第4話 実際そうだから

 町内のとある山中に、キャンプ場があった。

 人面犬さん、半魚人さん、根岸さん、そして僕はそのキャンプ場に向かっている。

「お肉、お肉」

「人面犬さん、よだれよだれ」

 人面犬さんが通ったあとの地面に、点々と水滴が落ちている。

「ドッグフードもあるよ」

 半魚人さんが嬉しそうに言った。人面犬さんは「誰が食うかそんなもん」と唸る。根岸さんは半魚人さんに鋭い視線を向けていた。片思い中の女性とはとても思えない、殺し屋のような眼だった。

 今回のキャンプは、一泊二日の予定である。

 僕はすでにあちこち蚊に食われていたが、普段は不愉快でもこういうときはそれすら楽しみの一つにカウントしてもいいような気持ちになる。空は晴れていて、とても暑い。早くテントを広げて、好きな音楽でもかけながらのんびりしたいところだ。さらに夜はバーベキュー。このまま天候が良ければ、星空も見られる。

「ほんとうに楽しみ」

 半魚人さんはせっせと荷物を運んでいる。でかいクーラーボックスを運んでいるのは、トレーニングの一環であるらしい。筋肉をいじめぬいた後で肉を食べるのだそうである。さぞ身が引き締まるだろう。そんなことより魚がバーベキューをする側に回っているのが不思議だということを、僕は遅れて思い出した。もうすっかり、半魚人さんが半魚人さんであることに慣らされているのだった。

 キャンプ場で僕らはさっそくテントを設営する。といっても、ほとんど半魚人さんがやってくれた。恐縮である。

「お肉、いっぱい食べてくださいね」

「ありがとう」

 根岸さんは手伝いたいのか殺したいのか、半魚人さんの周りをうろうろしている。折り畳み式の椅子で殴ってしまったので、やはり殺そうとしていたのかも知れない。半魚人さんの魚の目が痛みに潤んでいた。

「ぐすっ。ごっごめんね。なんか邪魔しちゃったみたいで」

 根岸さんはしばらく黙っていた。睨んでいる感じだったが、多分何を言ったらいいのか分からないのだろうと思われた。結局、何も言わずに曲がれ右をしてしまう。やむなく僕は半魚人さんの介抱に回った。

「早く食おうぜ! 肉! 早く! 早く!」

 人面犬さんはぐるぐる走り回ってそう要求した。テンションの高い犬だ。怒られるから言わないけれど。

 あまりにうるさいのでバーベキューを始めれば始めたで、「犬に玉ねぎを食わせるんじゃねえ」みたいなことを言ってくる。「そんなこと言って、本当は食べられるでしょう」と半魚人さんも笑いながら、引きはしない。僕は僕で人面犬さんが焼き網に届かないのをいいことに、紙皿に野菜ばかり入れた。人面犬さんが「ふざけるな」と唸るので、僕も「都合のいい時ばかり犬ぶられちゃ困ります、と言い返した。根岸さんはエビを殻ごと食べ、ぐいぐい酒を飲んだ。怖くなるぐらいのペースで。

「根岸さん水も飲んでください。こんなにお酒持って来たっけかな」

「持って来たからあるんだぜ」根岸さんはすでにぐでんぐでんである。たぶん、根岸さんが個人的に持ち込んでいる酒に違いない。「んー」とろんとした目で唸られると、なんだかこの人が綺麗なお姉さんに見えてくるから不思議だ。いや、暴力癖さえなければ綺麗なお姉さんなのだ。

 世話焼きの半魚人さんがすかさず根岸さんに水を渡す。「無味無臭だけど、こういうお酒が意外と高級だったりするのよね」と妙な嘘をついていた。さすがに水だと気が付くんじゃないかと思ったが、根岸さんは「おいしい」とがぶがぶ水を飲んでいる。半魚人さんは腰に手を当て、えっへん、とでも言いたげに体を反らせた。しかし、露わになった腹に根岸さんが嚙みつこうとするので、テーブルの上の塩焼きそばを散らかしながら逃げる羽目になった。

