第368話 婆さん

「やっぱりお邪魔させてもらっていいですか?」


 咄嗟に冨岡は意見を変えて、ノルマンについていく。

 嬉しそうなノルマンと家の中に入ると、どこか埃っぽく感じた。外と同様に中も掃除されていないらしい。

 いや、詳しく見ると机の上や台所などは清潔に保たれている。手の届かないところや、老爺の目線では気にならない場所は手をつけていないという感じだった。

 冨岡の推測は正しいらしい。ノルマンは独りで暮らしている。

 確信したのは、ノルマンに似つかわしくない白い花が棚に飾られていたことだ。その花は、小さな手紙の前に飾られており、その周囲だけがやけに清掃されている。

 家の中に入り、机と棚だけのリビング。冨岡が椅子に座るでもなく、棚の前で停止したことでノルマンはこれまで以上に優しい表情を浮かべる。


「すまんな、若いの。婆さんが生きていればスープを出してやれたんだがの」


 やはりノルマンの妻は亡くなっていた。残されたのは写真でも肖像画でもなく、手紙。

 おそらく、ノルマンの妻が最後に書いたものなのだろう。

 冨岡はこれまでのノルマンの行動を思い返し、涙が出そうになった。独り残された老爺は、どうしようもなく寂しくて街を歩いているのだろう。

 もしかしたら、妻と一緒に行った場所を巡っているのかもしれない。

 全ては勝手な想像だ。

 妻の影を探して彷徨う老爺を想像してしまったのである。

 しかし、それを言葉にする無謀さが冨岡にはなかった。


「そうだったんですか。俺も会いたかったですね、奥さんに。ノルマンさんを家まで連れて帰る大変さを伝えたかったですよ」


 冗談めかして答えると、ノルマンは優しく微笑んだ。


「ほっほっほ、やめてくれるか。本当に怒られる」


 その瞬間、開いた扉から風が入ってくる。そしてこれは偶然だろう。白い花が笑うように揺れた。

 ノルマンの妻を重ねるのは、あまりにも感傷的かもしれない。

 そのままノルマンは手慣れた様子で茶を淹れて、冨岡を椅子に誘導する。


「ほれ、座って飲んでくれ。味は保証せんがな」

「あ、ちょっと待ってください」


 冨岡はそう言って、白い花に手を合わせた。

 故人に手を合わせる、という行動は異世界でも同じなのだろう。冨岡は背中越しにノルマンの視線を感じた。

 見ているというより、見守っているという様子だ。

 ノルマンの妻に挨拶をした冨岡は、椅子に座ってカップに手を伸ばす。


「じゃあいただきますね」

「ほっほっほ、茶菓子はないがな」


 そのまま二人は会話を続けた。冨岡は当たり障りのない話題として、こう話し始める。


「そういえば、ノルマンさんって何をしている人なんですか? 仕事とか」

「仕事? もう隠居しておるわ」

「隠居というか引退する前は何を?」

「特に語ることもない、取り留めないことをしておった。魔法の研究をな」

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