第10話:そこまでして刀の道を極めたかったのか? 返答次第によっては、儂にも考えがある
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光悦が正忠の後に続いてたどり着いたのは、正忠の部屋だった。上座で正座する正忠の前に光悦は平伏する。刀掛けには正忠の愛用する名刀がかけられているのを、光悦はちらりと目にした。
「活人剣など言葉の綾、偽りであるとお前は言っていたな」
唐突に正忠は追及する。理由は分からない。しかし、「なぜ?」と光悦は問うことはしない。
「……拙者は生き恥を恥と思わず、忍び難きを忍ぶ外刀流の徒故」
外刀流は合戦の狂乱の中で生まれた外道の剣術だ。心魂の鍛錬にあらず。ただ敵を殺して生き延びるための術策こそが外刀流の基根。それをひたすら光悦は求めてきた。誰かを活かすためではない。自らが生き延びるため。
「ならば、その心得が活人剣である、とは思わぬのか」
光悦は黙する。活人剣をことさらに標榜する輩は、刀は人を守るためにあると説く。光悦はそう思うことができなかった。刀は殺すためにある。ならばなぜ殺すと問われれば、自らが生き延びるためと返答しよう。それこそが活人剣であると正忠は説くのだろうか。
「……自らの浅慮、汗顔の至りでございます」
そう言う光悦を正忠は一喝する。
「男児たるもの、己の主義をたやすく曲げるな。なぜおまえは世間の言うところの活人剣に対して異を唱える?」
正忠の問いに、光悦は目を上げる。死人の目と大差ない淀んだ目に、狂おしい光がわずかに灯った。追い詰められたけだものの目に宿る光だ。
「……己の思うところを申し上げてよろしいでしょうか?」
「よい。言え」
珍しく、本当に珍しいことに光悦はわずかにためらった。しかし、それでも絞り出すようにして言葉を口にした。
「……もし本当に人を活かす剣があるとするならば――――拙者の病は、なぜ癒えぬのでしょうか?」
それは、光悦が初めて吐露した本音と言っていいものだった。初めて、彼は自らの業病を呪い、壮健な他者を羨む言葉を口にした。
「……口惜しいのです。生きることさえままならず、病に朽ち果てるであろう我が身が。憎いのです。酒色を貪りつつ平然と達者に生きる者たちが。なぜ、と思ってしまうのです」
それまで光悦は、従容と死病を受け入れているように見えた。武人として潔く死に臨んでいると。だが、彼も人の子だった。生きたいと願い、生を浪費する輩を嫌悪する。
「……己さえも救えぬ未熟者が拙者です。剣によって人を活かすなど、夢のまた夢かと。故に刀の真髄は、殺人にこそあると拙者は思うのです」
呻くような彼の告白を、正忠はじっと聞いていた。怒るわけでもなく、哀れむわけでもない。その後彼は、有無を言わさぬ口調で言った。
「――それが、黒百足党の悪党を晒し首にした理由か」
光悦の呼吸が止まった。正忠は知っていたのか。なぜ露見したのかは分からない。けれどもそれは事実だ。自分は人を雇って黒百足党の隠れ家を見つけ出し、そこで五人を殺し、首を吉原の入り口に晒した。あの五人が藤の両親を殺した盗人であると知ったからには、生かしてはおけなかった。しかし彼は言い訳せずただ平伏した。
「……お許しください」
「偽りは申さぬのだな」
「……師を偽るなど、弟子としてあってはなりません故」
それにしても、なぜ正忠は分かったのだろうか。それが不思議だった光悦は質問する。
「……なぜ、お分かりに?」
即座に一喝が飛んできた。
「儂を甘く見るな! お前の太刀筋が変わったことなど一目見れば分かる。あれは人を斬った後のものだ」
「……重ねて、お許しください」
光悦の身体が震えた。それは確かに自分が望んだ境地だ。だが同時に――恐ろしくもあった。正忠の体が殺気を帯びる。粘つく泥のような光悦の殺気とは違い、凍てつく氷雪のような鋭利な殺気だ。
「なぜそんなことをした。そこまでして刀の道を極めたかったのか? 返答次第によっては、儂にも考えがある」
正忠の声には怒りがあった。それもそのはずだ、と光悦は思う。もし自分が殺人に魅入られているのならば、正忠は師として成敗する務めがある。老若男女を戯れに斬る辻斬りになり果てる前に、義によって正忠は光悦を斬るだろう。一命を師の判断に委ね、光悦は人を斬った理由を説明することにした。
「……仇討ち、でした」
「なに?」
光悦は包み隠さず話した。吉原で藤と言う頭のおかしい禿と知り合いになったこと。彼女が物狂いになった理由は、家族を惨殺されたからだということ。その下手人こそがおそらく黒百足党の盗人であること。だからこそ、自分は仇討ちとしてあの五人を晒し首にしたという事実を。最後まで聞いた正忠は、怒るどころか呆れた声を上げた。
「まったく、何ということをしでかしたのだ。悪党の隠れ家を見つけたのならば、火付盗賊改を呼ぶのが筋というものだ。万が一悪党どもに負けて、血祭りにあげられたならどうする。外刀流の看板に泥を塗ることになるのだぞ」
「……考えが及びませんでした」
光悦は深々と頭を下げた。正忠の怒りはもっともすぎて言い訳することさえできない。
「……申し開きのしようがございませぬ。どのような処罰も、受ける覚悟にございます」
しかし、天を仰いでため息をついてから、正忠は口調を和らげた。
「いや、この件についてはむしろお前こそ外刀流よ。世間体に囚われて振るうべき刀を振るわぬようでは、臆病者の誹りを受けても仕方がない。武士の猛々しさを儂は少し忘れていたようだ」
「……お師匠様は外刀流を背負われる方。世間への配慮は当然かと愚考いたします」
「酒の勢いで刀を抜いたのならば許さぬが、お前は大義のために悪党を成敗したのだ。大っぴらに褒めるわけにはいかぬが――外刀流としては、善し!」
「……ご寛恕に言葉もありません」
光悦は深く頭を垂れた。しかしそれだけで終わらず、正忠はさらに聞いてきた。
「その藤という名の禿が気になるのか?」
「……拙者は童女に懸想する趣向はありません」
慌てて光悦は否定した。
「分かっておる。剣以外に目もくれぬお前にしては珍しいと思っただけだ」
「……それは」
顔を上げよ、と言われ光悦は顔を上げた。正忠は鋭い目で彼を見据えていた。
「焦っているのか、志度光悦」
まるで迷妄に囚われた若い僧を、徳を積んだ優しくも厳しい老僧が一喝したかのようだった。焦り。それはただ一つの言葉に帰結する。「業病」。肺を蝕むそれは、光悦の体を確実に死へと引きずり込みつつある。けれども、だからと言って光悦には何をするべきなのかは分からない。あまりにもこの病と自分は不可分だった。
「……分かりません」
「死を受け入れず、最後まで足搔くのが外刀流よ。お前の焦りは恥ではない」
そこまで言うと、正忠は一度も見せたことのない顔をした。まるで父親のような、優しい顔を。
「お前の病苦を、儂が少しでも肩代わりしてやりたかった」
「……もったいないお言葉です」
冷えた血が熱を帯びるを光悦は感じていた。人として慈しまれることが嬉しかった。
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