「やめてやめて、おいしくないから」

「さかなたべる」

 半魚人さんは必死なのだろうがあんな綺麗な女の人に追いかけられるのを見ていると僕も段々気持ちがささくれ立ってきて、もはや誰のだかわからない酒をあおりながら、「いいぞ根岸さん。そのまま食ってしまえ」と叫んだ。

「えふ君ひどい」

 僕は無視してホタテを殻から剥がす作業に没頭した。

「おい、肉くれって」

 人面犬さんが足元で吠えている。仕方なく一番安い部位をくれてやると、それでもありがたそうに頬張っている。

 どこまで逃げたのだろうか、半魚人さんの悲痛な叫びが聞こえてきた。

 体感では十分後くらいだろうか。半魚人さんは小脇に眠ってしまったらしい根岸さんを抱え、腹にくっきりと歯型をつけて戻ってきた。根岸さんの歯並びが綺麗だった。

「いいな。僕も美人に嚙まれたいです」

 人面犬さんが思い切り嫌な顔をした。「えふお前、ちょっとおかしいぞ」「おかしくなんかないやい」気が抜けたビールは全然おいしくない。「犬に僕の気持ちがわかってたまるか」「お? 犬っつったな? やんのかコラ」「いいですよ、やってやりますよ。僕が勝ったらこの焦げた玉ねぎを食え」

「ああ、ああ。二人とも落ち着いて。山でケンカをするとろくなことがないですよ」半魚人さんが仲裁に入ってくる。「半魚人さんって焼いたらおいしそうですよね」「俺は魚より肉がいい」「食品扱いしないで?」

 でも、実際そうだから仕方ない。

 半魚人さんはクーラーボックスの底の方から【やたらいい肉!】と書かれた肉のパックを取り出して、注意深く焼き始めた。脂が多いらしく、火が強くなる。大変だ。このままでは焼き魚が出来てしまう。「気をつけてくださいね」僕は真面目に心配した。

「でもすごいよな。魚が肉焼いて食ってるって」少し大人しくなった人面犬さんが、ピーマンについたタレを舐めながら言う。「そんなことないですよ」と僕は言った。「僕らも肉ですよ。肉が肉焼いて食ってるんだから、人のことは言えないです」「そうかなあ」「そうですよ」

 そうやって食いつつ飲みつつ、暴れ、居眠りし、ちくちく互いを罵倒し合いながら、一応周りには迷惑をかけない程度の穏やかさで、僕らは夜を迎えた。星は綺麗だった。

「えふ、お前何座?」「餃子です」「つまんねえこと言うと、食いちぎるぞ」「どこを?」どこを食いちぎられてもいやだな、と思って僕は身震いした。人面犬さんは「お前なんかに噛みつく俺の方が嫌だ」とやはりちくちく言った。

「マシュマロ焼く?」半魚人さんがでかいマシュマロに割り箸二本を刺しながら言う。

「肉は?」人面犬さんはまだ肉を食べたがった。「散々食べたじゃん。肉なんかもうないですよ」と僕はあきれる。「マシュマロでも食べてください」「仕方ねえ、マシュマロでもいいか」

 根岸さんはテントで寝かされていたが、マシュマロと聞きつけてふらふら起きてきた。

「マシュマロたべる」半魚人さんは自分を食べると宣言されなかったことに安心したようで、「いっぱいお食べ」と根岸さんに次々とマシュマロを勧めた。

「あまりたくさん焼かない方がいいんじゃないですか。口の中が甘すぎてウエッてなりますよ」僕はそう忠告した。「みんなでウエッてなるのがいいんじゃない」半魚人さんはウエッてなることすら楽しみな様子である。

 静かに空を見上げていた人面犬さんが、あ、流れ星。と言った。

「え、どこどこ」僕は遅れて探したので、流れ星なんてとっくに流れ去っていたし、「もうねえよ」とも言われてしまった。しかし、「いや、待てよ」と人面犬さんは立ち上がる。「みんな、見ろ」みんな溶けてきたマシュマロを落とさないように必死で、すでに流れ星への関心を失っている。「見ろって」再び促されて、面倒だな、と思いながら僕は空を見上げた。流れ星に乗ったスーツ姿の青年が、こちらに向かって降りてきているところだった。

