第255話 その痣は

 当然冨岡は、全ての人間が家族を大切にし、善行だけを積むとは思っていない。自分のために罪を犯したり、大切にすべきものを見誤ったり、進んで他人を傷つけたり、人間とは不完全な生き物だ。

 そう分かっていながらも、沸々と湧き上がる怒りを抑えられない。

 言って終えば、男の子は他人である。つい先ほどその存在を知ったくらいだ。そして目の前にあるのは他人の家庭の問題。

 首を突っ込む理由などなかった。

 一瞬、自分には何もできないと一歩踏み出すのを躊躇った冨岡だが、そんな時こそ源次郎の言葉が蘇る。

 他人に優しくあれ。

 男の子にとって何が幸せなのか、押し付けるつもりはない。けれど、少なくとも今の男の子が幸せだとは思わなかった。いや、思いたくない。認めたくない。

 冨岡はカウンターからレボルにオレンジジュースを求めると、それを持って男の子に話しかける。


「やあ、ハンバーガーは美味しかった?」


 男の子は声に反応して顔を上げると、カサカサに乾いた口角を上げた。


「うん! 美味しかった、ありがとう」

「そっか、良かった。あ、これ配るつもりだった分が余ってるんだけど飲む?」


 言いながら冨岡はオレンジジュースを手渡す。

 男の子はそれを両手で受け取ると、嬉しそうに飲み始めた。

 

「飲む!」

「ははっ、落ち着いて飲むんだよ。そうだ、まだお腹が空いているなら、一緒に晩御飯食べるかい?」

「あ・・・・・・家に帰らないとお父さんに怒られるから・・・・・・」


 男の子はそう答える。

 冨岡の問いかけは『空腹か否か』だ。それに対しての答えとしては正しくないと言えるだろう。自分の状態よりも先に『父親から怒られる』という答えが出てくるのは、それほど染み付いているということだ。

 

「そうか、いきなり誘ってごめんな。せっかくだからもっと美味しいものを食べて欲しくてさ」

「ううん、ありがとうお兄ちゃん。そろそろ僕、帰らなきゃ」

「また明日も来るから、食べにおいで」


 自分に何ができるだろう、と考えながら冨岡は男の子に微笑みかける。

 果たしてこのまま見送っていいのだろうか。後悔はしないだろうか。

 男の子が立ち上がり、その場を去ろうとした瞬間、冨岡は彼の手を握る。


「ちょっと」

「え?」

「あ、ごめん。一つだけ聞きたくて」


 冨岡の言葉を聞いた男の子は不安そうに首を傾げた。


「な、何?」

「その・・・・・・その痣はどうしたんだい? どこかで転んだとか?」


 問いかけられた男の子は慌てて痣を隠す。


「これは・・・・・・何でもないよ」


 幼いながらも、隠さなければならないという判断をした男の子。その姿は恐怖に押さえつけられているようにも見えた。

 そこで冨岡は確信する。


「俺は君の味方でいたい。だから、勇気を出して答えてほしいんだ。これさえ確認したら、俺は安心して帰ることができる。勘違いならそれでいいんだ。勘違いだったら俺を詰ってくれていい。その痣は、お父さんに殴られたわけじゃないよな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る