第6話 地続き
「……戻ってない、か」
身体を起こすと、昨日と周りの様子に違いはなかった。相変わらず、現在地は10年前の実家の自室。
異常事態のはずなのに、ほっとして安堵の息を漏れる。
タイムリープは脈絡なく起こった。だから、いきなり元の時間軸に戻っていてもおかしくない。ベッドに入るまでは葛藤していたものの、割とすぐに寝落ちしてしまった。
ともかく、やるべきことはひとつ。その点は、元の生活よりもわかりやすくていい。
朝の支度を済ませ、速やかにリビングへ。この家にいる俺以外の家族は全員すでに揃っていた。父親は、現在単身赴任中。少し会いたいと思ってしまう。
朝食を摂っていると、呼び鈴が鳴った。
母さんが速やかに受話器へと向かっていく。はいはい、と誰にでもなく返事をしながら。とても年季の入った動きだ。
こんな朝っぱらからご苦労なことで。焼き魚に舌鼓を打ちながら思う。こちとらまだ全然眠い。元の生活での起床時間はもう少し先だった。
戻ってきた母さんは、なぜかニヤニヤしていた。
「ひな。迎えに来たって」
「……マジか」
「ほら、さっさと行ってあげな!」
急かされるように、慌てて朝ご飯の残りを掻き込んでいく。せっかく迎えに来てくれたのだから、あまり待たせるのは悪い。
陽菜希と一緒に登校するなんて、本当に小学生ぶりだ。もう2度とそんなことはないと思っていたけど、まさかこんなことになるなんて。それは素直に嬉しかった。
「あー、待って! お姉ちゃんも行く!」
「ゆいなもー」
結局、3人で家を出ることになった。急いだ意味はあまりなかったことに。
インターホンのところに、幼馴染は立っていた。どこか堅い表情で、手持無沙汰にスマホを弄っていた。
俺を一瞥したときには変化がなかったのに、後ろ姉貴と唯奈がいるとわかると、一気に笑顔になった。
「おはよー、ひなのちゃん!」
「うん、おはよう。唯奈、久しぶりだね」
「ひさしぶりだね!」
嬉しそうにマネて、唯奈が近所のお姉ちゃんにギュッと抱き着く。
陽菜希の方も、愛おしそうにその頭を撫でている。
さらにその光景を微笑ましそうに眺める姉貴。うんうん、としみじみ頷くのはちょっと不審者じみている。
「おー、ヒナ。うちの制服よく似合ってるねー」
「え、そうかな。ありがとう!」
姉貴の言葉に気を良くしたらしく、ご機嫌な表情でターンを決め込む陽菜希。ファッションモデル顔負けである……これでもう少し――かなり身長があれば。
「それで、タカ。ちゃんと褒めたげた?」
「いや、特には」
「うわっ、最低だ」
「い、いいから、紗英ねえ! 大丈夫だから。間に合ってるから! な、なによ。別にアンタも今さら何も思わないでしょ」
まじまじと、幼馴染を見る。正確にはその服装を。
濃紺のブレザーに明るい色のチェックスカート。胸元には青のリボン、中に見えるのは冬用のニット。オーソドックスなタイプだが、デザインはよく趣向が凝らされている。
割と御笠ヶ原の制服は女子人気が高いようだ。とても親しかったある人物なんかは、制服目当てに選んだらしい。
在学中は何とも思っていなかったが、改めて見れば確かに——
「可愛い」
実年齢を忘れて素直な感想を口にする。
「は、ちょ、なっ……!」
「ああ。お前にもよく似合ってるわ」
「ばっかじゃないの……でも、あ、ありがと」
「やだ、ヒナったらめちゃくちゃ照れてる! かわいい〜」
「かわいい、かわいい」
「ちょっとやめて、2人とも! そんなんじゃないから……」
声を荒らげてはいるが、その勢いは弱い。陽菜希の顔はもう余すところなく真っ赤だ。恥ずかしそうに手足をばたつかせたりまでしている。
「まあヒナをからかうのもこれくらいにして、そろそろ行きましょうか」
そう言って歩き出した姉貴に、まず元気よく唯奈が続いた。俺はその後ろ姿を追いかける。そして、なぜか陽菜希は隣りに並んできた。
しかも、ちらちらと頻繁にこちらを見てくる。何か言いたげな表情で。でも結局、黙ったままだ。本当に少しだけ不気味である。
「唯奈、学校頑張ってね~」
「うん! さーねえたちもがんばってー」
途中、目的地が唯一異なる妹と別れた。ぶんぶんとひとしきり手を振ると、楽しそうに駆け出していった。
この時代の唯奈は最後までかわいさたっぷりだな。なんて、昨日からずっと同じ感慨に浸っている。
「ねえ、タカ。ハンカチ返さなくていいの?」
3人になってから少したって、姉貴が余計なことを口に出した。
「大丈夫だ、問題ない」
「えー、お姉ちゃんは忘れないうちの方がいいと思います」
「大丈夫だ、問題ない」
「とりあえず、会話のコピペやめて」
「ねえ、何の話してるの?」
――あ、これ大惨事になるわ。他人事のようにそう思った。
キョトンとした陽菜希に、姉貴がちょっと意外そうな顔をして、例の件を説明し始める。少しも妨害の余地は無かった。せめて、素知らぬ顔をするくらい。
聞き終えた情緒不安定系幼馴染は、なぜか満面の笑みを浮かべた。
「へー、そっか。アタシ、孝幸にハンカチ貸してたかー」
「そうそう。忘れてたのかよ。しょうがない奴だなー」
「てへ――って、そんなわけないでしょ」
ジェットコースターのように、声のトーンが急落した。冷たい目で、ギリギリとこちらを睨んでくる。ビームのひとつやふたつ出てきそうだ。
