第3話 運転手の俺と杖を持つ君

 学校を出発して、俺たちは病院に来ていた。木葉が言うには、使っていた杖は病院で買ったものらしい。

 病院は比較的静かで穏やかな場所だ。しかし俺の今の心境は、その状況には決してそぐわないものだった。


(まさか俺が杖代わりになるとは…)


 木葉が歩けないと言うので車椅子を借りようとしたのだが、それは彼女に却下されてしまった。その結果、俺が彼女の杖代わりとなっているのだ。

 いつもより物理的な距離が近いのでどぎまぎしてしまう。これは不可抗力だ…と、俺は自分の心を落ち着かせるのに必死だった。


「ねぇ、緊張してる?」


 俺の右腕を抱き抱えるようにして歩く彼女は、ニヤニヤしながらそう質問をしてきた。この反応から察するに、どうやら彼女は俺が困惑することをわかってやっているらしい。


「緊張…と言うより、どうすれば良いのかわからないんだが。歩幅とか歩くペースとか大丈夫か?」


「えっ、う、うん! 大丈夫だよっ」


 いつも通りの反応で、少しホッとしていた。元気が出たのなら何よりだ。

 そう思っていると、彼女の表情が憂いを帯びている事に気が付いた。いつも通りに見えるのは、彼女がそれを演じているからなのだろう。どうやらまだ根本的な解決には至らないようだ。


「運転手さんみたいな人が居て良かったなぁ……。いつもありがとね、運転手さん」


 それを聞いて、俺は少しだけ考えてしまった。俺が彼女にしてきたことと言えば、学校と自宅の送り迎えくらいだし、特別気を遣った覚えもない。

 どちらかと言うとお礼を言うのは俺の方だ。彼女にはいつも元気を貰っているし、失敗した時には励ましてくれる。それがどれほど俺の心を支えてくれているのか、きっと俺の語彙力では言い表すことが出来ないのだろう。


「…俺は弱い人間だから、1人じゃ何も出来ない。誰かに頼ってようやく一人前で、それは誰かの足を引っ張っているのと同義だと思ってた。でも…」


 俺は特別面白くは無いし愛想もない。そんな俺にも笑顔を向けてくれる素敵な女の子には、笑顔でいっぱいの人生を送って欲しい。俺はそんな想いを込めて言葉を続けた。


「…木葉と出会って、こんな俺でも誰かの役に立てるって知ったんだ。俺との会話で笑ってくれる君を見ていて、少しだけ自分に自信がついたんだよ」


 自分で言っておいて、だんだんと恥ずかしくなるのを感じていた。でも、恥ずかしくてもこれだけは彼女に伝えなければいけない。


「杖みたいに木葉を支えるには、俺は力不足かもしれないけどさ。君が俺にしてくれたみたいに…少しでも良いから君の力になりたいんだ」


 例えどんなことがあろうと、俺だけは木葉の味方だよ。と、そう伝えたかったのだ。

 俺は恥ずかしさから、木葉の顔を見れないでいた。顔を見ていないのでうまく伝わったかはわからないが、これが今の俺の精一杯だった。


 数秒の沈黙が続くと、右隣から鼻を啜るような音が聞こえてくる。気になって目だけをそちらに向けると、木葉がしゃくり上げるようにして泣いていた。


「え、あっごめん…大丈夫?」


 慌ててハンカチを渡すと、それを受け取りながら彼女は笑顔を見せる。


「ありがとう…嬉し涙だから、大丈夫だよ。ねね、運転手さん。一つ質問しても良い?」


「良いけど…」


 木葉にそう言われて、俺は少し身構えていた。あれだけ恥ずかしいことを言った後なのだ。一体どんな質問をされるのだろうか。でもまぁ、十中八九揶揄われるだけだろうけど。


「運転手さん。あなたの人生の助手席に、この先ずっと…私が乗っても良いですか?」


「…え?」


「うーん…遠回しで伝えたかったんけど、やっぱり伝わらないなぁ…」


 そう呟いた彼女は、突然俺の腕を引っ張った。そうしてバランスを崩した俺の耳元で、彼女はいつにも増して色っぽく囁く。


「運転手さん…大好きだよ」


 その言葉を聞いた俺は、胸が段々と高鳴り、顔が少しずつ色づいていくのを感じていた。彼女の様子から、これが冗談じゃないのはすぐに分かった。

 この感情は…一体何なのだろうか。

 恋愛なんて今までしてこなかった為、胸がきつく絞まるようなこの感情の正体がわからない。

 告白されること自体が初めてなので、胸が高鳴っている可能性もあるのだろうか。


 病院は比較的静かで穏やかな場所。それなのに、俺の心はまたざわついていた。気が付けば、雲で覆われていた空から晴れ間が覗き、窓には光が差している。今の俺には、何気ないその様子ですらとても神秘的に思えていた。

 これは恋なのだろうか。でもこれを恋だと認識してしまうと、俺は彼女といつも通り接することができなくなってしまう。


「ありがとう。でも…今すぐに返事はできないかな。木葉が大人になった時、まだ俺のことが好きだったら…またそう言って欲しい」


「むぅ……大人の対応だ…。でも私、これからずっとこの気持ちは変わらないからっ。運転手さんが良いって言うまで、諦めないからねっ?」


「…早く杖、買いに行こうか」


「こ、こらっ、無視しないでよ〜」


(ごめんね、木葉)


 今はまだこの感情を恋と呼ぶには早いのかもしれない。心の整理ができるまで、この感情には名前をつけないでおこう。





運転手の俺と杖を持つ君 ー完ー

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