第14話:もしかして私、光悦様に口説かれているのでしょうか?
◆◆◆◆
飴細工の屋台を離れて二人は歩く。藤はじっと金魚の形に整えられた飴を眺めている。わずかに舌の先端で金魚の尾びれに触れたが、それ以上口をつけることはない。
「……どうだ?」
「食べてしまうのがもったいないです」
「……団子かあられの方がよかっただろうか?」
金魚の形をした飴に心を奪われている藤の姿は、見ていて愛らしい。
だが、飴は飴である。食べないでいると傷んでしまう。光悦はついそう言ったのだが、藤は頬を膨らませた。
「光悦様、無粋なことをおっしゃらないでくださいな。遊女に贈り物をする際に、鬼瓦をいきなり持ってくるようなものですよ」
「……すまぬ」
「あら、冗談でしたのにお笑いになりませんか。少し残念です」
いけしゃあしゃあと藤は言う。その様子に、光悦は思わずため息をつく。
「……いやはや。お主の心を測るのは、お師匠様との立ち合いで一太刀浴びせるよりも難しい」
藤は上機嫌に笑うと、再び光悦の隣に並ぶ。
「私で慣れておけば、大抵の遊女とはそつなく言葉を交わすことができますよ。何事も稽古、です」
「……違いない」
神社の石段を二人は下りていく。藤の歩調に合わせて光悦は歩みを緩めた。自然と、藤の小さな体が光悦に寄り添った。
「それにしても、やはり私は青田なのですね」
「……何が言いたい」
「それはまあ、私は童女ですよ。禿ですよ。ですけど、今ここにいる私ではなく、後々花魁となった私に皆様が期待されているようで、少し口惜しいです」
何を言い出すかと思えば、と光悦は思う。どう控えめに見積もっても禿は禿だ。藤は確かに年齢の割にひどく大人びているが、だからといって花魁と同じ技芸や婀娜(あだ)を求めるのは無理難題と言うものだ。
「……お主を女として見るのは難しい」
「はいはい。光悦様も姐さん女房がお好みのようで。今度金の草鞋をこさえてお渡ししましょうか?」
何やら藤は少し不機嫌になってしまったようだ。これまで一度もそのような顔を見たことがないので光悦は意外に思う。
「……そうではない」
だが、彼は噺家ではない。立て板に水とばかりに言葉が出てくることはない。
「……常在戦場こそが剣客の心得である。だが、今のお主とこうしていると、不思議と心が穏やかになる。悪くない心持ちだ」
思い切って、光悦は思ったままを口にしてみた。それは最初に荘子楼で藤にもてなされた時から変わらない。この痴れた禿は何も恐れず、何も拒絶せず、ただそこに当然のような顔でいる。ある意味それは、剣と我が身を一体とした剣豪の立ち位置に近い。それが少女の姿でいるのが面白くもあり、奇妙な趣がある。
だがそれだけではない。志度光悦という病に侵された剣客にとって、この世はそれ自体が苦海である。生きるということは苦しみと同義。だが、それは花魁もそうだ。吉原は苦海とはよく言われる。そのただ中にあって、狂っているとはいえ悠然とした藤の姿は光悦には新鮮であった。光悦の精一杯の賛辞に、藤は足を止めた。
「……どうした?」
藤はきょとんとした顔で光悦をじっと見る。
「もしかして私、光悦様に口説かれているのでしょうか?」
「……なに?」
「まあ、困ってしまいます。なんと禿に色目を使う殿方がいらっしゃいますとは」
わざとらしく藤はそう言って、くるりと背を向ける。しかし、その声音はどこか弾んでいるようにも聞こえた。
「徒桜には内緒にして下さいね」
「……何をだ?」
「ふふっ。お分かりのくせに」
くすくすと藤は笑う。どうやら機嫌はすっかり直ったようだ。
「……女心と秋の空、とはこのことか」
「男心もそうですよ」
いいように手玉に取られている感覚を光悦は味わっていた。しかし、彼はかすかに思った。藤が何事もなく育つことができていたら――きっとこのように笑えたのだろう、と。
◆◆◆◆
少し藤の足取りが遅れ始めた様子だったので、光悦は川べりで足を止めて休むことにした。思えば、妓楼で芸事を学ぶのが日常の藤にとって、この程度を歩くだけでもかなり疲れることだったのかもしれない。
「……すまぬ。少し疲れたであろう」
「いいえ。さすがはお侍様。無駄の少しもない身のこなしで、後に続いて歩くのも楽でした」
世辞か本音か分からないことを藤は言う。もし世辞だとするならば堂に入ったものだ、と光悦は思う。
「光悦様は今夜の祭りは楽しかったですか?」
「……無論」
光悦はうなずく。騒がしい祭りに興味はないが、藤と共に歩く人混みは悪くなかった。
「ほっとしました。私のような童が一緒では、酒も女遊びも楽しめないのでは、と心配でしたから」
「……騒がしいのは苦手だ。拙者は賑わいよりも静けさの方が心地よい」
周りでは光悦たちと同じく、祭りで歩き疲れたような親子連れや老人たちが思い思いの場所で休んでいる。
「……お主も楽しめたか?」
「はい。今宵だけは吉原の禿ではなく、一人のおなごとしてふるまうことができた気がいたします」
「……ならばよし」
自分のような不愛想な剣客では、せいぜい用心棒程度にしかならなかっただろう。それでも、藤が心置きなく祭りの賑わいを見て回ることができたのならば、それはそれでよかったのだ、と光悦は思うことにした。ふと、藤が身を光悦に寄せて見上げる。
「光悦様……」
「……なんだ」
「あの時のように、光悦様の刀が見とうございます」
それはまるで、花魁が殿方にしだれかかり「旦那のいいところ、見せておくんなんし」と囁くようだった。珍しいこともあるものだ、と光悦は感じる。藤は刀に関心があるようには見えない。それこそ彼女の目の前で、光悦は貞盛と死闘を繰り広げた。それを見ても、藤は怯えたりすることもなくけろりとしていたのだ。完全に無関心、といった感じだ。
あるいは、これは姉分の花魁に男に取り入る方法を実践しろとそそのかされたのかもしれない。いずれにせよ、光悦としては断る理由もさほどなかった。
「……承知」
藤をそっと右手で光悦で抱く。技量によっては、人の胴さえ両断する刀を抜刀するのだ。万が一に備えて藤を押さえるのは当然だった。そのまま彼の――左手が動いた。
一瞬の抜刀。それも左手。しかも逆手での抜刀だ。息がかかるほど密着した状態、あるいは右手がふさがった時の緊急用の抜刀術だ。その切っ先が月に届かんばかりに突き上げられ、そして降ろされる。
「……蛾だ」
あの時――初めて藤と荘子楼で会った時と同じように、ぽとりと宙を舞っていた蛾が胴を真っ二つに斬られ、地に落ちる。
「ふふ、前よりも刀が怖い顔をしています」
藤が地に落ちた蛾を見つめてそう呟いた時だった。
「おーい! そろそろ花火だ花火! いい場所は早い者勝ちだぜ!」
向こうの橋から見物人の誰かが大声でこっちに向かって叫んでいる。
「……花火を見たら戻ろうか」
「はい」
光悦がふらりと歩き出すと、藤はその後にとことこと続いた。
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