第262話 親の感情、子の感情

「ああ? 金持ち様が貧乏人たちに同情して食いもん配ってんのかよ。お恵みってやつだ。そんなに金が余ってんならこっちにも恵んでもらいてぇもんだな!」


 どう考えても距離と声量が合っていない。そんなに大声を出さなくても聞こえるはずだった。

 ベッドの上にいるアレックスの父は、酒を口に含んでからアレックスを睨む。


「アレックス! 時間通りに帰って来いっていつも言ってるだろうが! テメェは約束一つ守れねぇのか」

「ご、ごめんなさい!」


 反射的に頭を下げるアレックス。

 小さな肩を震わせ、何かの衝撃に備えている様子だ。いや『何か』などと勿体つけた言い方をする必要はない。父親からの暴力に備え、体に力を入れているのだ。

 即座に冨岡はアレックスの前に立ち、両手を広げる。


「待ってください。俺が引き止めてしまったから遅くなったんです。この子は悪くない」


 冨岡の言葉を聞いたアレックスの父親は、空になった酒瓶を床に叩きつけた。

 強度の低いガラスは無抵抗に割れ、不快な音を響かせながら飛び散る。


「親子の会話に割って入るんじゃねぇよ! ガキを躾けるのは親の役目だ。関係ない奴は引っ込んでろ!」

「確かに関係ないですよ。俺は他人だ。けど、こんなに怯えている子を放っておけるわけないじゃないですか。こんなの躾じゃない!」


 アレックスの父親に負けないほどの声量で言い返す冨岡。その言葉が父親の苛立ちを増幅させたのか、さらに語気が強くなる。


「親がガキにすることは全て躾なんだよ! 言うこと聞かなきゃ、言うこと聞くようにするしかねぇだろ。怒鳴って聞くなら怒鳴るし、殴って聞くなら殴る」

「殴るって・・・・・・じゃあ、アレックスの腕にある痣は・・・・・・」

「ああ? 関係ねぇつってんだ。他人が口出しすんな。大体、お前みてぇな青二才に子育ての大変さがわかるのか?」


 アレックスの父親は冨岡を強く睨みつけた。

 彼の言う通り、冨岡には子育ての大変さなどわからない。誰かの言葉や誰かの体験から想像することはできても、本当の意味での理解はできていないだろう。

 それでも。


「分かりませんよ。でも・・・・・・それでもわかることはある。人間には感情があるんだ。殴ったり、怒鳴ったりすることが子育てなはずがない。それだけは確かです」

「何も知らねぇ他人が、知った風な口をきくな!」

「ああ、知らないよ。知らないし、わからない・・・・・・わかりたくもないね。自分の子どもを怯えさせる気持ちなんて!」


 冨岡がそう言い返すと、アレックスの父親よりも先にレボルが口を開く。


「トミオカさん! 落ち着いてください。感情的な相手に対して感情的になるのは、逆撫でするだけですよ」

「レボルさん・・・・・・すみません」

「それに、トミオカさんが言ったように人間には感情があります。子どもだけでなく、親にも。だからこそ、苛立つこともあるでしょう。ああ、勘違いしないでください。暴力を認めるという意味ではありません。ただ望んでいなくても、そうしてしまうこともあるということです。子を愛していた私でも、そのような瞬間はありましたから。ですから、彼を・・・・・・アレックスのお父さんを全否定するような言葉はやめましょう。否定すべきは行動のみです」


 レボルに諭された冨岡は、アレックスを守ろうという気持ちに飲み込まれ、冷静でなかったことを自覚した。


「そう・・・・・・ですね。申し訳ありません、生意気な口をききました」


 冨岡の謝罪はアレックスの父親に向けられている。

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