一億総括約社会

そうざ

A Society in which 100 Million People are United

 トイレの前に行列が出来ている。映画が始まる前に用を足しておきたいという浅ましい連中の群だ。

 こんな浅ましい群れに連なるよりも別の階のトイレへ急いだ方が利口だ。上映までまだ猶予がある。早目に家を出て正解だった。

 何しろ昔からお腹が緩い。

 小学校では授業中に漏らして暫く『タレオ(うんこ垂れ男の意)』の愛称が定着したし、中学の初デートでは何度もトイレを行き来し、貴方の恋人はトイレなのね、との捨て台詞でフラれたし、高校時代は全国大会出場が掛かった九回裏のバッターボックスでフルスイングをした瞬間に脱糞し、会心の弾丸ライナーを放ったにも拘わらず塁まで走る気力を奪われた。大学の時は――そんな事を思い出している場合ではない。

 映画館の入った四階からエスカレーターで三階へ向かう。

 トイレはショッピングセンター各階の両端に一箇所ずつある筈だ。

 先ずは北側トイレへ。

 ドアが閉まっている。

 得てして男性トイレは個室の数が少ないが、ここはたった二つしかない両方が使用中。堪らずノック。合言葉のように『入ってます』の回答。入っているのは判っている、残り何分で出て来るのかを知りたいのだと問い質している間に他のトイレに向かった方が早いだろう。

 競歩宜しく南側トイレへ。

 何とこちらは個室が一つしかなく、その貴重な一つが使用中。

 コンコンッ、コンコンッ!

 入っているのはバレている、観念して大人しく出て来い、お母さんも泣いているぞ。

 エヘンッ!

 中からわざとらしい咳払い。

 更に下階へ向かう苦渋の選択。

 二階の北側トイレへ急行。

 何だと、女性用のみだと。

 エスカレーターまで超競歩で戻って案内図を確認。

 何だと、二階は二ヶ所共に女性用だと。

 今から性転換する余裕も金もその気もない。迷わず一階へ。

 もう冷や汗なのか脂汗なのかも判らない、両方がブレンドされた熱い汗が冷え始めている。

 案内図を確認。一階のトイレは一ヶ所のみ。嫌な予感しかしない。

 時間を確認しながら急ぐ。もう上映五分前だ。でも、どうせ最初は長ったらしい予告編のオンパレードだから、遅れても何とかなる。希望を捨てるな。

 何とここも人が列を成している。トイレが一ヶ所しかないという由々しき構造的問題だ。おい、拝金主義社会よ、功利主義よ、近代合理主義よ、お母さんも泣いてるぞ。

 どうせどいつもこいつもちんけな小便垂れ野郎だ。俺は選ばれし大便垂れ野郎だ。大と小とどちらが偉いと思ってやがる。

 列を追い越して入って行くと忽ち声が上がった。

「後ろに並べ!」

「順番を守れ!」

「非常識だぞ!」

 俺は大便だ。俺自身が大便だ。大便様のお通りだ、控えおろう。

「ここは予約制だ!」


 時が止まった。


 いつ催すかも判らない尿意&便意の為に予めトイレを予約しておくのが常識なんだって、お母さん。


 五分間隔の予約枠はいつも満杯なんだって、一人で何枠も予約する奴も居るんだって、トイレットペーパーも事前購入が当たり前だって、お母さん。


 都会は義理も人情もないよ、『過敏性腸症候群実践士』なる国家資格を取得している嫌味な奴等ばかりだよ、お母さん。


 近頃めっきり寒くなりましたね、お母さん、北国の春はまだ遠いのでしょうか、おっかさん、お元気ですか?


 ぼくも肛門括約筋も元気がありません、お母さん、貴女が手塩に掛けて育てた肛門括約筋はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません、お母さん。


 今ぼくは思っています、お母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね、ママ、マミー、オンマ――。

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