第2話 泥棒猫




 僕の家から自転車を10分くらい漕ぐと先輩の家がある。僕が着いた頃には、ちょうど引越し業者のトラックが出発した後だった。


 先輩は家の前にある電柱に寄り掛かっていて、誰かを待っているみたいだ。別にその相手が僕だったら良いなとか、そんな風には思わない。ただ、また先輩と話せることがすごく嬉しかった。


「先輩」


「…来ちゃったか」


 先輩はどこか嬉しそうな、だけど少し残念そうな笑みを浮かべている。その複雑な笑みは先輩の心境を表しているのだろう。


「どうして嘘を? 僕はずっと…先輩は嘘が嫌いだと、そう思っていました」


「うん、嘘は嫌いだよ? でもね。上手く生きるには、言葉とか仕草にちょっとした工夫が必要だと思うの」


 先輩の言葉に納得した僕は、多分嘘つきだ。ありのままだと上手く生きられない。だから自分を偽ることが上手く生きる秘訣だと、先輩はそう言ったのだろう。


「私ね、君と別れるのがちょっと怖かったの。君といるのが楽しかったから。別れを言うと、辛くなるでしょ?」


「なら、先輩の嘘は僕の為…だったんですか?」


「うん。でも、結果的に君を…」


「良かった」


 先輩は何かを言いかけたが、僕は思わず心の声が漏れてしまった。僕のために先輩が嘘をついたという事実が、僕にとってはとても嬉しいことだった。


「え?」


「あ、すみません。嘘が嫌いな先輩が僕の為に嘘をついたのが嬉しかったので」


「あははっ。やっぱり変わってるね、君は」


 そう言った先輩は、いつの間にか普段通りに戻っている。猫のように可愛らしい、いつもの笑顔だった。


「そう言えば先輩、何処に引っ越すんですか?」


「…北海道だよ」


「なら、定期的に会いに行きます」


「ふふっ、そんな嘘つかないの。嘘つきは泥棒の始まりだよ」


「…」


 嘘つきは泥棒の始まりだと、先輩は笑いながらそう言った。それはあながち間違っていないのかもしれない。先輩は僕の心を奪った泥棒…いや、泥棒猫だから。


「嘘じゃないですけど、嘘でも良いです。先輩の心を奪えるなら、泥棒にでも何にでもなります」


 ほぼ告白のようなその言葉に、先輩はあからさまに頬を染めていた。

 気が付けば夕日で空は茜色に染まっている。そのせいで、僕の顔もきっと赤く染まっているのだろう。


「そっか…なら2人とも、泥棒になったわけだ」


 そう言った先輩は、突然僕の耳元に顔を近づけた。先輩のシャンプーの香りが僕の鼻腔をくすぐるので、無性に居た堪れなくなってしまう。

 高鳴る鼓動を聞かれたくなくて離れようとすると、先輩は逃さないように両手を僕の背中に回して強く抱き寄せた。


「せ、先輩…」


「わからない?」


「え?」


「もうとっくに奪われてたよ…泥棒さん」


 耳元で囁かれたその言葉は何だか擽ったくて、だけどとても心地が良いものだった。




 泥棒猫  ー完ー

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