第506話 ベスト・ドロップ

 アメリアは、自分の中に染みついた『紅茶の淹れ方』に、思わず小さな笑みを浮かべる。

 つい最近まで、味のある飲み物など飲めなかった。もっといえば、フィーネの飲ませてやれなかった。

 美味しいかどうかなんて二の次で、とにかく生きるために水を飲み、食べられるものを食べる。そんな生活だったのだ。

 それがいつの間にか、いかに美味しい紅茶を淹れるか、と考えている。

 どれもこれも、冨岡がアメリアに教えたものだ。自分の考え方が変わってしまうほど、冨岡の存在は大きい。そう自覚した笑みだった。


「お湯はポコポコと大きな泡が出るほど沸騰させて、ポットとカップは事前にお湯を入れて温めておく。温めたポットに茶葉を入れて、沸騰したてのお湯を一気に入れる。この時勢いよく入れるのがコツ」


 教えられた手順が、まるで最初から知っていたかのように言葉として口から出る。

 美味しくなれ。全員の心を解す紅茶になれ。アメリアは優しい表情でポットにお湯を注いだ。

 ポットの中で茶葉が踊る。

 お湯を入れると三分ほど蒸らすのだが、屋台の中には紅茶専用の砂時計が置いてあった。

 ひっくり返すと、ちょうど三分を計ってくれる。サラサラと砂が流れ落ちると共に、ポットの中で赤茶色が広がった。


「この砂が落ち切ったら、ポットの中をスプーンで一混ぜして、漉しながらカップに入れていく」


 言葉通りの動きをするアメリアの頭の中で、冨岡の声が響く。


『紅茶では、最後の一滴のことをベスト・ドロップと呼ぶんですよ。凝縮された一滴。その一滴があるかどうかで、紅茶の味は大きく変わるそうです。ものすごく渋くて、ベスト・ドロップだけでは、美味しいとは言えないんですけどね。紅茶になくてはならない一滴なんです。こんなことを言うと大袈裟かもしれませんが、ひとつの要素で大きく変わることって様々な場面でありますよね。その場に一人いるだけで、空気が変わる、とか。部屋の中に花があるだけで明るくなる、とか』


 最後の一滴を入れ終えたアメリアは、誰にも聞こえない声量で呟く。


「トミオカさんは『ベスト・ドロップ』ですよ。なくてはならないんです」


 華やぐ香りの中、アメリアたちは冨岡の帰りを待っていた。


 ちょうどその頃、冨岡は源次郎の家の前で、美作と会っていた。


「言われた通り、集められるだけ集めたけどよ。戦争でもおっ始めるのか? いや、現代の戦争は指一本で終わるから、戦争じゃなく紛争か? どっちでもいいけど、全部ツケにしてあるから、支払いは頼むぜ」


 美作にそう言われた冨岡は、力強く頷く。


「もちろんですよ。でも、こんな短時間で集められるなんて、美作さんから非合法な匂いがします」

「とんだ言い草だな。何でも屋の仕事は、顔が命なんだよ。色んなところに顔も恩も売ってる。それを活用しただけだ。それに、アンタ相手じゃなきゃ、ここまでしないさ。源次郎さんへの恩返しみたいなもんだ」

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