「自分らしさ」を探す

@mi-mi-mi_

「痛い」

「自分らしさ」とはなんだろうか。

最近はこのことで頭がいっぱいだ。


私は現在、ピッカピカの大学1年生である。

特に秀でたものがあるわけでなく、はっきりとした短所もない。日本の教育の賜物であると自負している私は、ごく普通のキャンパスライフを送っていた。ある日、サークルの同級生数人に「痛い」と言われた。「イタい」の方法が正しいだろうか。私はなんて返したのか全く覚えていない。「痛い」という自覚がなく動揺していたからだ。その日以来私は「自分らしさ」を考えるようになった。


「痛い」という自覚は微塵もないが、心当たりならないこともない。私は中学生の頃から変わり者扱いをされてきた。ただ、芯から変わり者な訳ではない。私は人を笑わせることが好きで、そのために本心ではない常識外れの発言をして笑いを取っていた。今思えば、あの笑顔は苦笑いだったのかもしれない。過去は振り返らないタイプだ。気にしない。こんな具合に私は意図して変わり者を演じてきた。根はすごく真面目だ。高校の剣道部では部長を任されたくらいだ。だが、周りは私を本物の変わり者で「痛い」やつだと思っていたのだ。少し悲しい気持ちもあるが、演技力が高いのだと思うようにする。本筋はそこではない。「自分らしさ」である。


変わり者は私だけではなかった。私に言わせてみれば私を本物の変わり者だと思っている周りの方が変わり者なのだが。私の知り合いにAというものがいる。Aは同じく変わり者であったが彼はキャラクターとしての変わり者であり愛されていた。どういうことだ。私が社会のはみ出し者のような視線を浴びているなか、Aはちやほやされている始末だ。こんなことがあっていいのか。私とAの共通の友人はAのは少しズレているだけだが、私のは現実感が気持ち悪さに拍車をかけているのだという。面白さと気持ち悪さは紙一重であるということを齢12歳にして知ることになる。


今から変わるつもりはないのかと思われるかもしれない。なかなか変われないのである。しかし私の変わり者は長く一緒にいたせいで私の人格を綺麗に包み込んでいる。人格は乗っ取られているのとそう変わりはない。

未知の生物に寄生されているとも言える。

こんなのも悪くないなと思う自分もいる。それは変わり者の気持ちなのか本心なのかは分からない。しかし、これを私の「自分らしさ」と呼ぶことにする。


最後になるが、「痛い」と面と向かって言われたことはあまり気にしていない。たかだか数回会っただけの君たちに私のなにが分かるのだという感じだ。わざわざ文章にしているのだから気にしていないはずがないと言われるかもしれないが、気にしていないことしてほしい。


全体を通して自分で見ても「痛い」が、

これが私の「自分らしさ」である。

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