序章

1 テリの白き王

1−1 戴冠の石

 その島に文字がなかった時代から、戴冠たいかんの石はそこに鎮座していた。


 その巨石を中心にして壮麗な神殿が建てられ、王都が築かれた。


 神殿には、すり鉢状の石段が巨石をかこみ、まわりを列柱が円形に並んでいた。列柱の外側をかこむ壁には親指の爪ほどのタイルがはられ、モザイクの絵物語があざやかに描かれている。神殿の天井はゆるやかなドームになっていて、石の真上では八角形の天窓が神殿に光を取り入れていた。


 モザイクの壁とおなじように、列柱のひとつひとつにも、おなじく絵物語の彫刻がほどこされていた。絵物語や彫刻のモチーフは、決まって神々と英雄の物語だ。その物語は島をおさめる民族の信仰によってうつりかわる。


 かつてはボルグ、そのあとはケルティス……現在のところはテリ人が神殿の所有者となっている。それぞれの物語を区切るように金と緑の石が柱にはめこまれ、うす暗い神殿にともされたろうそくの光でにぶく輝いていた。


 戴冠の儀の日には、神官、王の氏族、廷臣、兵士、宮廷の召使い、奴隷、市井しせいの人びとが、新たな王の誕生に立ち会わんと、神殿の前の王都広場をおおいつくした。


 民族が変われど、信じる神が変わろうとも、この島で王と名乗る者は、例外なく戴冠石たいかんせきの上に立つ。


 それがふさわしい者ならば、石は叫び声をあげ、予言をもたらすといわれていた。王が人びとにどのような恩恵をもたらす名君か、あるいはどのような厄災をもたらす暴君であるかを。だが、そもそも王としてふさわしくなければ、石は沈黙する。


 その石は、すでに三百年ものあいだ、沈黙を守りつづけてきた。そのあいだ、百を超える王や女王が戴冠の儀をとりおこなったにもかかわらず。


 しかしもちろん、表向きには石は叫んだことになっていた。


 そのからくりはこうだ。戴冠の儀の日に、言葉をたくみにあつかう吟遊ぎんゆう詩人を石の影にひそませておく。有無をいわさず連れてこられた詩人は、一切なにも命令されることはない。だが、自分がなにを求められているのかは理解している。ときが近づいて王がその頭にかんむりをいただくと、吟遊詩人は声のかぎりに叫ぶ。


 詩人は芝居がかった声で、新しき王は偉大な王になるであろうとか、神々によって真に選ばれたる王であるとかいった“予言”を述べる。すべてが終わったあとも、宮廷の人間は吟遊詩人に言葉をかけることはなく、だまって袋に入った金貨を詩人に手渡し、彼を帰す。


 戴冠石の代わりをつとめることは、吟遊詩人にとってこれ以上ない名誉だったが、同時に呪いでもあった。仕事をうけおったとしても、けっしてそれを人に言ってはならない。言葉を生業なりわいとする詩人にとって〈秘密〉とは、それそのものが真綿でゆっくりとしめ上げられる行為に等しい。


 吐き出さねば、伝えねば、詩人は生き地獄をあじわう。


 だが、もしも息苦しさに耐えかね、ぽろりと自分の功績をこぼしでもすれば、王の失脚をねらう者たちにかどわかされ、拷問を受け、利用されたあげくに切り捨てられるだろう。そうならずにすんだとしても、王の正当性をゆるがす大罪人としてたちまち捕らえられ、極刑に処されるだろう。


 詩人は秘密を守る苦しみに耐え、孤独と闘い、いつ宮廷の密偵が口封じに自分を殺しにくるかと、びくびくしながら一生を終えるはめになる。それでも、詩人を名乗る者は、いつか自分が選ばれはしないかと、期待せずにはいられないのだ。それが不幸のもとだと、だれもが知っているというのに。


 秘密を守るために吟遊詩人の命がおびやかされていたにもかかわらず、市井の人びとは戴冠石のからくりを公然の秘密として知っていた。そもそも、石が叫び、予言を与えるなど、まともに信じる者などいやしない。詩人をあらかじめ用意しておく時点で、宮廷の者も神官たちも、そんなものは伝説にすぎないと知っていた。


 人びとは儀式という名の迷信につきあい、新たな為政者の誕生を粛々と受け入れ、昨日とおなじ日々の営みをつづけていく。


 王がだれになろうと、大方にとってはどうでもよいことだった。てっぺんがどれになろうが、それで暮らしむきが大きく変わることは、まずもってない。時代の変化はゆっくり行われるのだと、人びとはたかをくくっていた。


 そもそも王というものは、てっぺんでふんぞり返っているのが仕事だ。国の民がなるべく数を減らさずに働き、税を納めるよう取りはからうのは、廷臣や官吏たちの仕事であって、王が直接手を下すまでもない。王にしかできない仕事がほかにあるとすれば、怒りくるった民衆によって引きずり下ろされる“贄”の役目だ。


 たとえば、戦で大敗を喫すれば。たとえば、悪逆非道の大悪人があらわれ、国に混乱と恐怖を与えれば。たとえば、地震、日照り、飢饉、疫病、そのほか災厄がつづき、人びとの不満が高まり噴出すれば。


 そうしたとき、怒りの矛先はいつでも王に向けられた。


 勝敗すら、国民すら、自然すら治められない無能な為政者は、死をもってつぐなわせ、新たな王をむかえて手打ちにする。


 だからこそ、王はだれでもかまわない。


 平時には不公平なほどに栄華をきわめさせるが、ひとたびどうにもならない事象がおこれば、鬱憤を晴らすための犠牲とする。吟遊詩人が秘密をかかえては息もできないのとおなじように、人は苦しみにあえぐとき、わかりやすいはけ口を欲する。だれでもいいが、つるしあげてもそれほど胸の痛まない人間が望ましい。


 だからこそ、人びとは王が人の上に立つことを黙認する。


 まつりあげ、つるしあげるための、格好の的であればこそ。




 物語は、とあるテリ王の戴冠式の日にはじまる。


 その日、彼がはじめて国民の前に姿を現したとき、人びとは息をのみ、まさかとわが目をうたがった。そして、王族であるはずの彼が、それまで一度も人びとの前にあらわれなかった理由をたちまち察した。


 褐色の肌を持ち、黒い目と黒い髪を持つ、美しきテリ人。


 だが、新しい王が持ちあわせていたのは、石膏せっこうのように白い肌とシラカバのように白い髪、目の奥に流れる血の色をそのままうつした赤い瞳――典型的な色素欠乏症、アルビノの持つそれだった。



 テリ人は、先住のケルティス人からうばった形で、この国をわが物とした。


 ケルティス人も、元はといえばボルグの民からこの土地をうばった人びとだった。とはいえ、ボルグをすっかり滅ぼしたケルティスよりも、あらそった相手を生かしておいたテリのほうが、いくらか人道的か。


 あるいは、ちょうどいい奴隷が手に入っただけかもしれない。


 新しい土地とケルティス人の奴隷をそっくりせしめたテリ王は、豊かで繁栄した国を造りあげた。王は人びとに、みなが平等で、差別も不義理もなく、自由に暮らせる国にすると約束し、それはほぼ実現した。


 褐色の肌を持つ、支配層のテリ人。

 白い肌を持つ、奴隷のケルティス人。



 奴隷よりも白い肌を持つ、テリ人の新しき王。


 白き王が戴冠の石のてっぺんにひざまずき、頭上に冠をいただいたとき。


 三百年の沈黙をやぶって、石が叫んだ。

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