第358話 教わることと学ぶこと
冨岡が何を成したいと考えているのか。直接話を聞いて、内容だけでなく感情まで深く聞き込んだヴェルヴェルディは、納得したように頷く。
「それで、私に子どもたちの教師を依頼しよう、と考えたのですね」
これが話の本題。
ヴェルヴェルディに学園で教師になってもらいたい。その話をするために冨岡はキュルケース公爵邸までやってきたのだ。
冨岡は好機と言わんばかりに肯定する。
「その通りです」
「そうですね、少し意地悪な質問をさせてください。物事を教えるとなれば、別に専任の教師出なくとも構わないでしょう。相手は子どもです。大人であれば教えられることは多い。わざわざ私に依頼する必要があるでしょうか。リスクが大きいとは思いませんか?」
彼の言うリスクとは、取り潰されたヴォロンタ家と関わることなのだろう。それだけではなく、その他の大人を雇うよりも金銭的負担も大きい。それを考えれば、教師としての質は落ちたとしても、他の大人を雇う方が容易いはずだ。
確かに意地悪な質問だったが、冨岡の意思は固い。
「それではダメなんです」
「ダメ?」
「家庭教師であるヴェルさんにこんなことをわざわざ言うのは、恥ずかしいですが『人にものを教える』というのは簡単ではありません。『知っている』だけではダメなんです。『知っている』のはただの前提条件。そしてそれは知識の深度が問題ではなく、相手に教える技術を持っているかどうかが大切なんです」
「なるほど。では、反論してみましょうか。親は子へ、生きる術を教えますよね。全ての親が教える技術について考えているか。否。考えていないでしょう。それでも成り立っている」
ヴェルヴェルディの反論はもっともなものに聞こえる。
冨岡が言うように教える技術が大切だとするのなら、ほとんどの子どもが親から言葉や仕草を学んでいることに説明がつかない。
だが冨岡はそれを別問題だと考えていた。
「分かっていて聞いていますよね? それは親が教えているんじゃなく、多分子どもが学んでいるんです。そうしないと、人間社会で生きていくことが難しいから。生存本能みたいなものじゃないですかね」
冨岡がそう答えると、ヴェルヴェルディは嬉しそうに笑う。
「ふふふっ、素晴らしい。いや、失礼いたしました。確かに本質を理解している方ですね。そう、それは教えているのではなく、子どもたちが自分から学んでいるんです。トミオカさんの言う通り。ただし、自我を持ってからはそう簡単にはいきません。漠然と『未来のために』なんて言われ、子どもにとって苦痛なことを強要されてしまう。人間の本能として学ぶことでもないのに、生きるために必要な知識。しかし、生きるために必要だ、と理解できるほど大人でもない。そんな子どもたちに教えるのには、専門の技術が必要になります」
彼の言葉を聞いた冨岡は、自分が試されていたことに気づく。おそらくこれはヴェルヴェルディなりの処世術なのだろう。
教師に対してどのように考えているのか。彼にとっては大切なことだった。
そこでダルクが手を叩き、破裂音を立てる。そのまま全員の視線を集めたところで口を開いた。
「どうです。互いに深く理解し合えたようですね」
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