姉貴がその奥で小さくため息をつくのが見えた。こいつが話を持ち出してこなかったら、こんなことにはならなかったのに。――というのは、あまりにも自分勝手すぎるか。
とにかく、幼馴染様のお怒りをなんとか鎮めなければ。
「まあ待て、落ち着け。これは姉貴が勘違いしただけなんだ。俺からは一言もお前からハンカチを借りた、なんて話してないんだ」
「何言ってるの。さっきあたしに同調してきたじゃない」
「あれはその場のノリというもので」
「ふざけた誤魔化しね」
わざとらしく陽菜希はと鼻を鳴らす。
「まあまあ。――タカが誰かからハンカチを借りてその相手を隠そうとした。それは事実ですね?」
なんだ姉貴のその謎口調は……困惑しながらも、端的なまとめに渋々ながら頷いた。
なんだか取り調べを受けている気分だ。あるいは尋問。姉貴が検察官で、陽菜希は……被害者? いや違うな。それだけは違う。果たして俺が、こいつに何の害を与えただろう。そこは徹底抗戦の構え……敗北濃厚だけど。
「それはどうしてですか?」
「いや、特に話すことでもないかなって」
「ふうん。でも洗面所でこそこそとしてたよね。それって隠したかったってことじゃない?」
なおも尋問は続く。姉貴の中で何らかのスイッチが入ってしまったらしい。さすが将来、新聞記者の職に就くだけのことはある。真相追及欲求が強い。
鋭い追及に、口を閉ざすしかなかった。
こんなことなら普通に言えばよかったんだ。クラスの女子にハンカチ借りたんだって。変にはぐらかそうとしたせいで、大事になっている。
あの夜に戻りたい――いや、これはちょっとシャレにならないな。すでにタイムリープしている。無限ループでも始まりかねない。
「連城さん」
しばらく黙っていたら、陽菜希がとんでもない名前を口に出した。
「は?」
「昨日、とーっても仲良さそうに話してたもんねー」
「いや、そんなことねえよ。断じて違う」
「必死になって、余計に怪しい」
よりにもよって、ここであいつの名前が出てくるなんて……完全な勘違いとはいえ、なんて皮肉だ。
というか、陽菜希はなんでそんなこと知ってるんだ。こいつの席、教室の反対側だぞ。
「ねえねえ、誰? 連城さんって」
「こいつの前の席の女の子」
「なるほど、なるほど」噛みしめるように呟いて、姉貴は何度か頷いた。「へー、タカがヒナ以外の女の子と仲良くかぁ」
「ちょ、紗英ねえ! なんでそこであたしが出てくるのよ!」
「だってそれはさぁ」
意味ありげな笑みを浮かべる姉貴。盛大に
とりあえず、話の流れが逸れたのはよし。このまま自分とは関係のない終わり方をするのを願う。
それはまあ、都合のいい願いなのだが。
「ニヤニヤしない! 今は孝幸の話でしょ。あーやだやだ。中学時代は、女子となんか仲良くしませーんって感じだったのにさ。高校に入るなりこれだもん」
「あー、あれだ。こうこうでびゅーってやつ!」
「そう、それ! さっすが、紗英ねえ――じゃなかった、紗英先輩あったまいいー」
「別に呼び方そのままでもいいよ?」
2人は徒党を組み、俺にあらぬ容疑をかけて盛り上がっている。誰が高校デビューじゃ! 実年齢26だぞ、こちとら。
ただ、少しは陽菜希の溜飲も下がったらしい。先ほどより表情はかなり穏やかで、笑顔も自然だ。俺の名誉が傷つけられた甲斐はあった……のだろうか。
まあいいか。
「陽菜希」
「ん、なによ」
楽しげな顔がこちらを向いた。
「悪かった、勝手に名前使って」
「…………そ、そんなに真っ直ぐ謝られると何も言えないじゃない。いいわよ、もう。でも今回だけだからね」
そっぽを向いて、ふんだんに恥ずかしがってる。なんてわかりやすい奴だ。
「うんうん、仲直り、仲直り。お姉ちゃん、嬉しい!」
なぜか姉貴が満足した表情で、何度か頷いた。
頼むからこいつにはこれ以上喋って欲しくない。さっきから話がややこしくなって仕方がないのだ。
すっかり元の調子を取り戻した陽菜希といつも通りな姉貴の会話をBGMにしているうちに学校に着いた。
玄関口で姉貴と別れ、2人で下駄箱の方へ。
「ちゃんと連城さんにハンカチ返しなさいよ」
「だから、連城ではないんだって」
「じゃあ誰よ」
「誰でもいいだろ。とにかく連城だけは違う」
「なによそれ、もうっ!」
この期に及んで詳細を話さない俺に、幼馴染はやや声を荒らげる。
連城ってことにして流せば、話は丸く済むのだろう。でも、やはり抵抗感はあった。どうしたって、ムキになって否定してしまう。
そもそも、普通に藍星の名前を出してしまえばいいのに。それを隠す理由は自分にもよくわかっていなかった。たぶん、あまりにも不釣り合いだと思っているからなんだろう。
「アンタなんか、この後のテストで大失敗しちゃえばいいのよ!」
靴を履き替え終えると、陽菜希は一目散に駆け出していった。
なんだその罵倒は……ちょっとずれた内容に、どんだけ、テストのこと気にしてるんだよ。だったら昨日一緒に勉強したのに。
謎のいじらしさに、不覚にも幼馴染を可愛いと思ってしまうのだ。
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