 青年は流れ星に跨って浮かびながら、僕らの様子を見降ろしている。そして、「いいなあ、キャンプ」と言った。

「いいでしょう」と半魚人さんは自慢げだ。どうして普通に会話しているのか、ちょっとわからない。「マシュマロ食べる?」「ありがとうございます」青年は流れ星から慎重に降りてきて、マシュマロを受け取ると幸せそうに食べ始めた。

「仕事、大変そうで」半魚人さんがお茶を汲みながら言った。「夜勤、すごいですね。オレなんか夜寝ないとてきめんだめになっちゃうほうだから、流れ星さんみたいに夜に働いている人たちって尊敬しちゃう」スーツの青年――流れ星さんは、照れたように笑った。「別にそんなことはないですよ。要は慣れです、慣れ」「ちなみにビールもあるけれど」「もちろんいただきます。……いやいや、飲酒運転になっちゃいますから」

 流れ星さんはべたべたなノリツッコミのあと、お茶とマシュマロを堪能し、べたべたの口で嬉しそうに去って行った。遠ざかっていく姿を目で追いながら、「知り合いですか?」と半魚人さんに訊ねると、「ううん、初対面」と言うので、驚いた。コミュ力の高い魚なのだ。

「どうやったら初対面の人とあんな風に話せますか?」と、せっかくなので訊ねてみる。

「つまんねー話題だな。宝くじで十億当てたら何に使うかとか、もっと気の利いたことは言えねーのか?」

 人面犬さんが今日はいつもより余計に食ってかかってくる。僕は曖昧な微笑を浮かべただけで、目を逸らした。自分がつまらないことに気づいていない酔っ払いは、無視に限る。

「うーん。今の時代みんな疲れてるから、ねぎらっておけば会話になる気がしない?」

「なるほど」

 闇の深い話だ。


 テントは一つしかないが、女性である根岸さんは特に気にしていない様子だ。何かする人はいないけれど、何かしようとしたら命に関わることがみんな分かっていた。

 むしろ何かするのは根岸さんである。

 相変わらずとろんとした目で、半魚人さんのそばに座る。

「なあ半魚人」

「どしたの?」半魚人さんは寝転がりながら応じた。

「お、おつかれ」

 聞いていないふりをしながら僕は内心ガッツポーズをした。なんか知らんが素直じゃないか根岸さん。そのまま二人でこっそりテントを抜けてもいいんですよ。

「ありがとう。根岸さんも疲れたでしょう。明日に備えて早く寝ないとね」

「そうだな。早く寝ようぜ」

 すると大胆にも根岸さん、半魚人さんに覆い被さった。待って待って待ってここではやめて。気まずすぎる。明日からどう接すればいいか分からなくなってしまう。

 直後。

「ワァーーーーッ」

 半魚人さんが締め上げられて悶絶する声が、夜の山に響いた。


 翌日。

 すっかり片付けを終えて、僕らは帰り足だ。

 元気のある者は一人もいない。全員何かの理由で体調を崩している中、最後の気力を振り絞って進んでいた。

 半魚人さんは二日酔いで、意識はあるもののどんな感情でどこを見ているのかわからない根岸さんを背負っている。今、半魚人さんに背負われているのだということも、根岸さんは認識できていないだろう。それが勿体無いといえば勿体無い。

「山、よかったね」

 半魚人さんはそれでもポジティブだった。誰か彼に、そんなに頑張らなくていいのだと伝えてあげてほしい。

「俺はしばらくキャンプはいい。疲れた。あと、なんか痒い」

 人面犬さんが病院に行く場合、どの病院に行けばいいのだろうと僕は疑問に思う。

「下界の、肉を食うために整備された清潔な場所で肉が食いたいな」

 確かに、と僕は思った。

 半魚人さんも同じように思ったはずだった。

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古池1.2町 岩倉曰 @wakuwakuiwaku

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