第16話:それで、お前さんの小野小町はどんなお人なんだよ?



◆◆◆◆



 秋の夜長。外刀流の門下生たちは連れ立って寄席を見に来ていた。高座では新人の噺家が時事を交えた講談を語っている。


「――すると男の方が言うんですよ。『ヤイお前ェ。俺をその気にさせといて自分はいいところのお妾たァやれ憎たらしい。ええィこん畜生、この雌狐めい』」


 その仕草は緊張があちこちに見受けられ、言葉もぎこちない。


「――って言いますが、あァ男の嫉妬ってのは見苦しいですねェ。こんな言いがかりに女だって黙ってられません。『なンだいアンタって人は。昔ッから蒔かぬ種は生えぬって言うじゃないかい。遊び女にかんざし一つ送らずに自分のモンにしようなんてこの唐変木のけちん坊め、顔を洗って出直してきな』。まァこうなりましょうなあ。しかし――」


 客席の石動が腕を組んで唸る。


「下手だな、あの噺家は」


 容赦のない一言に、甚六がついかばう。


「まあまあ、兄ぃ。こういうのは誰だって最初はこんなもんですよ」


 勘兵衛も甚六の肩を持つ。


「そうそう、俺だって刀を握り始めたころはひどいもんだったでしょう? 場数を踏めばそのうちよくなりますってば。次回、次々回に期待ってとこですな」


 甚六は隣でじっと座ったままの光悦の方を見て言う。


「光悦、もう少し待ってな。あれが終われば瓢箪亭の抱腹絶倒の話が聞けるぜ。お前ぇの笑う顔が見てえよなぁ」


 何となくそう言った甚六だが、訝しそうに目を細めた。


「ん? どうしたい光悦。なんか悪いもんでも食ったか?」


 客席の暗がりの中、光悦はうずくまるように座っている。


 いつものように、死人のような陰鬱な気配だ。けれども、同じ道場で剣を学ぶ甚六は、なんとなく光悦の様子が普段と異なっているように感じた。光悦はじっと、高座を見ている。その顔がこちらを向いた。


「……いえ、少し」


 結局その違和感は、ようやく新人が引っ込んで瓢箪亭の噺家がやんやの喝采と共に高座に上がったことで消えるのだった。



◆◆◆◆



 数日後。光悦、石動、勘兵衛、甚六が夕餉を済ませた時のことだった。


「……甚六殿、少しお時間よろしいでしょうか?」


 将棋盤の上に駒を並べて石動と将棋に興じていた甚六は目を上げる。


「おう、光悦。どうした。改まって」

「……実は、お頼みしたいことがございます」


 隣で畳の上に寝そべっていた勘兵衛もこちらを向いた。


「なんだぁ? 甚六は金持ってねえぞ。もし入り用なら俺が貸してやるぜ」

「……いえ、金の無心ではございませぬ」


 光悦は甚六の前に正座する。


「……拙者、女に贈り物をするべきと思い立ちましたが、何を贈るべきか皆目見当がつきませぬ。かくなる上は、百戦錬磨の蜂須賀甚六殿のお知恵を拝借したいと願い、お願い申し上げております」


 光悦の淡々とした告白を聞いて、甚六と勘兵衛は顔を見合わせる。


「こ……」

「こ……」

「……こ?」


 光悦が首をかしげたのとほぼ同時に、二人は躍り上がった。


「こいつぁめでてぇ! いやおったまげたぜ。そうかそうか光悦、お前にもついに春が来たか! いやぁよかった!」


 甚六が手を叩き、勘兵衛も感無量といった顔でうなずく。


「まったくだぜ。いつもむすっとした顔で刀ばっかり振るっていたから、てっきり俺ぁ枯れてるんだと思ってたんだが、お前もやっぱり男じゃねえか!」


 一方で、あぐらをかいたままの石動が太い声でくぎを刺す。


「勘兵衛、俺たちが刀ばかり振るっても悪いことは何一つないぞ」

「あ、あはは……すいません兄ぃ」


 頭をかきつつ勘兵衛は座りなおす。


「……もしご迷惑ならば、無理にとは申しませぬが」


 大喜びする二人をよそに、光悦はいつものように淡々としていた。


「いーや、いやいやいや、ちっとも迷惑じゃねえよ。いいぜ光悦、大船に乗ったつもりで俺を頼りな」

「……ありがたき幸せ」


 畳に伏す光悦を見て、満面の笑みで甚六は自分の胸を親指で差す。


「じゃあ、まず俺を先生と呼べ」

「……はい、蜂須賀先生」


 躊躇せずに光悦は甚六を先生と呼ぶ。さすがに石動が甚六をにらんだ。


「おい。調子に乗るな、甚六」


 不動明王さながらの視線を受け、たちまち甚六は前言をひるがえす。


「あ、いや、冗談だ冗談。お師匠様がおられるのに勝手に先生なんて名乗ったら無礼にも程があらァ」


 軽く咳払いをしてから、甚六は尋ねる。


「まず、俺も仙人や天狗じゃねえからな。相手がどんな女か分からなきゃ助け船も出せねえ。それで、お前さんの小野小町はどんなお人なんだよ? 花も恥じらう町娘か? おきゃんな男勝りか? それともやっぱりしっとりした御家さんかい?」


 光悦は顔を上げて、大まじめにこう答えた。


「……以前もお話しした、荘子楼の藤という禿です」


 当然のことだが、周囲は水を打ったように静まりかえった。


「……え?」

「……は?」

「……むう」


 顔を見合わす勘兵衛と甚六。腕組みをして唸る石動。


「……何か?」


 そして首を傾げる光悦。


「あ、ああ、いや~なんて言うかなあ……」

「さすがの俺も童女に懸想したことはねえなぁ……」


 途方に暮れる勘兵衛と甚六を見つつ、石動が口を開いた。


「光悦よ、よく聞け」

「……はい」

「いくらなんでも相手が幼すぎる。考え直せ」


 はた目から見れば、十代初めの童女に大の大人の剣客が熱を上げているような構図だ。実直な石動がそういうのも無理はない。


「……いえ、拙者はそういう趣味では」


 やはり淡々と光悦は首を横に振る。


「え? でもお前さんはその禿に惚れてるんじゃねえのかい?」

「……違います」


 甚六の言葉をあっさりと光悦は否定した。


「……先日皆様と共に寄席を見た時、新米の噺家が言っておりました。『惚れているくせに贈り物一つしないで口先だけでは、伝わるものも伝わらない』と」

「あ? あ~そう言えばそんなのあったなあ」


 甚六が何とか話を合わせようとする中、ぼそぼそと光悦は言葉を続ける。


「……拙者もあの禿には世話になったと思っております。不慣れな拙者でも嫌な顔一つせず、何より――鬼を斬るというまたとない機会を与えてくれた」


 光悦はわずかに薄笑いを浮かべた。


「……心の中で礼を申しても無意味と悟りました。しかし、相手は客を取る前の見習い。何か贈ろうと思うも見当がつかぬ次第」

「こりゃ惚れてるな」

「間違いなくそうだな」


 甚六と勘兵衛が互いに耳打ちする。


「茶化すな。光悦は真面目に聞いているのだぞ」


 律儀に聞いているのは石動だけだ。


「……よろしければ、この若輩者に知恵をお貸し下さい」

「おう、分かったぜ。禿ってのは引っかかるが、女であることに代わりはねえ」

「……ありがとうございます」


 改めて光悦は深々と頭を下げるのだった。



◆◆◆◆



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