第495話 願いの声

 どれほど異世界で生活しようとも、冨岡は法治国家出身の日本人である。

 人の死に対して、大きな抵抗が拭えないのも無理はない。たとえそれが憎むべき敵であっても、だ。


「と、ともかく、貧民街では無駄な戦いは避け、ドロフとメレブを探すことに注力しましょう」


 冨岡が言うと、アリリシャがわかりやすく意思を主張するべく手を挙げた。


「あの、よろしいでしょうか?」

「どうしたんですか?」


 何か作戦でもあるのか、と冨岡が聞き返す。すると彼女は、周囲を見回しながら険しい表情を浮かべた。


「貧民街の周辺で待機を、ノノノカ様から命じられていたのは、私だけではありません。他にも三人いたはずなのですが・・・・・・」


 どうやら自分の仲間を探していたらしい。

 だが、貧民街の周囲と簡単に言ってもその範囲は広く、見つからないこともあるだろう。

 冨岡はそう考えながらも、彼女の険しい表情に不安を覚えた。


「もしかして、この場所で落ち合う予定だったんですか?」

「いえ、明確に決めていたわけではありません。私の任務はノノノカ様への伝令でしたから。しかし、ノノノカ様から最初に下された命令は、『ドロフ氏、メレブ氏に危機が及ばない限り、目立つような行動は控えること』です」


 アリリシャの言葉から察するに、ノノノカはベルソード家及び冒険者ギルドが、この件に介入していることを隠しておきたかったのだろう。それでも冨岡の部下であるドロフとメレブを助けるためならば、介入が公になることも辞さない。

 アリリシャたちに出されていた指示は分かった。けれど、彼女が何を言いたいのか理解できず、冨岡は首を傾げて問いかける。


「落ち合う約束をしていなかったのなら、元々居た場所に隠れているんじゃないですか? もしくは、騒動が起き始めて姿を隠した、とか」


 するとアリリシャは、一瞬躊躇うような顔をした。それでも報告は正確にすべきだ、と話し始める。


「我々が元々居た場所が、ここなんです。騒動が始まり、姿を隠したとしても、人の動きには注視するはず・・・・・・私が戻ってきたことを視認している場合、姿を隠し続ける理由がわかりません」

「元々ここに居た? ってことは、もうここには居ないってことですか?」

「おそらくは」


 その瞬間、冨岡は心臓を撫でられるような、嫌な感覚に襲われる。


「じゃ、じゃあ、ドロフとメレブに危機が?」


 ノノノカの命令は絶対。そんなベルソード家に仕える者たちが動く理由は、一つしかない。

 冨岡の問いかけに対し、アリリシャは不安そうに答える。


「い、いえ、そう決まったわけではありません。我々は貧民街に足を踏み入れられない関係上、ドロフ氏、メレブ氏を常に視認していたわけではないので。しかし、動くだけの理由があったのは確かかと」

「だったら尚更急がないと!」


 焦った冨岡は即座に地面を蹴る。レボルとアリリシャは、走り始めた背中を逃さないよう追いかけた。

 無事でいてくれ。胸が痛くなるほどの動悸を感じながら、冨岡はそう願う。

 神でも悪魔でも魔王でも勇者でも聖女でも、誰でもいい。自分のために危険な場所に向かった二人を守ってくれ。そう願うしかなかった。

 そのまま走り続け、もう少しで貧民街というところ。次の角を右折すれば住民たちの居住区だ。悲鳴や金属音は大きくなり、何かが燃える嫌な匂いや、鉄臭さが鼻につくようになってくる。

 それでも足を止めるわけにはいかず、冨岡は最後の角を曲がった。

 

「メ、メレブ!」


 角を曲がった瞬間、冨岡は心から仲間の名前を呼ぶ。これは願いの声ではない。

 目の前で横たわる仲間の名前を、咄嗟に呼んだだけだった。

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