カスパーハウザー その4(完結)
一八二九年十月十七日、GDという宗教学者のアパートでカスパーハウザーが頭から血を流して倒れているのが発見された。GDがカスパーをアパートに招いて、素養の指導を行っていたときのことだ。
殺人未遂事件はGDがアパートを離れている間に起こる。
GDがアパートに帰ると、居間でカスパーハウザーが倒れている場面に遭遇した。
「カスパー!」
GDはカスパーに駆け寄って、脈を確認する。
「………よかった、生きている。おい、無事か?」
カスパーはうーんと唸り、目をゆっくりと開いた。GDはカスパーの額から血が流れていることに気づく。傷は浅い。
「カスパー、誰かにやられたのか? なぜこんなとこに倒れている?」
「………黒いマスクを被った人が家に押し入ってきて、ぼ、僕は、硬い棒かナイフで切られました」
「なに? 強盗か? それより、傷は額のそれだけか?」
カスパーは自分の額を触った。手についた血を見て、「う、くそ」と嘆く。
「………強盗ではないと思います。あの、大したことはありません。それよりも逃走した犯人を………」
GDは警察を呼び、アパートはたちまち警官で溢れかえった。とある理由によりカスパーの命を狙っているものがいる、という噂が流れていたので、警官は必要以上に駆け付けている。カスパーは街の診療所に運ばれた。
アパートの外でGDは警部補から事情聴取を受けていた。GDはカスパーを発見したときの状況を説明する。しかし情報としての力は弱った。
「申し訳ございません。私が目撃したことはこれで以上になります」
顔に翳りを生じさせて話すGDの姿を見て、警部補は
「いえいえ、情報としては十分です。とにかく、犯人を捕まえることに私たちは尽力しますから、そこまで深刻になさらずに」と気にかける。
「それに、馬車がここに到着するまでの間、カスパーくんがある程度、事件の状況を説明してくれましたし」警部補は、吸っていた煙草を腰にさしたさやでもみ消し、用意した携帯式灰皿に吸い殻を入れた。
「しかしですね、カスパーさんの証言にはいくつか不審な点がありまして」
GDが顔をあげる。
「不審な点?」
「ええ、まあこれも大したことではないのですが。結論から言いますと、カスパーくんの証言が現場の状況と辻褄が合わない部分があるのです。カスパーくんは共用廊下で、そこの部屋に入る瞬間を襲われたと証言しています。玄関の外で。しかし、彼の血の痕跡は玄関の中についています。というのも、人を殴ったり切ったりすると、その血しぶきが周囲に飛び散るのです。玄関の外で切られたのなら、当然そのような血痕が玄関前につくはずです。しかし、その血痕はドアの内側にありました」
「たしかに、それはおかしいが………。錯乱していたら、誰でも正確な証言は難しいでしょう」
「確かにあなたの言う通りです。しかし、まだ不審な点があります。カスパーさんは暴漢に襲われたあと、付近の階段を上って逃げ………そして一階へ下った。彼は上層階へ行き、助けを求めるべきだったのにそうせずにわざわざ、この部屋に戻ってきた」
GDは指を顎にあてた。「たしかに、それはおかしい………」
「ええ、錯乱していたとしても、このような行動をとるのはおかしい。犯人がいる可能性のある場所へ引き返すのは、わざわざ自分からとどめを刺されに行くようなものです。それに、犯人は強盗目的ではなくカスパーさんの命を狙って暴行をしたのなら、必ずとどめをさすでしょう。カスパーさんが、暴漢を強盗犯ではないとあなたに明言したのも不自然です」
GDは頭を掻く。
「わかりました。カスパーが回復したら私の方からもその点について尋ねようと思います」
「ひとまず、ゲオルクさんご協力ありがとうございました。先ほども言った通り、私たちは犯人捜しに全力を注ぎます。噂を信じるわけではないですが、『カスパーハウザーは王族と血縁関係にある人物なのではないか』という噂が人々の関心を日を追うごとに惹き付けています。噂を信じて何かをしでかす輩がいても、おかしくはありません。彼に警護をこれからつけるよう、上の者に相談してみます。養育者のアンゼルムにも、このことを伝えておきましょう」
