうだった。


 彼は家族のことを思った。いい人生だったと思おうとした。だが、書物とろうそくと古言語の解読に明けくれた日々は、しけってかびの生えた、みじめな一生だったと彼に思い出させただけだった。


「おそれながら――“最悪の王”、あるいは“最後の王”と、読みとれるかと」


 言語学者の言葉をきいた者たちは息をのんだ。


 先王から穏便に役目を受け継いだと安堵していた廷臣たちは自分の先行きが不安になり、虎視眈々こしたんたんとその玉座をねらう気でいる氏族たちはさっと目を見交わした。感情を出さぬよう訓練された神官たちは、黒で縁取られた目をじっと正面にすえたまま動かずにいた。召使いや奴隷たちはふるえだし、自分の神々に祈りはじめた。王が亡き者になれば、いつか復活するときのためにと、自分たちも墓に埋葬されてしまうかもしれない。どうか王が少しでも長生きしますように。


 王はふたたび言語学者に問いかけた。


「最悪の王と、最後の王。どちらの意味のほうがより本意に近いと思う?」


「おそれながら――どちらの意味もおなじくふくんでいる、と考えるのが、真実に近いかと」


 白き王は玉座のひじかけに両ひじをつくと、両の手のひらで顔をおおって動かなくなった。


 王が微動だにしないので、まわりの者たちはだんだんとおそれをいだいた。


 いくら肌の色が白かろうが、いくら外見が奴隷と似かよっていようが、彼はテリの王であり、最高権力者であり、その言葉は簡単に人を生かしもすれば、殺しもする。先王は残酷な男だったが、その息子はさらに残忍な魂を持っているだろうか?


 神官たちの目とくちびるに塗られた黒は、決してなににも染まらない、神の色だった。黒で守ることで、聖なる意図を世に借り入れ、人びとに伝えることが可能となる。


 反対に、白は魔の色。

 たやすく染まり、平気で悪をはたらく、邪気の好む色。


 二百年前、大陸から侵攻してきたテリ人がケルティス人と共生せず、制圧するにいたった理由は、彼らへの猜疑さいぎ心をぬぐいきれなかったことも大きい。


 白い肌の人間は信用できない。


 それが、テリ人にすりこまれた本能のようなもの。


 白き王は目の上にかけた手を外した。人びとはおそれ、ちぢこまった。


 王はほほ笑んでいた。


「中断していた儀式をつづけよ」


 言葉をかけられた神官の長はぎくりとした。彼は石が本当に叫んだことにおどろき、予言の意味をはっきりさせることに時間をさいたせいで、戴冠の儀を最後まで終わらせることをすっかり忘れていたのだ。


 戴冠の石に認められた王は、国民に対して命令をくだすことができる。この命令には、だれであろうとそむくことはできない。石の魔力は国のすみずみに行きわたり、彼が死ぬまでその命令は生きるという。だれであろうとしたがわねばならない、とはつまり、王自身でさえ、その命令を撤回することはできなくなる。


 この三百年間、戴冠の石が現実に叫んだことはなかった。代わりに叫んだ吟遊詩人によって石に認められたふりをした王たちは、あたりさわりのない命令――人を殺めてはならぬとか、わが王位をねらってはならぬとか、だれもが繁栄につとめねばならぬといった、石のおかげか人びとのおかげかわからない命令――をくだし、自らの王位継承が正当であるかのようにふるまった。儀式はただの儀式であり、実効性などだれも期待していなかった。


 神官をふくめ、戴冠の儀にいあわせた人びとも、つい先ほどまで、白き王が似たような命令をくだすものと考えていた。あたりさわりなく、人びとを混乱させることなく、自らの敵を増やさぬような命令をくだすのだと。


 その場の者たちは、急におそれをなした。


 白き王は、真実戴冠の石に認められた王。


 彼の最初の命令には、逆らうことができなくなる。


 神官の長はさだめられたとおりの口上をのべた。戴冠の儀のたびに行われる祝言、契約、神々への謝辞。白き王は表情をかえることなく、しずかな双眸そうぼうで儀礼のなりゆきをみつめていた。


 父王は自らの戴冠の儀のあとに身内を全員亡き者にし、後継者あらそいの芽をつんだ。そのときにおさなかった白き王子だけが、「どうせ長くは生きられまい」とお目こぼしにあい、生き残ったのだ。


 王子は大方の予想に反して成長し、ひとりめの妻も十三歳で迎えていた。彼はいま、はじめて人びとの前に立ったとは思えないほど堂々と王の威厳を示していた。


 神官の長が口上を終え、王の命令をこい、深々と低頭する。


 王は玉座の上で背すじを伸ばし、開け放たれた神殿の扉の、そのまた向こうまでつづくケシの実のような人だかりに目をこらし、ゆっくりと口を開いた。

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