第261話 偽善のお恵み

「俺が?」

「ええ、暮らしの豊かさや金銭の充実ではなく、穏やかに少しずつ進める日々です。それも豊かさや充実がもたらしてくれているものなんですけどね。そう考えた時に、今のアレックスが今の生活を『幸せだった』と思うことはないでしょう。なら、今の生活を壊すことになっても行動しなければ・・・・・・」

「アメリアさん・・・・・・そうですね。ありがとうございます。俺、彼の気持ちを尊重したいと思いすぎていました。言葉通りに動くことだけが彼を尊重するわけじゃない。こんな当たり前のことを忘れるなんて、大人失格ですね」


 もしかするとそれは、大人のエゴかもしれない。

 時代によって変わる法ですら誰かのエゴを孕んでいる。ならば、大切にすべきは自分の正義だ。

 不完全だからこそ完全であろうとすべきだ。

 恐怖に縛られたアレックスの言葉通りに行動すれば、父親に従う結果になるだろう。父親の機嫌を損ねないよう動き、何も変わらないかもしれない。

 冨岡はアメリアに強く頷いて見せた。


「さっきの約束、心の刻んで行ってきます」

「はい!」


 屋台にアメリアとフィーネを残し、冨岡はレボルと共にアレックスに案内され、彼の家に向かう。

 その道中はアレックスのことばかり考えており、キュルケース家に顔を出す話や、ミルコと工房の話をすることなどすっかり忘れていた。

 予定よりも目の前のことを優先してしまうのは冨岡の悪癖であり、優しさなのかもしれない。


「こ、ここだよ」


 貧民街を少し進んだところでアレックスは、家と呼ぶには少々心許ない小屋を指差す。

 木材を乱雑に組み、機能は雨風を凌ぐだけ。そんな家だ。

 緊張した様子でアレックスは冨岡たちを家に案内する。


「こっちに・・・・・・」


 アレックスが足音を立ててボロボロの扉に手をかけると、中から酒焼けした低い怒号が響いた。


「アレックス! こんな時間まで何してやがったんだ!」


 その声を聞いた瞬間アレックスは、体を硬直させ唇を震わせる。蛇に睨まれた蛙、なんて言葉の意味を目の当たりにした冨岡は彼の肩に手を置いた。


「大丈夫だよ、俺たちがいる。俺たちが君を引き留めたんだ。怒られるなら俺たちだよ」


 そう言って冨岡はアレックスの代わりに扉を開けた。

 埃くさい小屋の中にはベッドと床に敷かれた藁があり、父親らしき男はベッドの上で酒瓶を抱えている。


「なんだ、テメェ! おい、アレックス! 誰を連れて来やがったんだ?」


 父親の声はアレックスのみに向けられていた。


「ひっ・・・・・・お父さんごめんなさい。僕・・・・・・」


 謝るアレックス。その言葉を遮って、冨岡は身を乗り出した。


「アレックスのお父さんですよね? 俺はトミオカです。今日はこの辺りで食べ物を配っていて、遅くなってしまったので家まで送って来ました」

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