「色々と手配をして下さりなんと申し上げたらよいか………」
「大丈夫ですよ。我々はそれも仕事の内ですから」警部補はそう言って、事故現場へ戻っていった。
それから四年が経過し、再び事件が起こる。
自宅でアンゼルムがカスパーについての記録を整理していたときだった。庭の方から落ち着きのない足音が聞こえる。そちらの方を見ると、アンゼルムの知人が庭に入り込んでくるのが窓から確認できた。知人は家の中にいるアンゼルムが見えているにもかかわらず、窓を必死にたたき始める。アンゼルムが窓を開けてやるなり、
「カスパーが刺されたっ。ホーフガルテン公園、つまり王宮の敷地でだ!!」
と知人は大汗を首から流しながら言った。アンゼルムの顔は白くなった。
「カスパー、目を覚ませっ。………頼む。お前は、私の生きがいはお前だけなのだっ」
アンゼルムは病床に運ばれてきたカスパーに語りかけた。カスパーの顔色はひどく悪く、目を開く気配はない。
三日三晩、アンゼルムは病床に臥せたカスパーに寄り添っていた。しかし、負傷による原因で一八三三年、十二月十七日、カスパーハウザーはこの世を去った。
カスパーが死去する三日前、事件捜査の関係者によると、王国の宮廷公園で彼は胸から大量の血を流しているところを発見された。駆け付けた護衛にカスパーがこういった。
「………黒髪で黒い口ひげを生やした男が、僕を刺して………財布を………」と説明した。
他に目撃者はおらず、国の王は犯人を捕まえるために八千万円の懸賞金を懸けた。そして、その犯人は捕まることはなかった。
カスパーの死因は刺し傷。刃渡り十四センチほどの深さだった。しかし警察当局によれば、カスパーの死因は自殺する意図のない自傷行為によるものと見解を下した。
つまり、カスパーは自分自身を刺し、その傷が原因で衰弱死したことになる。
しかし、世間ではカスパーハウザーは何者かによって暗殺されたに違いないという意見が大半だった。王族の子孫であると噂されていたカスパーの死の真相は闇のままであったからだ。それに加え、その王族の血縁関係に当たると主張した人物がカスパーの死の数ヶ月後に死んだからである。その人物とは、カスパーの世話人アンゼルムだった。
アンゼルムは毎日のように彼の世話をしていた。日々共に過ごす中で、彼の出生への関心が次第に高まった。
十六年間も狭い闇の中で誰かに生かされていた謎、彼の捜索願を誰も出していない謎、彼の両親が全く名乗りでない謎、その謎にアンゼルムは次第にひきこまれ、独自で謎の解明に乗り出した。
一八三二年にアンゼルムは、とある貴族に手紙を送った。その手紙は『カスパーが大貴族、それも王家の出身である可能性が非常に高い。私はその証拠を持っている。少年はバーデン家という王族出身かもしれない』という自身の説を述べたものだった。
カスパーが死んでまもなくアンゼルムは死んだ。旅行中に脳卒中で倒れ、そのまま死んだ。死ぬ直前、アンゼルムは毒を盛られた可能性を疑った。が、死因はわからずじまいのまま息を引き取った。この件は大衆の関心をさらにひきつけた。
アンゼルムは禁忌の領域に踏み込んだことで、何者かに暗殺されたのではないか? カスパーは王族の誰かが取り換えた隠し子なのではないか? 公家の世継ぎなのではないか? さまざまな憶測が飛び交い、今日に至ってもその謎が解明されることはなかった。
一九二四年、ピルザッハ城という城で隠し部屋がみつかった。かつてカスパーが話していた『幼少期に過ごした部屋の特徴』とほぼ一致するものだった。カスパーはこの檻で過ごしたのだ。
カスパーハウザーは、世間に出現してから消えるまで数多くの謎を世界中に与えた。現代にもDNA解析よる謎の追求に取り組む者がいる。彼の謎を追う人間が途絶えることはないだろう。それが明らかになるまで。
おわり。
十作品目「カスパーハウザー」 連坂唯音 @renzaka2023yuine
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