第9話:とと様……かか様……
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早朝。吉原の入り口の門に、五つの生首がぶら下げられていた。いずれも人相書きが出回っている黒百足党の盗人であり、捕まれば磔獄門間違いなしの札付きである。生首はかっと目を見開き、死ぬ寸前の恐怖を顔中に刻み込んでいた。
「うわ、ひでえ」
「おいおい、まるで戦国じゃねえか」
「なんだよ、誰がこんなひどいことを……」
その光景を見て、吉原の住人は顔をしかめる。しかし同時に……。
「まあ、こいつらは自業自得だなあ」
「そうそう。因果応報、天網恢恢疎にして漏らさずって奴よ」
「まったく、ろくでもないことしでかしてたんだから、ようやく罰が当たったのさ」
そう言いつつ、皆は内心で快哉を叫んでもいた。
その五つの生首の前には、立札があり紙が貼り付けられている。そこにはこう書かれていた。
『この者たち、無辜の民を襲いし咎により、斬首の上晒し首とする。藤の木を手折った罪の応報なり』
その立札を見た岡っ引きは呟いた。
「どこの誰だか知らねえが、あの禿の藤の親御さんの仇討ちをしたみてえだな」
本当はこういうのは誉めちゃいけねえんだがな、と岡っ引きは内心思いつつ、それでもなんだかんだ理由をつけて首と立札を片付けるのをぎりぎりまで遅らせるのだった。その首を目にしたものがいる。藤だった。彼女はじっと、あの物怖じしない目で五つの生首を順番に見、そして立札を穴のあくほど見つめた。彼女の目から、ポロリと涙がこぼれた。
「とと様……かか様……」
彼女は呟くと、小さな手をそっと合わせ、父母の冥福を祈るのだった。今はもう、彼女を物狂いと呼ぶ者はいない。しかし、藤の心はあの日以来壊れたままだ。決して治ることはない。それでも、この瞬間だけ、彼女は年相応の少女だった。たとえ、それが一刻後には自らも忘れ、一人の風変わりな禿に戻ってしまうとしても。
◆◆◆◆
外刀流の道場で、光悦は黙々と刀を一人振るっていた。木刀の素振りをやめ、彼は真剣を手に取る。居合の鍛錬だ。外刀流の構えに多い、姿勢を低くして這うような体勢を取る。わずかな気合いと共に抜刀。抜いて、斬る。鞘に納め、再び抜いて斬る。その繰り返しだ。人を殺すのに複雑な型や凝った動きなど必要ないと言わんばかりの単純な動き。
淡々と憑かれたように同じ動きを光悦は繰り返す。それを遠目に見ていたのは、師匠の長谷川正忠だった。
「……ううむ」
白い髭に手を当て、正忠は唸った。それまで門下生に稽古をつけていた彼は、そばに立つ巨漢に言う。
「有馬」
「はい、何でしょうか」
塗り壁とも呼ばれる相撲取りのような巨漢、石動有馬は、かしこまって正忠に一礼する。
「後はお前に任せる」
そう言うと、正忠は木刀を置き光悦の方へと歩いて行った。その背にもう一度一礼し、石動は破顔すると木刀を手に取った。自然と門下生たちは後ろに下がる。石動は乱暴ではない。言動は厳しくも優しい。だがいかんせん凄まじい怪力なのだ。墓石を振り回したという逸話さえある。そんな彼と立ち会うのは恐怖でしかない。
「よし、いくぞ」
だが、それを知っていてあえて石動は明るく笑いながら、のしのしと道場の床を踏みしめて近づく。
「俺は師範よりも不器用だからな。許せ」
遠くでその様子を見た勘兵衛と甚六がため息をつく。
「ありゃあ連中がかわいそうだな。今日はしごかれるぜ」
「石動の兄ぃはああ見えて容赦がねえからな。おお、笑えねえぜ」
門下生の稽古を石動に任せた正忠は、道場の隅で黙々と抜刀を繰り返す光悦に近づいた。
「光悦、精が出るな」
「……お師匠様」
見るからに不健康な痩身でありながら、粘つくような生気をまとった光悦は、師を前にして礼儀正しく刀を納める。だらりと汗に濡れた黒髪が垂れる。
「……お見苦しいものをお見せしました」
「いや、よい」
正忠は既に老境に入った身でありながら、若者のようにしっかりと背筋を伸ばし、光悦を見据える。
「抜け。儂が見る」
「……はい」
師の猛禽のような目に睨まれつつ、光悦は静かに構えた。わずかな気合いの後、刀が鞘から閃光となってほとばしり出る。腰は据わりつつも柔軟。動きに無駄はなく気迫も充分だ。
「もう一度だ」
「……はい」
それを三度繰り返す。光悦は何一つ疑問に思う様子もなく忠実に正忠に従った。師は絶対である。肺病を病んだ光悦を、これまで正忠は他の弟子たちと何一つ変わらず扱ってきた。贔屓せず、同情せず、一人の男児として厳しく指導してきた。それが光悦にはありがたかった。やがて、正忠は短くこう告げる。
「少し話すことがある。場所を移すぞ」
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